34話:女好きの英雄曹操、危機一髪の大失敗

2015年2月26日


 

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13人の妻達(曹操)

 

曹操(そうそう)は子沢山であり、同時に複数の妻を娶った女好きでも知られます。

 

曹昂(曹昴)

 

ところが、この曹操(そうそう)は美女に夢中になった為に、曹安民(そうあんみん)や曹昂(そうこう)、そして典韋(てんい)という猛将を失った事があります。

 

前回記事:33話:度重なる幸運にハングリーさを失う曹操

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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美女、鄒氏(すうし)との出会い

鄒氏

 

西暦197年、張繡(ちょうしゅう)という武将が曹操(そうそう)に降伏します。

 

張繍

 

曹操(そうそう)は、降伏した張繡(ちょうしゅう)に会いに行きますが、その途中で絶世の美女鄒氏(すうし)を見つけて一目惚れしてしまいます。

 

曹操と張繍

 

聴けば鄒氏(すうし)は、張繡(ちょうしゅう)の戦死した叔父の妻で未亡人でした。本来なら、諦めないといけない所ですが、メロメロになった曹操(そうそう)は鄒氏(すうし)を強引に自分の妻にしてしまうのです。

 

曹操は強引に権力を使って自分の妻にした

曹操には服従しているが内心キレている張繍

 

張繡(ちょうしゅう)に取っては鄒氏(すうし)は叔母の妻であり兄嫁です、曹操(そうそう)の権力をカサに着た態度に張繡(ちょうしゅう)は怒りますが、張繡(ちょうしゅう)が怒っていると知った曹操(そうそう)は、逆に張繡(ちょうしゅう)を暗殺しようと策を巡らします。これには張繡(ちょうしゅう)がブチ切れてしまい、殺される前に殺してしまおうと曹操(そうそう)暗殺を決意するのです。

 

名参謀の賈詡(かく)が曹操暗殺を実行する

賈詡

 

この張繡(ちょうしゅう)には参謀として賈詡(かく)という男が付いていました。後に曹操(そうそう)の参謀として活躍する人物です。

賈詡と曹操と張繍

 

賈詡(かく)は、鄒氏(すうし)に夢中になり、城から出ない曹操(そうそう)には暗殺出来る隙があると見て曹操(そうそう)のボディーガードである豪傑、典韋(てんい)に酒を贈って飲ませます。

 

典韋も酒を飲み油断する

胡車児(暗殺者)

 

典韋(てんい)が酒を飲んでいる間に賈詡(かく)は胡車児(こしゃじ)という男に典韋(てんい)の武器を盗ませます。

 

典韋 悪来

 

それから、賈詡(かく)は城の回りを手勢で囲んで一斉に踏み込んだのです。典韋(てんい)は慌てて武器を手に取ろうとしますが、すでに武器は奪われ、どうにもなりません。

 

典韋は鬼のような強さを発揮

典韋にボコボコにされる成廉

 

典韋(てんい)は素手で張繡(ちょうしゅう)の配下と戦い、武器を奪って奮戦します。泥酔しているにも関わらず、典韋(てんい)は鬼のように強く張繡(ちょうしゅう)軍は、典韋(てんい)の守る門を抜けません。

 

絶命する典韋

 

典韋(てんい)は最後には、無数の矢を受けてハリネズミのようになりながら、立ったまま絶命したと言われます。

 

曹操

 

しかし、典韋(てんい)が守る門以外は呆気なく開かれてしまい、曹操(そうそう)は、ようやく事態を知って、狼狽してしまいます。怒涛の如く進んで来る張繡(ちょうしゅう)軍に対し、こちらは少数、、戦況は圧倒的に不利でした。

 

曹操の息子たちが曹操を守る

曹昂(曹昴)

 

ですが、この時に曹操(そうそう)の子である曹昂(そうこう)、そして曹操の甥にあたる曹安民(そう・あんみん)が進み出て、曹操(そうそう)を守るべく死力を尽くして戦います。二人は曹操(そうそう)を逃がす事に成功しますが、自分達は逃げ切れず、張繡(ちょうしゅう)の手に掛かって戦死してしまうのです。

 

赤壁の戦いで敗北する曹操

 

曹操(そうそう)は猛将である典韋(てんい)、そして息子の曹昂(そうこう)、曹安民(そう・あんみん)を失った事で、声を上げて号泣し、自分の油断を責めたのです。

 

名参謀・ 賈詡(かく)のがまた活躍をする

曹操VSかく

 

この張繡(ちょうしゅう)は、その後、劉表(りゅうひょう)を頼って曹操(そうそう)と戦い、賈詡(かく)の活躍もあり何度か曹操(そうそう)を敗走させますが、後に曹操(そうそう)が袁紹(えんしょう)と対立するようになると、

 

賈詡

 

「今ならば、曹操(そうそう)は袁紹(えんしょう)に勝つ事を優先し、殿が降伏しても喜んで受け入れるでしょう、、」という賈詡(かく)の進言を受け入れて曹操(そうそう)に降伏し軍師の賈詡(かく)と共に順調に昇進していく事になります。

 

曹操も敵である軍師を受け入れる

張済

 

この時に曹操(そうそう)が部下と息子、甥の仇として張済(ちょうさい)を討たなかったのは、袁紹(えんしょう)を相手に味方が必要という事もあったのですが、自分の油断と奢りが張済(ちょうさい)を背かせたという失敗への反省があったからだと思います。

張済

 

流石は曹操(そうそう)、仇を恨んで済ますのではなく、自分の奢りを認識できる所は天下統一の寸前まで行った英傑足る人であると思いますね。

 

次回記事:35話:曹操、陳宮の裏切りで兗州を呂布に奪われる!!

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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