諸葛孔明は身辺を飾らず質素な生活を過ごしたイメージがあります。とはいえ、無一文では家族が路頭に迷うわけで、いくらかの財産は遺産として残った事でしょう。
では、具体的に孔明の遺産はどの程度残ったのでしょうか?
今回は、孔明の遺産と、そもそも孔明は質素な人物だったの?について考えてみたいと思います。
この記事の目次
諸葛孔明の遺産ズバリ!
では、最初に諸葛孔明の遺産についてザックリとズバリ説明します。
1 | 諸葛孔明の年俸は現在価値で1億100万円程度 |
2 | 劉禅に、桑を800株と東京ドーム15個分の痩田と絹と財貨があり死後、家族の面倒を見なくても大丈夫ですと言っていた。 |
3 | 孔明は大金持ちではないが、特段貧しくもない |
4 | 儒教的な清貧を孔明は選択しなかった |
大体、以上のような内容になります。ここからは、それぞれの項目について少し詳しく説明しますね。
関連記事:【三国志とお金】曹洪のサイドビジネス三国時代の金融業はアコギだった
ぶっちゃけ!孔明はいくら貰っていた?
孔明の財産を考える前に、諸葛亮はどの程度の俸給をもらっていたのでしょうか?
蜀において孔明は丞相という最高ポストについていました。
現在、蜀においての俸給について記した史料はありませんが蜀は後漢を継いだ政権の為、俸給についても漢の制度を踏襲していたと考えられます。あくまで参考ですが、後漢の大将軍・三公の俸給は
月俸×12 | 350斛(銭と穀物の折半) |
冬ボーナス | 銭20万銭/牛肉200斤/粳米200斛 |
春ボーナス | 絹30疋 |
このようになっており、米と銭と牛肉を現在価格に適当に換算すると米65528㎏で1キロを500円として=3,276,4000円
- 銭20万銭は、1銭が330円で計算=6,600,0000円
- 牛肉は44.5キロで1キロ平均で2000円と換算=89,000円
- 粳米、3168㎏で1キロを500円として=1,584,000円
これらを合計すると101,238,000円で、年俸は1億円になります。すごいですね孔明、1億円プレイヤーだ。
関連記事:これがお金の本質?劉巴が鋳造した直百五銖銭がズル過ぎる
あんまり多くない?諸葛孔明の遺産
諸葛亮は五丈原で没するまで13年間丞相の地位にありました。それだと、13億円は稼いだ事になりますが、その遺産はどの程度なのでしょうか?諸葛孔明の遺産については、孔明自身が劉禅に語っています。
「成都には桑八百株と痩せた田が十五頃あり、子弟の衣食には余剰があります。臣が外征に出ても別に調度する事はなく、私が消費する衣食はことごとく官から受け、尺寸の土地で生業を治める必要もなく、もし臣が死んでも、家には余帛があり外に余財あり、陛下に面倒をかける事はありません」
そして、孔明の死後に調べると、その通りだったそうです。こうして見ると、孔明の不動産は、桑八百株と痩せた田が15頃(68.7ha)であった事が分かります。ちなみに秦・漢時代の1頃は東京ドームの広さとほぼ同じなので、孔明の保有した田圃は東京ドーム15個分の広さです。
こうしてみると大地主孔明という感じですね。もっとも当時の中国には桁外れの大金持ちがいますから、それに比べると控え目でしょう。
諸葛亮の隠し財産
ただし、これで孔明の遺産が終わりとはいえないかも知れません。孔明は、自分が死んでも、家にはボーナスで下賜された絹の在庫があり、外には余財がありと言っています。外の余財というのは、痩せた田圃や桑八百株じゃないとすると、諸葛亮が年俸1億円から購入した財貨だったりするのかも知れません。
孔明は「自分の衣食は1億円の俸給から賄い、田圃を耕す必要はない」とセレブ発言をしているので、田圃の収入はそのまんま蓄財になっていると考える事も出来ます。
孔明は蜀の名産の錦をブランド化した功績もあるので、それなりに財テクに目端が利き、不正をしない程度に着実に資産を蓄える事が出来たんじゃないですかね?
関連記事:蜀錦を益州ブランドにした諸葛亮の販売戦略
諸葛家は別に貧しくはなかった?
こうして孔明の発言を見てみると、孔明自身の生活費は貰っている給料で賄えていますし、家族には、桑の木と広大な痩せ田とボーナスの絹と、外の財貨があるので劉禅の情に縋らずとも生活していけますというものです。
つまり、桁外れの大金持ちではないけど、特段に貧しくもない普通に生活していけますので、自分の死後に特別な資金援助は要りませんと説明しているだけではないでしょうか?
世間一般のイメージと違い、諸葛孔明は別に貧しくはなかったのです。確かに考えてみれば、過労死するほど働いてそれで家族が食べていけないんじゃあ、いくらなんでも丞相なんか辞めるでしょうからね。
関連記事:孔明の最期の晩餐は一体何を食べていたの?
関連記事:諸葛亮の死因は過労死らしいけど、一体どんな仕事してたの?
公平は重視しても貧しさは尊ばない孔明
三国志には周囲にお金を配ってしまい、自分も家族も貧しくなり死後には借金しか残らず不憫に思った君主が救済するみたいな話が美談として出てきます。しかし、これではいくらなんでも自己犠牲が過ぎて、参考になんか出来ません。
それに比べると諸葛孔明は、毎月の俸給で自分を養い家族の為に桑800株と東京ドーム15個分の痩せ田と絹と財貨を残し、自分が死んでも生活に困らないようにしたのですから、現代にも通じるような普通の金銭感覚を持った人のように感じます。
きっと孔明は不正を憎み公平を重視しても、貧しさが美徳だという儒教の価値観には染まらない人だったのでしょうね。
三国志ライターkawausoの独り言
今回は諸葛孔明の残した財産について考えてみました。清貧のイメージがある孔明ですが、財産を見る限り、不正に蓄財をしないというだけで、それ以外は丞相の地位に見合う、そこそこ良い暮らしをしていたように感じました。
孔明自身は、頑張ってそれ相応の地位に就けば、自分の収入に見合う範囲で贅沢するのに特に反対はしない人だったんじゃないかと思います。
参考:正史三国志
関連記事:孔明は車椅子に最初は乗っていなかった!諸葛亮のトレードマークは嘘?
関連記事:孔明はニートなのに、どうして劉備が飛び付いたの?ーー誰も教えてくれないキャリアアドバイス
【北伐の真実に迫る】