福田雄一監督のコメディ映画『新解釈・三國志』が話題を呼んでおります。
この映画作品については、そもそも製作段階から「まじめな三国志ファン(!)」を仰天させるニュースがありました。
主人公にあたる蜀の大将、劉備玄徳を大泉洋さんが演じるというのです。そのイメージの乖離に驚いた人は、多かったのではないでしょうか。
ですが生粋の三国志ファンの中にも、「案外、悪くないかも!」と思った人も少なからずいたのでは?
ハイ、かくいう私もその一人です!
「劉備玄徳=大泉洋」という取り合わせ、よく考えると、よいセンスの着眼点かも。
『三国志演義』のイメージのせいで、「真面目一徹」「清廉清純」「苦労に苦労を重ねながら不平も言わず耐え抜く」キャラと思われている劉備玄徳ですが、
その人生をよくよく整理してみると、物語で描かれているイメージよりも、実像はずっとやんちゃな「兄貴」だったのでは、と思わせるところがあるのです。今回は「劉備玄徳が大泉洋というのは意外に納得!」と感じた三国志ファンとして、私の所感をお話ししましょう!
この記事の目次
成功するまでの劉備・関羽・張飛の人生は「サイコロ旅」状態だった!
三国志に詳しくない人は、劉備といえば三国のうちのひとつの総大将として、
「最初からめちゃくちゃ偉い人だった」と誤解している人も多いかもしれません。
ですが実際の劉備の前半生は、関羽と張飛という義兄弟たった二人だけ(!)を引き連れて、「いずれ一旗あげるぞ!わしはいつか偉くなるぞ!」と言いながらも、中国をあっちへ行ったりこっちへ行ったり彷徨い続けてばかりの負け人生でした。
時折どこかの城を貰ってようやく独立したと思っても、また曹操やら呂布やらに攻められて、あわてて逃げ出す始末。
トボトボと三人でさすらい続ける劉備・関羽・張飛。
「劉備の兄者!またスッカラカンの身分に戻ってしまいましたね。さて、今度はどこへ行きましょうか?」
「うーん、もう、いっそのこと、サイコロで決めようか!」
などとやっていたとしてもおかしくない風来三人衆の時期が、とても長く続いたのです。
結局、中国大陸を大きく縦断して荊州に入り、そこで諸葛孔明と出会うことで運が開けるのですが、その荊州へ流れて行った経緯も、
「サイコロの1、2が出れば荊州、3、4が出れば益州、5か6か出たら、もう出世は諦めて田舎に戻ろうか」という投げやりな気持ちで投げたサイコロが、たまたま「1の目」を出したくらいのノリだったと想像すると、なるほど劉備=大泉洋さんでも配役としては悪くない!
むしろ、そんなノリの劉備を見てみたいと思います!
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天下取りという意味では実力が伴っていないのに、トークがやけに面白い劉備!
実際の劉備玄徳が「大泉洋タイプ」であったと想像させるところは、まだあります。その強烈な前向きさ、いい加減さ、それでいて「トーク」は面白いので何となく部下が巻き込まれてしまう温かさ、といったところです。例をあげましょう。
劉備は後半生において、夷陵の戦いという合戦を自ら指揮し、そこで歴史的大敗を喫します。
その大敗のショックもあって、劉備は白帝城で病没してしまうのですが、そのとき、駆けつけてきた諸葛孔明に、
「人がまさに死なんとするとき、そのコトバはよいものだ、と昔から言うぞ」と前振りして、孔明に遺言を託します。
この孔明への遺言シーンは、三国志屈指の名場面のひとつとされています。ですが、冷静に考えると、このシチュエーションは組織としてかなりヤバかったはずです。
総大将がみんなの反対を押し切って出陣し、
「今回はわしが自ら指揮を執る」とナリモノいりで陣を張り、それが歴史的な敗北を喫して、大量の兵士と部下を失ったのですから。普通に「このあとはよろしく頼む」と言われても、部下たちも「でもこうなったのはあんたの責任では?」という反発心も起こりかねない場面だったはず。
ところがここで、劉備が大泉洋タイプの、トークの面白い魅力的な兄貴キャラだったら、どうでしょう?
「孔明クンね。いや、僕も、今回の夷陵の戦いね。ぶっちゃけ、悪かったと、思ってるよ。やめておけって、みんなが言ってくれていたのに、無理して進んじゃったわけだからさ。でもね、孔明クン。僕ももう疲れて病気になっちゃってね、たぶん長くないと思うんだけどさ。
これから死ぬっていう人の遺言くらい、ちゃんと聞いてくれるよね?
キミはここで蜀をやめちゃうような薄情な人じゃないと、僕は信じてるよ?
それにね、孔明クン、これから死なんとする人の言葉は良いものだって、中国では昔から言うもんだよ?」
このように累々と、切ない感じで、しかも面白い自嘲トークを絡めつつ語られたら?
孔明も周囲で聴いている武将たちも、
「うるさいなー、もうわかったわかった。裏切らないよ!蜀の後事はなんとかするよ。
でもひとつだけ言わせてくれ。夷陵の戦いの負け方、あれは、ない!
めんどうくさい形で引き継ぎやがって、最期までしょうがない殿様だなー!」
と苦笑しながら話し、毒舌混じりながらも、なごやかに劉備の死を取り巻いたのではないでしょうか。
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まとめ『水どう』のノリの劉備軍はつくづく悪くない!
このように部下からも「しょうがない大将だな!」とどやされながら、中国を渡り歩き、人生の後半でようやく大有名人になれた人物として、劉備をとらえると、たしかに、大泉洋さんは、似合っているのでは?
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三国志ライター YASHIROの独り言
そもそも「負けても失敗しても、周りが助けてくれるキャラ」というのは、現代でいう好感度タレントのような雰囲気がなければ成立しなかったのではないでしょうか。
そう!劉備が大泉洋さんタイプでなければ、こんな負けばかりの人生を送っていながら、仲間達に囲まれて、最終的には一国の主になれたはずがない!
そう考えると『新解釈・三國志』で、大泉洋さんを劉備役に選んだキャスティング、なかなか史実の劉備玄徳像の可能性の開拓に貢献している!などとも、言えるのではないでしょうか?!
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