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蜀の武将、姜維と馬岱その共通点とは?蜀後期を支えた武将に迫る

2021年8月21日


 

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蜀の姜維

 

蜀の武将、姜維(きょうい)馬岱(ばたい)と言えば諸葛亮(しょかつりょう)亡きあとの蜀後期を支えた武将として有名ですね。あまり接点の見られない二人ですが、実は意外な共通点があるのです。

 

蒋琬と姜維と王平

 

今回の記事では2人の業績とその共通点について考えてみようと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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姜維とは?諸葛亮亡きあとの軍事で活躍

姜維

 

姜維は天水地方で生まれ、この地方で「天水の四姓」と言われる豪族の出身です。早くに父を亡くしましたが、のちに父の功績により魏に召し抱えられることになります。

 

孔明と姜維

 

諸葛亮が魏に侵攻した際、味方に裏切りを疑われ、仕方なく蜀に降伏しその武将となります。

 

孔明と姜維

 

諸葛亮にその才能を高く評価され、北伐に従軍することになります。諸葛亮亡きあとは蜀の軍事を担当し、異民族の鎮圧などで活躍しました。

 

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姜維、北伐を繰り返すも失敗、そして最期は

すぐに戦争したがる姜維

 

姜維は自分の才能に自信を持ち、諸葛亮の後を継ぎ大規模な北伐をしようと考えていました。

 

2つの持論を展開する費禕

 

それを知っていた当時の大将軍「費禕(ひい)」は姜維に対し、「我々は諸葛亮には及ばない。今は内政に力を注ぎ、有能な人材の出現を待つべきだ。」と大規模な北伐を許しませんでした。

 

費禕の宴会に呼ばれて毒を塗った刀で暗殺に成功した郭修(かくしゅう)

 

しかし、費が不慮の死を遂げると、軍の全権を握った姜維は何度も北伐を繰り返します。ある程度の成果は上がりましたが、魏を揺るがすまでには至らず、北伐の負担で蜀は衰退していきました。

 

姜維怨嗟の声

 

姜維は内政に力を入れなかったため、宮廷では宦官の跋扈(ばっこ)をゆるし、国内には怠惰な雰囲気が漂っていました。そこに魏が攻撃を開始。

 

剣を石にたたきつけて剣を折る姜維

 

姜維は剣閣(けんかく)鍾会(しょうかい)の攻撃を必死に防ぐも、別ルートで蜀の首都に迫った鄧艾(とうがい)に蜀は降伏してしまいます。

 

無残な最期を遂げた姜維と鍾会

 

降伏後、姜維は鍾会と図り、反乱を企てますが失敗。結局は妻子ともに殺されてしまいます。

 

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鍾会の乱

 

 

あまり正史に記述がない馬岱

馬岱

 

馬岱は馬超(ばちょう)の従兄です。創作物などでは馬超と共に有名な人物ですが、実は正史「三国志」にはほとんど記述がありません。

 

蜀志(蜀書)_書類

 

「三国志」では有名な人物には「伝」(人物伝)が立てられるのですが、馬岱は伝を立てられていません。まず馬岱の記述があるのは「馬超伝」です。

 

燃え尽き症候群の馬超

 

そこには馬超が亡くなる際、劉備(りゅうび)に対し「私の一族は殆どが曹操(そうそう)に殺され、残るは馬岱のみです。彼を馬一族の祭祀を守らせるものとして陛下(劉備)にお預けします」という記述があります。

 

蜀志(蜀書)_書類

 

また、「魏延伝(ぎえんでん)」には魏延と楊儀が対立し、魏延が敗れ逃亡した際に馬岱が魏延を殺した、とあります。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)書類

 

そして「三国志」ではなくのちの「晋」の歴史書「晋書」に「235年、馬岱は魏に攻め込んだが、敗れ退却した」という記述があります。馬岱に関する正史の記事はこのくらいで、生没年も分かりません。

 

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馬超特集

 

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みうらひろし

みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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