内輪もめが多すぎた虎牢関の戦い~そして群雄割拠へ~

2020年9月19日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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橋瑁が決起文を送り反董卓連合軍結成

 

三国志演義の最初の見せ場、と言ってもいい虎牢関(ころうかん
)
の戦い。袁紹(えんしょう)を総大将とした曹操(そうそう)……じゃなかった、そうそうたる面子が集って悪漢、董卓(とうたく)を討伐に参加。

 

めちゃくちゃ強い呂布

 

しかしそこで現れたのは最早人と同列に語るのも難しい、絶対的強者、呂布(りょふ)。彼らは如何にして戦うのか……となるイメージの虎牢関の戦いですが、実際にはほとんど内輪もめで終わった?

 

今回はこの虎牢関の戦いについて解説していきましょう。

 

三国志演義の虎牢関の戦い

桃園三兄弟 劉備、張飛、関羽 vs 呂布

 

さて、前述したように三国志演義の虎牢関の戦いと言えば、序盤の盛り上がり最高潮の場でしょう。これから時代の担い手となる武人たちの顔合わせとも言える場面であり、後の英傑たちが揃っています。

 

桃園三兄弟 vs 呂布の一騎打ち

 

そして敵はこれまた強大かつ、悪人中の悪人と言ってもいい董卓、そして最強の武人、呂布。彼らと反董卓連合軍が洛陽郊外の虎牢関・汜水関(しすいかん)にて激突する……とうのが虎牢関の戦いです。

 

正史の虎牢関の戦い~ざっくり~

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)

 

では正史での虎牢関の戦いはどんなものだったのか、まずはざっくり全体を説明していきましょう。

 

呉の孫堅

 

まず虎牢関の戦いというものはなく、陽人の戦い(ようじんのたたかい
)
というのが三国志演義でいう所の虎牢関の戦いに相当します。これは191年に反董卓連合軍を結成した袁術(えんじゅつ)、孫堅(そんけん)らと董卓軍が戦ったものです。この際に猛将・華雄(かゆう)が討ち取られ、形勢不利を悟った董卓は洛陽(らくよう)を焼き払って、長安(ちょうあん)へと撤退しました。

 

これがざっくりとした虎牢関の戦い、もとい、陽人の戦いです。

 

陽人の戦い……不穏な始まり

孫堅、孫賁

 

ではもう少し詳しく見ていきましょう。

 

赤兎馬にまたがる呂布

 

191年、孫堅は陽人に兵を置きました。この際に董卓によって派遣されたのが呂布……ではなく、胡(こ)シンです。胡シンは武勇に優れており、董卓から信用されていたのですが、傲慢で短気な性格から呂布を含めて部下たちからは嫌われていました。

 

この際に呂布たちは敵である孫堅に勝つことより、胡シンが負けるように、と思われているようなありさまだったのです。

 

スタートから不穏すぎる

ミニチュアで遊ぶ董卓

 

董卓は胡シンを派遣した際に「野営して休息してから孫堅と戦うように」と命令していたにも拘らず、胡シンは呂布から「孫堅陣営の敵は逃げたらしいから追わないと手柄が立てられませんよ」と偽情報を握らされ、日が暮れて兵士たちも疲れ切っているのに真夜中に孫堅を強襲。

 

敗北し倒れている兵士達b(モブ)

 

孫堅軍に追い返されて疲れ切った兵士たちは塹壕すら作れないままそのまま野営するという有り様になりました。

あ、ダメだこれ

行軍する兵士達a(モブ)

 

しかし更に(味方の)呂布の策が胡シンを襲う!

 

行軍する兵士達b(モブ)

 

「孫堅たちが夜襲をしてきた!」という偽情報で兵士たちは混乱、そのまま十里ほど逃げ出してから「あれ、敵いなかった……」と夜が明けてから戻る羽目に。そんなこんなでヘロヘロのまま城攻めをするも当然ながら勝てず、華雄を討ち取られるという散々な結果のまま退却することとなりました。

 

そして群雄割拠へ

洛陽城

 

この勝利から孫堅たちは止まらず、董卓も状況不利を悟って洛陽から撤退。

 

呂布に暗殺される董卓

 

その後、呂布の裏切りから討ち取られた董卓、胡シンは王允に付いていくも最終的に李カクに付き、逆に孫堅は玉璽を手に入れるラッキーさを見せつけるも、袁術と袁紹は対立。

 

美化された袁紹に羨む袁術

 

それぞれがそれぞれに天下を狙う群雄割拠の世が来てしまいましたとさ。始めこそ董卓と連合軍だった戦いも、終わってしまえば群雄割拠の時代。振り返るとここが三国志の始まりなのだなぁと思いを馳せてしまう戦いですね。

 

オマケ:胡シンさん

ポイント解説をするセン様

 

ここで今回は胡シンについて。味方に嫌われ、裏切られて、と散々な胡シンですが、吉川三国志では更に不遇な扱いに。撤退途中に胡シンは孫堅と遭遇、ここで手柄を立てれば……と奮い立つも

 

「そのような下郎、殿が相手することはございませんわい」

 

程普

 

と、程普(ていふ
)
が槍を投げつけ死亡となりました。刀すら合わせられず退場、猛将とは思えぬ最期を迎えます。その代わりにこの場面だけはインパクトがあり、横山三国志での漫画でもここだけは覚えている人はいるのではないでしょうか?(筆者もここしか覚えていません……ごめんなさい)

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

虎牢関の戦い、もとい、陽人の戦いは全ての始まりと言っても過言ではありません。しかしその戦いの始まりは何とも不穏、味方の裏切り、不仲からスタートしました。ここが三国志の始まりと言うと何とも言い難いものがあります。

 

三国志を楽しく語るライターセン様

 

しかし逆を言えば誰もが腹に何かを抱えていた。誰もが口に出さずとも天下を望んでいた……そういうと、ちょっとカッコ良く感じませんか?三国志の始まりはそこまで振り返ることがありませんが、見返してみると感慨深いものがありますね。前時代の終わり、新時代の始まり、そんな時代の幕開けでした。

 

参考文献:呉書孫堅伝 後漢書董卓伝

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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