孔明の後継者は馬謖だけだった!【深読み三国志】

2020年11月22日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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水路を断たれ残念がる馬謖

 

諸葛孔明(しょかつこうめい)の後継者として知られるのは最初に姜維(きょうい)、そして、元後継者とされるのが、三国アルピニスト馬謖(ばしょく)でしょう。

 

孔明と姜維

 

三国志演義(さんごくしえんぎ)では、どちらかと言うと馬謖の事は黒歴史扱いで、姜維が諸葛孔明の後継者として描かれています。

 

馬謖

 

でも、改めて正史三国志を読んでみて、kawausoは諸葛孔明にとって、姜維よりも馬謖の方が重要なポジションにいた人だったのではないかと思えてきました。

 

孔明

 

諸葛亮のトラウマは、姜維を得た事で癒されたわけではなかったかも知れません。

 

諸葛亮伝における姜維の扱いの軽さ

 

今回、諸葛亮伝を読んで、おや?と思ったのは、馬謖については正史でも裴松之(はいしょうし)の輔伝でも割合出てくるのに対し、姜維については「きょ」の字も登場しない点です。

 

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kawausoは、ずっと、諸葛亮伝にも姜維についての記述があるだろうと思い込んでいましたが、実際にはなく、諸葛亮が姜維を褒め称えた話は姜維伝にあるのみです。

 

馬良って何した人だっけ

 

逆に馬謖は、正史において独立した伝が立てられず、兄の馬良の付属品の扱いですが、諸葛亮伝においては、

 

敵に囲まれる馬謖

 

諸葛亮は馬謖に諸軍を統率させて前軍とし、張郃(ちょうこう)と街亭で一戦交えた。馬謖は諸葛亮の指示に反し、行動は滅茶苦茶で、大いに張郃に破られた。諸葛亮は西県の千余家を拉致して漢中に帰還し、馬謖を誅殺して人々に謝罪した。

 

馬謖を斬り悲しむ孔明

 

このように馬謖の起用から、街亭ハイキングの大敗北までが具体的に記述されています。諸葛亮伝には諸葛亮について重要な事を優先して書くわけですから、陳寿は、馬謖が諸葛亮に取って、善くも悪くも重要な位置を占めていると考えたと思います。

内容に納得がいかないkawauso様

 

逆に、諸葛亮がベタ褒めした姜維について、陳寿が諸葛亮伝に載せていないのは、馬謖に比較すると姜維が孔明に取って、そこまで重要じゃなかったせいではないでしょうか?

 

姜維がスポットを浴びる理由は別にある?

姜維と孔明

 

しかし、諸葛亮伝に出てこないとしても、姜維は馬謖とは異なり列伝されていますし、投降して蜀に降るや諸葛亮が激賞し、「時事に精通して軍事に詳しく思慮深く、その才能は、馬良よりも上だと思う」とベタ褒めされています。

 

蜀の姜維

 

さらに、北伐軍の主力の中虎歩兵の訓練を任されて、中監軍・征西将軍に昇進させるなどは、姜維の優秀さを裏付けていると言えるでしょう。ただ、そこには魏からの投降者である姜維を厚遇する事の宣伝効果と、姜維が天水の名族である事への配慮が無いとは言えないと思います。

五虎大将軍b 関羽、張飛、馬超、趙雲、黄忠

 

例えば、姜維に敗れて蜀の軍門に下った魏の中郎将郭脩(かくしゅう)(郭循(かくじゅん))は、劉禅に左将軍に任じられています。左将軍と言えば、蜀の五虎将軍馬超が就いた将軍位ですから、いくら何でも、それまで中郎将だった人にいきなりあげる地位ではありません。

 

鄧禹と兵士

 

ここには、蜀が高い地位で魏からの投降者を誘う政治宣伝があったと見て間違いないでしょう。姜維にしても、蜀に降った頃には中郎将ですから破格の昇進は同じです。あるいは、涼州出身者の郭脩を懐柔(かいじゅう)して涼州人の歓心を買おうという考えだったかも知れません。

 

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馬謖

 

諸葛亮伝にリンクする馬謖の記述

蜀志(蜀書)_書類

 

さて、諸葛亮伝には出てこない姜維ですが、逆に馬良伝の付録についている馬謖伝には、北伐の先鋒を呉懿か魏延にすべしという論者の意見があったものを、諸葛亮がゴリ押しして馬謖に決めて敗戦したという記述が重ねて出てきます。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)

 

つまり、諸葛亮伝と馬謖伝は対応しているわけで、これは陳寿が二人の関係の深さを印象付ける為にやった事だと考えられます。この手法は、今で言えばリンクに等しく、諸葛亮伝を読んだ人が馬良伝付録の馬謖伝を読めば、孔明と馬謖の因縁の浅からぬ事が分る仕組みなのです。やはり、諸葛亮と馬謖はただならぬ関係だと言えるのではないでしょうか?

 

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陳寿が意図的に諸葛亮を貶めようとしたのではないか?

陳寿(晋)

 

しかし、こういう事も考えられるかも知れません。

 

髠刑を受ける劉備

 

街亭(がいてい)の戦いで陳寿の父は馬謖の幕僚として従軍しており、敗戦の連帯責任で諸葛亮により髠刑(こんけい)(髪を剃る刑罰)に処されているので、陳寿はそれを恨んで諸葛亮を辱(はずかし)めようと、ことさらに無能な馬謖をゴリ押しした事を強く印象付けようとしたのではないか?

 

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諸葛亮は臨機応変の才に欠ける

考える諸葛亮孔明

 

確かに陳寿は、諸葛亮伝のまとめで諸葛亮を「臨機応変の才に欠ける」と非難している部分があります。

 

孔明

 

しかし逆に、諸葛氏集目録(しょかつししゅうもくろく)という諸葛孔明の故事について集めた文献では、諸葛亮を

 

劉邦と簫何(蕭何)

 

「蕭何(しょうか)や管仲(かんちゅう)に匹敵する名宰相だが、惜しむらくは名将として王子城父や韓信を得られなかった」と書き、これも天命かと結び好意的に評価しています。

 

それを考えると、陳寿の諸葛亮の捉え方は、ある程度は好意的、ないし公平で、意図的に諸葛亮の人選ミスを責める為に馬謖について諸葛亮伝で大きく扱ったとは考えにくいと思います。

馬謖は後継者、姜維は軍事の責任者

孔明

 

諸葛亮は姜維を見出すと、最初に中虎歩兵という北伐軍の中核の軍兵、6000名を調練させています。そして、食料を担当する倉曹掾のポストに就けています。ここから考えられるのは、ちゃんと補給についての知識もある軍人としての育成です。

 

蔣琬(しょうえん)

 

実際に諸葛亮の死後に、姜維は行政官で上役の蔣琬(しょうえん)と組んで輔国(ほこく)将軍という三公の次席のポストについて蜀軍を動かす立場になります。しかし、あくまで姜維は軍人で蔣琬の部下という扱いであり軍の責任者です。ここからは、全面的な諸葛亮の後継者の姿は浮かび上がりません。

 

姜維、孔明

 

三国志演義を引きずると、どうしても姜維を諸葛亮の後継者と見てしまいますが、kawausoが考えるに諸葛亮の全てを受け継ぐ真の後継者は馬謖のみだったのではないかと思えるのです。

 

三国志ライターkawauso独り言

kawauso 三国志

 

諸葛亮が自分の後継者と目していたのは馬謖だけだった。このように考えてみると、馬謖を失った後の諸葛亮が以前にも増して、ワーカホリック状態になり、健康を損ねた理由が見えてくるような気もします。

 

馬謖に地理を伝える諸葛亮孔明

 

彼にとり、完全な後継者は馬謖だけであり、姜維は軍事面を全般的に任せられる人でしかなく、自身の激務を軽減させられる対象ではなかったのではないでしょうか?

 

参考文献:正史三国志

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。「はじめての三国志」編集長。三国志・中国史を中心に、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を執筆・編集し、当サイトでは4,000本以上の記事を担当。三国志は正史から入ったため、演義を書くときのほうが神経を使うという天邪鬼。故郷・沖縄の歴史に関する勉強会の開催や、ラジオパーソナリティとしての活動も行う。

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