諸葛孔明の後継者として知られるのは最初に姜維、そして、元後継者とされるのが、三国アルピニスト馬謖でしょう。
三国志演義では、どちらかと言うと馬謖の事は黒歴史扱いで、姜維が諸葛孔明の後継者として描かれています。
でも、改めて正史三国志を読んでみて、kawausoは諸葛孔明にとって、姜維よりも馬謖の方が重要なポジションにいた人だったのではないかと思えてきました。
諸葛亮のトラウマは、姜維を得た事で癒されたわけではなかったかも知れません。
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諸葛亮伝における姜維の扱いの軽さ
今回、諸葛亮伝を読んで、おや?と思ったのは、馬謖については正史でも裴松之の輔伝でも割合出てくるのに対し、姜維については「きょ」の字も登場しない点です。
kawausoは、ずっと、諸葛亮伝にも姜維についての記述があるだろうと思い込んでいましたが、実際にはなく、諸葛亮が姜維を褒め称えた話は姜維伝にあるのみです。
逆に馬謖は、正史において独立した伝が立てられず、兄の馬良の付属品の扱いですが、諸葛亮伝においては、
諸葛亮は馬謖に諸軍を統率させて前軍とし、張郃と街亭で一戦交えた。馬謖は諸葛亮の指示に反し、行動は滅茶苦茶で、大いに張郃に破られた。諸葛亮は西県の千余家を拉致して漢中に帰還し、馬謖を誅殺して人々に謝罪した。
このように馬謖の起用から、街亭ハイキングの大敗北までが具体的に記述されています。諸葛亮伝には諸葛亮について重要な事を優先して書くわけですから、陳寿は、馬謖が諸葛亮に取って、善くも悪くも重要な位置を占めていると考えたと思います。
逆に、諸葛亮がベタ褒めした姜維について、陳寿が諸葛亮伝に載せていないのは、馬謖に比較すると姜維が孔明に取って、そこまで重要じゃなかったせいではないでしょうか?
姜維がスポットを浴びる理由は別にある?
しかし、諸葛亮伝に出てこないとしても、姜維は馬謖とは異なり列伝されていますし、投降して蜀に降るや諸葛亮が激賞し、「時事に精通して軍事に詳しく思慮深く、その才能は、馬良よりも上だと思う」とベタ褒めされています。
さらに、北伐軍の主力の中虎歩兵の訓練を任されて、中監軍・征西将軍に昇進させるなどは、姜維の優秀さを裏付けていると言えるでしょう。ただ、そこには魏からの投降者である姜維を厚遇する事の宣伝効果と、姜維が天水の名族である事への配慮が無いとは言えないと思います。
例えば、姜維に敗れて蜀の軍門に下った魏の中郎将郭脩(郭循)は、劉禅に左将軍に任じられています。左将軍と言えば、蜀の五虎将軍馬超が就いた将軍位ですから、いくら何でも、それまで中郎将だった人にいきなりあげる地位ではありません。
ここには、蜀が高い地位で魏からの投降者を誘う政治宣伝があったと見て間違いないでしょう。姜維にしても、蜀に降った頃には中郎将ですから破格の昇進は同じです。あるいは、涼州出身者の郭脩を懐柔して涼州人の歓心を買おうという考えだったかも知れません。
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諸葛亮伝にリンクする馬謖の記述
さて、諸葛亮伝には出てこない姜維ですが、逆に馬良伝の付録についている馬謖伝には、北伐の先鋒を呉懿か魏延にすべしという論者の意見があったものを、諸葛亮がゴリ押しして馬謖に決めて敗戦したという記述が重ねて出てきます。
つまり、諸葛亮伝と馬謖伝は対応しているわけで、これは陳寿が二人の関係の深さを印象付ける為にやった事だと考えられます。この手法は、今で言えばリンクに等しく、諸葛亮伝を読んだ人が馬良伝付録の馬謖伝を読めば、孔明と馬謖の因縁の浅からぬ事が分る仕組みなのです。やはり、諸葛亮と馬謖はただならぬ関係だと言えるのではないでしょうか?
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陳寿が意図的に諸葛亮を貶めようとしたのではないか?
しかし、こういう事も考えられるかも知れません。
街亭の戦いで陳寿の父は馬謖の幕僚として従軍しており、敗戦の連帯責任で諸葛亮により髠刑(髪を剃る刑罰)に処されているので、陳寿はそれを恨んで諸葛亮を辱めようと、ことさらに無能な馬謖をゴリ押しした事を強く印象付けようとしたのではないか?
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諸葛亮は臨機応変の才に欠ける
確かに陳寿は、諸葛亮伝のまとめで諸葛亮を「臨機応変の才に欠ける」と非難している部分があります。
しかし逆に、諸葛氏集目録という諸葛孔明の故事について集めた文献では、諸葛亮を
「蕭何や管仲に匹敵する名宰相だが、惜しむらくは名将として王子城父や韓信を得られなかった」と書き、これも天命かと結び好意的に評価しています。
それを考えると、陳寿の諸葛亮の捉え方は、ある程度は好意的、ないし公平で、意図的に諸葛亮の人選ミスを責める為に馬謖について諸葛亮伝で大きく扱ったとは考えにくいと思います。
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