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この記事の目次
趙高 李斯も殺害、絶対の独裁者になる
趙高の計画に乗った李斯は、趙高のあまりの暴政に恐怖します。既に中国各地では、陳勝・呉広の乱を契機に暴動が多発しているのに趙高は、大した手も打たずに自分の邪魔になりそうな人間を殺しまくっているだけだからです。李斯は必死になって胡亥に諫言しますが、既に趙高に丸め込まれている胡亥は理解出来ませんでした。
趙高は、こうして足手まといになった李斯も冤罪で処刑します。
「浅はかであった、、このままでは万人の血と汗で築き上げた秦が滅ぶ」
李斯は保身の為に趙高の口車に乗った自分を悔いながら死にます。
趙高、皇帝胡亥を馬鹿にする
李斯を葬り絶対権力者になった趙高ですが、いざという時に、どれだけの秦の重臣が自分につくか不安になりました。そこで、座興と称して胡亥の前に鹿を連れてきて言いました。
「陛下、これは御存じの通り、馬で御座います」
胡亥はそれを聴いて大笑いします。
「普段は真面目なそちでも冗談を言う事があるのだな、それは、どう見ても鹿ではないか?」
すると、趙高は、整列する文武百官に1人1人に
「これは馬か鹿か?」と質問して回りました。大半の重臣は「馬」と答え、一部は鹿と答えたり、また無言で回答を拒否した重臣もいました。趙高は、無言、或いは鹿と答えた重臣の顔を覚えておき後で、冤罪にかけて全て処刑しました。
胡亥はあまりにも、馬と答える家臣が多いので、自分はおかしくなったのではないか?と不安になり医者に診てもらったそうです。これが有名な、物事の道理を知らない人間の代名詞である、馬鹿の語源になります。
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反乱軍、帝都咸陽に迫る、その時、趙高は!
紀元前、207年、反秦連合軍の一角である、沛の劉邦(りゅうほう)率いる楚軍が咸陽に迫りました。趙高は、もはや胡亥に嘘を言って騙しとおす事は不可能と悟ります。そして、胡亥を殺して、これまでの暴政の責任をなすりつけ、あろうことか、自分は被害者のような顔をして劉邦にすり寄ろうとします。
ひっでー、余りにも汚いヤツです!!しかし、劉邦は趙高の手紙を相手にする事はありませんでした。進退極まった趙高は、今度は自分が死に追いやった扶蘇の子供である子嬰(しえい)を3世皇帝に即位させて、全ての責任を覆いかぶせようとします。
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趙高の無残な最期
子嬰は、これまで秦帝国を喰い物にしてきた趙高を激しく恨んでいました。そこで、計略を思いつき
「皇帝に即位してもいいが、呼びつけられるのは不快だ、用事があるなら自分で挨拶に来い」
として、趙高に自分で屋敷に来るように言いつけます。趙高はカチンと来ますが、「一度の辛抱」と作り笑顔を浮かべて、子嬰の屋敷にのこのこやってきます。
それが趙高の最期でした、屋敷には武装した子嬰の家臣がいて、趙高を滅茶苦茶に斬殺します。子嬰は3世皇帝に即位し、趙高の一族を全て誅殺しました。
劉備の先祖、劉邦の男気に溢れる処置
直後に、子嬰は咸陽を開城して劉邦軍を入れます。そして、自分の命と引き換えに咸陽の全ての人間を助けて欲しいと言いますが、劉邦は、子嬰の行いを立派と誉めて命を助け、さらに、軍には略奪を禁止して咸陽を無傷で残しました。
結局、後から項羽(こうう)の本隊が咸陽に入り子嬰は殺されて、咸陽は略奪の被害に遭いますが、咸陽の人々は劉邦の心の広さを覚えていて、劉邦が天下を取るまで協力を惜しみませんでした。
はじめての三国志ライター kawausoの独り言
この劉邦は三国志の英雄、劉備(りゅうび)の遠い祖先です。いかがですか?振舞いや態度が劉備に似ていますよね?
それにしても趙高の悪事は凄まじい限りです。元々は、ただ、真面目で法律に詳しいだけだった趙高が、こうまで変質してしまった背景には、権力を維持する為にやらなければやられるという悪循環に陥った事があります。敵を排除すれば排除するだけ秦は弱くなり滅亡への道を突き進んでしまう。元々、自分で築いたのではない天下を身の程知らずにも奪おうとした事が趙高の悲劇の末路を産み出したかも知れません。
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—熱き『キングダム』の原点がココに—