ふと読み返すと、三国志演義って本当に面白いですよね。また日本でも古くから親しまれ、好まれていることが現代においても良く分かります。どうしてこんなに三国志演義は人気が出たんでしょうか?
と、いうことを、今回は当時の中国や日本での「人気志向」から考えてみたいと思います。実は意外な共通点が見えてくるかもしれません。
この記事の目次
三国志演義の主人公劉備
まずは劉備、言わずと知れた三国志演義の主人公。人徳がある人物とされ、武勇に特に優れているということはないものの、優しい心根から他者を惹きつける好漢として描かれていますね。
実は皇帝の血に連なる人物ですが、若き頃から貧しい草履売りであり、吉川三国志では「母親にお茶を飲ませて上げたい」とお金を必死に貯めているなど、孝行者としても知られている人物です。
特に義兄弟となる関羽、張飛との桃園の誓いは、物語の始まりとも言えるシーンであり、何度見ても心を打たれる場面でしょう。
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強くないけど貧乏で真面目で優しく高貴な血筋の劉備
ここで劉備の特徴を振り返ってみましょう。
・貧しい出身でありながら真面目に働き、親思い
・特出した能力はないものの、数々の優秀な仲間たちに慕われ、支えられる
・人々を惹きつけるカリスマ性
・出世に出世を重ねて、一国のトップに
・実は高貴な人物だった!びっくり!
……こちらの特徴、ある人物と共通しないでしょうか?
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身分が低く貧しいが織田家で成り上がる秀吉
さてさて日本のお話をしましょう。その人は貧しい農民に生まれながら、草履取りとしてある大名の下で働き始めます。しかしそこで才覚を表し、数々の功を立て、また今孔明と呼ばれる才能溢れる人々を自分の仲間として招き入れ、仕える大名の天下取りを支える一角となりました。
ですが運命は皮肉、あと一歩と言う所で謀反にあい、大名は歴史の舞台から消えます。そこで見事に仇を討ち、あれよあれよという間に大名の遺志を継ぎ、彼は天下人になるのでした。そう、天下を取ったおサルさんこと、後の豊臣秀吉ですね。
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天性の人たらしで優秀な仲間を集める秀吉
さて秀吉はいくつもの講談となったり、ドラマとしても取り上げられています。その中でも「良くある」秀吉像として以下のものが挙げられます。
・貧しい出身
・数々の優秀な仲間たちに慕われ、支えられる
・本人も何気に優秀
・人々を惹きつけるカリスマ性
・出世に出世を重ねて、一国のトップに
・実は高貴な人物だった!びっくり!
そう、かなり三国志演義の劉備像とかぶる所があるのです!
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貧しいが機転が利き明るいのが大衆受けした
もちろん、この秀吉像に「当てはまらない」と思う人も多いでしょう。近年では秀吉のマイナス面、というか、あまり注目されなかった負の面に光を当て、冷徹な指導者、黒い歴史の勝者としての一面も描くことが増えてきました。
でもかつては、秀吉と言えば信長の下でちょこちょこ飛び回りながら必死に働く、お調子者だけどどこか憎めない、そんな「主人公」のような秀吉像が多かったと思います。
そこにはもちろん、秀吉の姿があまり深く考察されていなかった、良い面だけ抽出した、等などのいくつもの理由があると思いますが、やはり「民衆受け」があったのではないでしょうか。
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