曹操(そうそう)という男は、金持ちの家の生まれにも関わらず、いわゆる「人を疑わないお坊ちゃん」のような甘さが全くない男でした。
そのドライな性格は、役に立つなら仇敵でも配下に入れ、無能なら身内でも容赦なく殺してしまう非情な決断にも現れています。
前回記事:32話:ブチ切れる献帝、曹操暗殺を指示
曹操が油断した時期
が、、この曹操(そうそう)、その生涯に、一度、度重なる幸運に気を良くしハングリーさを失った時期がありました。それが、兗州を領有し黄巾賊の残党を吸収し、長安から脱出した献帝(けんてい)を本拠地の許昌に迎えた頃です。
しかも、この頃、曹操(そうそう)は呂布(りょふ)の裏切りで徐州を失った劉備(りゅうび)も客人として受け入れていたのです。
それまでの曹操(そうそう)は、菫卓討伐軍を事実上結成するような、大仕事を成し遂げながら袁紹(えんしょう)のような強固な地盤を持たない為に袁紹(えんしょう)の客分に甘んじるなど不遇の連続でした。
それがうってかわり、兗州を手に入れ、30万人という黄巾賊の残党を吸収し、流民も100万人を得て、ついには献帝(けんてい)まで手に入れたのです。
いかに用心深い曹操(そうそう)でも、これほど幸運が続くと気持ちが緩み
「俺には天運が味方についている恐れる事何もない、、」という自惚れが生まれるのも仕方がありません。人間、何か大きな存在に守られていると思うと、気が緩み他人に対しても優しくなれるものです。
曹操が油断している時に劉備を受け入れる
曹操(そうそう)がその生涯で例外的に優しくなれているその時に、劉備(りゅうび)は、敗北した将軍としてその客分になったのです。
曹操(そうそう)の参謀であった荀彧(じゅんいく)は、「劉備(りゅうび)は、見た目は温和だが、いつまでも人の下に甘んじる男ではない
後日、力を蓄えて立ち塞がる前に、今殺してしまいましょう」
と曹操(そうそう)に的確なアドバイスをしています。荀彧(じゅんいく)のアドバイスは、まるで予言で、正にこの時に劉備を殺していれば後の蜀の建国は無かったのです。
荀彧(じゅんいく)の助言を拒否した曹操
しかし、完璧に油断してしまっている曹操(そうそう)はそのアドバイスを一蹴します。「何を言うのかね荀彧(じゅんいく)君、劉備(りゅうび)と言えば、天下に聞えた英雄それを殺してしまえば、世間の人は何というだろう?」
そう言って、どこに行くにも劉備(りゅうび)を連れて歩き、馬車に乗る時でも、自分の横に乗せて移動するなど、最大限の友情を示したのです。
曹操の最大の友情を受け取った劉備の心境は?
ところが劉備(りゅうび)は、曹操(そうそう)の中に漢王室を利用しようという逆心を感じ取り、曹操(そうそう)とは逆に「こいつは排除しないといけない」という気持ちを持ちます。
曹操暗殺計画に劉備も加担、曹操はブチキレる
結局、劉備(りゅうび)は献帝(けんてい)から密命を受けた菫承(とうしょう)から、曹操(そうそう)暗殺の計画を持ちかけられて、これに参加してしまうのです。
暗殺は失敗し、劉備(りゅうび)は寸前の所で皇帝を名乗って独立した袁術を討伐する為に曹操(そうそう)の元を離れていたので捕まらずに済みました。
これで初めて曹操(そうそう)も自分の馬鹿さ加減に気が付き、元の油断のないリアリストに戻ります。
まあ、誰でも生涯に一度くらいは、ツキにツキまくる時期がありますが、曹操(そうそう)にとっては、この時に劉備(りゅうび)を殺さなかった事が後に天下統一の最大の障害になるのですね、、