日本人が最も好きな歴史コンテンツの一つと言っても過言ではないのが三国志です。現在、三国志をテーマとした小説・漫画・ゲームなどは数え切れないほどありますが、その中でも特に筆者が推したいと思っているのが北方謙三先生の『三国志』シリーズです(以下、「北方三国志」とします)。
今回の記事では、そんな北方三国志を読破した筆者が、北方三国志を読んでの感想を皆さんにお伝えできればと思っております。
この記事の目次
「北方謙三」三国志の感想1:登場人物の作り込みがすごい!
まず、筆者が北方三国志を読んでみてまず気付いたのは、その登場人物描写の作り込み具合です。北方三国志では、他の様々な作品と同様に劉備・関羽・張飛・曹操・諸葛亮といったキャラクターが登場するのですが、どのキャラクターも他の作品とは違い、人間味に満ち溢れた人物像が描かれています。
北方三国志の英雄たちは完全無欠な超人ではありません。誰しもが欠点や悩みを持ち、内に葛藤を秘めながらも、絶対に譲れない意地を持ち合わせており、漢と漢の意地をぶつかり合わせるのです。こうした人間味あふれるキャラクターの造形こそが、北方三国志を魅力的なものとし、我々読者を登場人物に感情移入させていく原動力となっているのです。
例えば、蜀の英雄として有名な諸葛亮(孔明)ですが、往々にしてこの人物は神算鬼謀の天才軍師として描かれ、どこか我々常人とはかけ離れた超人的な人物として物語に登場します。しかし、北方三国志の諸葛亮は違います。北方三国志の諸葛亮は、確かに卓越した智謀を誇る人物ですが、若いころは自らの才能を自負しながらもそれを発揮する場がないことに絶望して苦悩します。
仕えるべき主である劉備と出会ってからはその才能を十分に振るいますが、劉備亡き後は、劉備から受け継いだ蜀という国を一人で切り盛りし、漢王朝の復興という劉備の意志を受け継がなければならない重圧に苦悩します。
こうした理想と現実の間で苦悩の絶えない諸葛亮像は、現実の社会で生きる我々にとっても、感情移入しやすい存在ではないでしょうか。このように、北方三国志を読めば、まるで知らぬ間に引き込まれるかのようにこうした人物像に感情移入し、登場人物たちの紡ぎ出す物語に時に胸を躍らせ、時には涙すること間違いなしでしょう。
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「北方謙三」三国志の感想2:細部の描写がすごい!
北方三国志のもう一つの魅力は、作品の細部のこと細かな描写でしょう。北方先生は元々ハードボイルドの巨匠と呼ばれた小説家であり、作中のさまざまな場面での写実的な描写はお手の物だと言えるでしょう。特に騎馬隊がぶつかり合う戦闘シーンは鬼気迫るものがあり、目を閉じればまるで目の前で敵味方の大軍が矛を交えているかのようなリアリティがあります。
そして、北方三国志を彩っているのはなんといっても料理でしょう。北方三国志の料理について、詳細は別の記事に掲載したいと思いますが、家畜をさばいて豪快に焼いて食べるシーンは、何の映像・画像の類はないにもかかわらず、読んでいるこちらまでお腹が空いてくるようです。
三国志作品はたくさんありますが、読んでいて食欲が刺激される作品は、北方三国志だけではないでしょうか。こうして、細部のリアリティを事細かに表現できているのは、北方先生の綿密な取材の賜物ではないでしょうか。
北方先生は作品を作る際に徹底的な取材を行っており、例えば『キングダム』の原泰久先生との対談では、「ウサギをさばいて食べる場面」を旨そうに見せる秘訣として、北方先生自身の野外でウサギをさばいて食べた経験があったことが明らかになっています。
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「北方謙三」三国志の感想3:とにかく泣かせるところがすごい!
三国志といえば、血沸き肉躍る英雄たちの活躍や冒険が描かれており、あまり泣かせる作品というイメージはないのではないでしょうか。北方三国志は、はっきり言って涙なしに読み切ることはできないといっても良いほど、泣かせる作品です。
では、北方三国志がなぜこれほどまでに読者の感情を揺り動かし、感動させるのでしょうか? それは、やはり自然に登場人物に感情移入できるからではないでしょうか。先程も述べたように、北方三国志の登場人物はどこか人間臭く、読者の我々に近いところを持っています。だからこそ、実際に目の前に存在しないはずの彼らに感情移入してしまうのです。
さらに言えば、北方三国志の登場人物はなんといってもカッコいいのです。登場人物たちはみな、重荷を背負い、欠点や苦悩を抱えながらも、己の確固たる信念というものを持っているのです。そして、こうした信念と信念のぶつかり合いこそが北方三国志という物語全体を貫く一本のストーリーラインをなしているのです。
その一方で、三国志は出会いと別れの物語でもあるのです。劉備・関羽・張飛の出会いから始まった物語は、終盤に入って物語を飾った英雄たちが次々と死に、読者である我々に別れを告げていきます。華々しく戦って最期を遂げる者もいれば、憂いの中で生涯を終える者、非業の死を遂げる者、いろいろな死という別れが展開されます。
北方三国志では、そうした英雄たちの死に様はどれもこれ以上ないほど美しく、カッコよく描かれています。だからこそ、そうした英雄たちの最期が、物語を読み進めていく中で感情移入していった我々読者の涙を誘うのです。このように、「泣かせる三国志」としての側面が北方三国志の大きな魅力の一つであることは間違いないでしょう。
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三国志ライター Alst49の独り言
いかがだったでしょうか。「北方三国志」の筆者なりの感想を長々と述べてきました。「北方三国志」の感想を語り尽くすには、はっきり言ってこの記事だけでは短すぎます。
もしこの記事を読んで、「北方三国志」を読んでみたいと思った読者の皆さん、ぜひ「北方三国志」を手に取り、その独特の感動的な世界に足を踏み入れてみてはいかがでしょうか?
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