おとぼけ「石川さん、前に赤兎馬の記事で『赤兎馬はカバだった』説、書いてましたよね?」
石川 「ああ、そんなことも書きましたっけね」
おとぼけ「あれって事実のような気がするんですよ」
石川 「ははは、まさか。あれは単なるネタ……」
おとぼけ「書いてください」
石川 「……え?」
おとぼけ「赤兎馬がカバだったことを裏付ける事実を、記事にしてください」
石川 「そんなの無理に決まってるでしょ?」
おとぼけ「どうしても書けないと?」
石川 「お断りします」
おとぼけ「……そうですか。ならばこちらにも考えがあります。これをご覧なさい」
石川 「これは!! 小太郎さんの大好物、アメリカンドッグじゃないか!! それも10本!!」
おとぼけ「これを小太郎さんにあげたらどうなります?」
石川 「やめろ!! ただでさえメタボが心配な小太郎さんがそんなもの一気に食べたら、
メタボ直行じゃないか!!」
おとぼけ「ふふふ、どうします?」
石川 「ぐっ……致し方ない……」
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この記事の目次
仮説:赤兎馬は帝政ローマから後漢王朝に贈られたものだった?
……とまあ、そんな会話があったかどうかは定かではありませんが、
おとぼけさんのたってのリクエスト(?)で、
『赤兎馬=カバ』説の可能性について検証してみましょう。
『【架空戦記】帝政ローマ軍と三国志軍が戦ったらどっちが勝つの?軍隊の編成や武器なども徹底解説』
の記事でも触れられている通り、
後漢王朝とローマ帝国には交流がありました。
166年、ローマ帝国の使者が渡来し、
象牙・犀角・タイマイ(海亀の甲羅)といった品々を洛陽で貢物として捧げたことが、
歴史書である『後漢書』に記されています。
ローマ帝国の領土は最大期にはエジプトを含むアフリカ大陸北部に至っていますから、
象やサイを捕獲し、その牙やツノを獲ることができたわけです。
カバの生息域は現在ではアフリカ南部に限られていますが、
かつてはナイル川流域にも生息していたと考えられます。
つまり、ローマ帝国の領土圏内に野生のカバが生息していた可能性は十分考えられます。
剣闘士との対戦用に捕獲された可能性
ローマの有名な闘技場、コロッセオでは奴隷の剣闘士がライオンなどの猛獣と
対戦させられていたことが知られています。
カバはあのノンビリした外観とは裏腹に獰猛な性格であり、
ライオンと同様、剣闘士との対戦用に捕獲され、
ローマに連れてこられた可能性は十分考えられるでしょう。
珍しい野生動物を他国への貢物とした例
しかし、生きたカバをローマからわざわざ洛陽まで運ぶ、
なんてことは実際にありえたのでしょうか?
ひとつの例として、江戸時代以前に日本へ象が持ち込まれている事例を見てみましょう。
実は明治期以前に日本に象が渡来したことが実に七回にわたって記録されています。
その最も古い記録は1408年、実に室町幕府の四代目将軍足利義持の時代です。
最も有名な事例は江戸時代の享保年間、
江戸幕府の8代将軍、徳川吉宗の希望により、つがいの象が渡来したという話です。
このつがいの象は見世物として人気を集め、
日本の庶民が象を見た始めてのケースとなりました。
このように象が外交使節による貢物として他国に持ち込まれることは、
決して珍しい話ではなかったようです。
その重さの量り方を曹沖(そうちゅう)が父である曹操に教えたという逸話は有名ですね。
このような事例から、赤兎馬とはローマ帝国から貢物として
連れて来られたカバであった可能性は十分考えられるのではないでしょうか?
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もうひとつの仮説:赤兎馬は中国に生息していた野生のカバ!?
え、だったら普通に考えて象が貢物になったんじゃないか?
……そうなんですよねぇ。そこがこの仮説の弱いところで(自爆
やっぱり『赤兎馬=カバ説』には無理があるかなぁ……。
……いや、まだ可能性はあります。
赤兎馬は中国に生息していた動物の子孫だった!!
……え、なにをとち狂ったことを?
カバはアフリカにしか生息してないだろう、と?
いやいや、その可能性は捨て切れませんよ。
確かにカバが中国にいた可能性はまずありえません。
しかし、カバに似た動物であれば、存在した可能性は捨てきれないのです。
1300万年前に絶滅したパレオパラドキシア
1300万年前に絶滅した、パレオパラドキシアという動物は、西日本からメキシコに至る広範囲に生息していました。
その姿は現在のカバに似ており、カバと同じように水辺で生活をしていたと考えられています。
日本では福島県や埼玉県から化石が出土しています。
パレオパラドキシアが古代中国にまだ生き残っていた可能性は考えられないでしょうか?
つまり、赤兎馬とは古代中国に生息していた「古代の不思議なもの」だったのです!!
(パレオパラドキシア(Paleoparadoxia)=古代の不思議なもの)
三国志ライター 石川克世の独り言
……まあ、実際にそんなことはなかったと思いますが(自爆
しかし、実際に赤兎馬を見たことがある人は現代にはいないのですから、
完全にその可能性を捨てきることはできない、かもしれませんね。
それでは、次回もお付き合いください。 再見!!
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