三国志の英雄、曹操(そうそう)には、13名の妻がいました。好色家の曹操に見初められる位ですから、皆さんはいずれ劣らぬ美女揃いですが、その中でも杜夫人程に英傑にモテた女性はいないでしょう。
この記事の目次
杜夫人は何者?
杜(と)夫人の生没年は不詳でどこの出身かも分かりませんが、当初、彼女は呂布(りょふ)の配下の秦宜禄(しんぎろく)の妻として歴史の表舞台に登場してきます。
西暦198年、曹操は呂布を滅ぼす為に本拠地の下邳を包囲します。進退極まった呂布は、袁術(えんじゅつ)に援軍を要請する為に部下の秦宜禄を使者として派遣しました。
袁術の横暴な対応
袁術は、救援要請には答えずに秦宜禄を止めおき、漢王室との関係を強化する為に、強引に秦宜禄を杜夫人と離婚させ、代わりに漢王室ゆかりの女性と秦宜禄を結婚させます。さすが自称皇帝袁術、ろくなことをしない(笑)
杜夫人と曹操との出会い
しかし、可哀想なのは、杜夫人です、自分が預かりしらない所でいきなり、独身に戻されてしまったのです。やがて、呂布は援軍が無い事で、内部が動揺して裏切りが発生、曹操に捕らわれて、処刑される事になります。
その時、捕虜の中に、杜夫人の姿もあったのですが、その美貌に一目惚れした男がいました。何を隠そう、その男とは関羽(かんう)でした。
関羽は杜夫人に惚れる
関羽は、杜夫人を戦利品として、自分の妻にしたいと、曹操に何度も何度も要請するようになります。あの朴念仁の関羽が女に心を奪われるとは!!・・・・・
関羽のしつこい要請が逆効果
ところが、執拗な関羽の要請は仇になりました。余りに関羽がしつこく杜夫人を妻にくれというので、あまのじゃく曹操は、杜夫人に関心を持ってしまいます。
曹操:「あの関羽が、あれほど欲しがる女はどんなヤツか、まず、試しに会ってみておくか・・」
曹操は、杜夫人に会うや、その美貌に一目惚れして、関羽との約束を一方的に反故にして自分の妻にします。関羽大失敗、こうして杜夫人は曹操の13名の妻の一人になります。
その後、袁術も滅び、拘留されていた秦宜禄は、曹操の配下の武将として再出発を切りますが、哀れ、自分の妻を寝取った男の部下とは秦宜禄の心境も複雑だったでしょう。
謀反を決意する劉備
しかし、西暦199年袁紹との戦いに踏み切った曹操が、下邳を離れると、部下だった劉備は袁紹に呼応して反旗を翻します。張飛は、留守番の秦宜禄を訪ねて寝返るように説得します。
張飛:「あんたは、いつまで、自分の女房を寝取った男に仕えるつもりだ?
キン○マはついてないのか!男なら一矢報いようと思わんか!」
秦宜禄は、張飛の説得に一度は、決心して謀反を決意します。
(でも、これでいいのか?曹操に背いた所で、妻が戻るわけでもないし、正直、元サヤを望んでいるわけでもないし・・)
秦宜禄は、結局、途中で決心を鈍らせて、やっぱり謀反はしないと張飛に相談します。
結局、張飛に殺される秦宜禄
「お前は一体、どっちなんだ!!お前みたいな優柔不断なヤツは、こうしてやるっ!!」
「ぎゃああああああ!!!」
秦宜禄は、こうして怒った張飛に殺されてしまいます。
杜夫人と曹操の関係は?
杜夫人は、曹操との間に、男二人に女一人の総勢3名の子宝に恵まれます。
生まれた男子は、曹林(そうりん)曹袞(そうえん)でいずれも王の地位に封じられ、娘の金郷公主は、何晏(かあん)という、曹芳政権の実力者の妻に収まります。また、杜夫人には、前夫、秦宜禄との間に秦朗(しんろう)という子供がいましたが曹操は、この夫人の連れ子も可愛がり曹一族ではないのに目を掛けていました。
秦朗はどんな人だったの?
秦朗は無能な人物でしたが、無能故に曹丕に警戒される事もなく、遊び暮らして、明帝、曹叡の時代には、驃騎将軍のような要職を歴任し、これといって諫言をする事もなく帝に気に入られ無難な人生を送りました。
杜夫人は息子の曹林が沛王になった事で沛王太妃と呼ばれ、魏の王朝内で一定の権力を奮う立場にあったそうです。
最初の夫と意図せずに別れるというアクシデントがあったもののその後は、夫、曹操にも寵愛され、息子や娘も高位に昇った杜夫人、彼女の人生は、悪くないものだったと言えるでしょうか。
こちらの記事もよく読まれています
よく読まれてる記事:孫権の妻たちは意外と知られてない?
よく読まれてる記事:妻子を人質に取られすぎな劉備
よく読まれてる記事:三国志の覇者・曹操の妻13人を紹介!
よく読まれてる記事:黄夫人のことを知ると、三顧の礼の真相が分かる?