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始皇帝の息子、胡亥(こがい)ってどんな大馬鹿野郎だったの?

2015年8月14日


劉禅

 

三国志で、無能の代表とされるのは、蜀の二代皇帝の劉禅(りゅうぜん)です。

彼の幼名の阿斗(あと)は、無能の代名詞である阿保の語源になりました。

一方でキングダムの時代の始皇帝の子である2世皇帝、胡亥(こがい)には

馬鹿という代名詞がついています。

 

人民の苦しみも知らず、佞臣趙高(ちょうこう)に踊らされた胡亥の人生を振りかえってみましょう。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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始皇帝の末子に生まれ可愛がられる胡亥

胡亥

胡亥の生年は、紀元前230年説と紀元前221年説があります。

もし、紀元前221年だと、父始皇帝が死んだ時には11歳という

事になり少年皇帝だった事になります。

一方で紀元前230年だと20歳と成人したばかりです。

 

いずれにしても、始皇帝(しこうてい)は末っ子の胡亥を可愛がり、

いつも側においていたようです。

 

胡亥には趙高(ちょうこう)が家庭教師としてついた

趙高 キングダム

始皇帝は、胡亥に趙高を家庭教師としてつけます。

趙高もまた、始皇帝のお気に入りであり、

これは、胡亥への期待の表れと言えるかも知れません。

 

同時に、趙高に近いという事は、胡亥を破滅へと導く

最初の導火線になっていました。

 

転がり込んだ皇帝の位、そして大粛清

 

 

紀元前210年始皇帝が巡幸途中に死ぬと、趙高と李斯(りし)

結託して、遺言書を書き換え、後継者と指名された長子の扶蘇(ふそ)と

蒙恬(もうてん)に死を与えて排除し末子の胡亥を皇帝に擁立します。

 

胡亥「どうして、兄を差し置いて私が皇帝なのか?

趙高、私はそのような気分にはなれぬ」

趙高「陛下、もう先帝の遺志は告げられたのです。

もし、貴方様が断るならば、別の御兄弟が皇帝になります。

彼等は一度は皇帝に指名された貴方を生かしておくでしょうか?」

 

趙高は、このようにして胡亥を脅します。

部下であるだけでなく、家庭教師でもある趙高の言い分を

胡亥は受け入れるしかありませんでした。

 

趙高「何も御心配には及びません、汚い仕事は趙高めに

お任せになり、陛下は天子としてご存分に生活をお楽しみ下さい」

 

胡亥は趙高の言うがままに、後宮に入り浸り、酒と女と、

美食の毎日を送ります。

 

その間に趙高は、胡亥の兄弟、姉妹、始皇帝の血縁者で、

胡亥即位に異を唱えるものを尽く殺戮しました。

 

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胡亥、父の事業を強力に推進する

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血縁のみの力で皇帝になった胡亥は、偉大な父、始皇帝の残した事業を

完成させる事に並々ならない情熱を傾けました。

屋根に1万人が座れたという阿房宮や、始皇帝の陵墓である驪山陵造営、

そして、北の匈奴に対抗する為に数十万という規模の徴兵をするなど、

膨大な人力と金が掛かる事業を、強力に推進したのです。

 

李斯のような実務派の官僚はそれを批判して大土木工事を控えて

民力を休養させるように胡亥に諫言しました。

 

「無礼な!偉大な父の事業を継承せずして子の面目が立つものか!」

 

胡亥は、そのような諫言を父を侮辱されたように受け取ります。

こうして、意固地になった胡亥は、官僚達を疎ましく思うようになり

自分に都合のよい報告ばかりをする趙高をますます信じるようになります。

 

陳勝、呉広の乱が勃発するが・・

劉備 関羽途方 ぶち切れ

 

紀元前209年、皮肉にも驪山陵の人夫として徴用されていた

陳勝(ちんしょう)と呉広(ごこう)と900名余りの人員が蜂起しました。

反乱は、瞬く間に全土に飛び火し、100万人が参加する大反乱になります。

ところが、宮廷の胡亥には、その情報は一切入りませんでした。

趙高が、全ての情報を握りつぶしていたのです。

そればかりか、胡亥は、さらなる贅沢を追求して国民の負担を重くします。

 

胡亥、趙高により馬鹿にされる

 

 

陳勝と呉広の叛乱は、秦の最期の名将、章邯(しょうかん)の活躍と、

反乱軍の内部崩壊で自滅しますが、今度は項梁(こうりょう)と項羽(こうう)が

中心になる反秦連合軍が台頭します。

章邯は、項羽に敗れて投降し、秦の命運は風前のともしびになりました。

 

趙高は、これ以上、胡亥に真実を隠し通す事は出来ないと悟り、

これを殺す事を決意しますが、クーデターに、どの程度の家臣が

賛成するか不安でした。

 

そこで、ある時、胡亥の前に鹿を引っ張ってきて言いました。

 

趙高「陛下、これは御存じの通り馬で御座います。」

 

胡亥「はっは、丞相、何をいう、これは鹿であろう?」

 

すると、趙高は、文武百官に、1人、1人、馬か鹿か質問し、

鹿と答えたものと、沈黙したものを、後で罪に陥れて殺します。

 

こうして、宮廷から胡亥の味方は消滅しました。

 

関連記事:秦の為に戦い秦人に恨まれた名将 章邯(しょうかん)

 

胡亥、趙高を追求するが・・

 

 

紀元前207年に入ると、反秦連合軍の1人、劉邦(りゅうほう)が、

秦の都、咸陽に迫ります。

 

ここまで来ては、もう胡亥の耳にも秦の危機は

伝わるようになっていました。

 

胡亥は趙高を呼び付けて、責任を問いますが、

趙高は責任逃れに終始しました。

 

 

二世皇帝胡亥の惨めな最後

 

 

(もう、駄目じゃ、胡亥を殺して全ての責任を押しつけねば)

 

叱責された趙高は、自分の娘婿の閻楽(えんらく)を呼びつけます。

彼は宮廷の警護を任されていて1000名の兵を与えられていました。

 

趙高「命令じゃ、天下万民の敵、胡亥を斬れ、出来ないならお前の一族を殺す」

 

閻楽は止むなく、1000名の兵を持って、宮殿内に突入し、

わけがわからないでいる御衛の兵を殺して建物の中に侵入します。

 

兵士を見て、胡亥の周辺の女達や、家臣は蜘蛛の子を

散らすように逃げ去りました。

 

一部は勇気を奮い起し、警護の兵に立ち向かいますが、

多勢に無勢で空しく斬られました。

 

胡亥は逃げ遅れた位の低い宦官を掴まえて聞きます。

 

胡亥「おい、お前は随分前から朕に仕えていただろう?

どうしてこのような事になるまで朕に何も言わなかったのだ!!」

 

宦官「あんたは馬鹿か?あんたに何も言わなかったから、

俺は今まで生きてこれたのだ!」

 

閻楽は、1000人の兵士で胡亥を取り囲みます。

 

閻楽「逆賊、胡亥、あなたの悪運もこれまでです、潔く自決して下さい」

 

胡亥「これは、どういう事だ?丞相に合わせてくれ事情を聞きたい」

 

閻楽「出来ませぬ、早く、お覚悟を・・」

 

胡亥「分かった、、では天下は丞相に譲る、ワシは秦王の位でよい」

 

閻楽「出来ませぬ、お早く覚悟を決めて下され」

 

胡亥「分かった、命が助かるならば家族共々平民でもよい」

 

閻楽「私は、あなたに自決を促すように命じられたのです。

それ以外の要望は一切聴けません」

 

胡亥「うう・・あああ・・この通りだ、どんな身分でもよい、

せめて命だけは助けてくれ、丞相に取り継いでくれ!」

 

胡亥は、なおもグズグズと恨み事を述べましたが、

閻楽に強迫され、急かされるように自殺しました。

 

亨年は24歳とも15歳とも伝わります。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

馬鹿の代名詞とされる胡亥ですが、その人生を見る限り、

特段の馬鹿であるようには思えません。

もちろん、趙高を排除できるような胆力も知略もないので、

希に見る英傑でもありませんが、いわゆる普通の人でしょう。

 

胡亥の最後の命乞いを見ると、なおさら、普通の人が、

皇帝に上りつめるのは悲劇でしかないなと思います。

 

まあ、胡亥は自力で皇位を望んだのではありませんが、

佞臣、趙高と関係が近かったのが悲劇の元ですね。

 

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どうも、kawausoでーす、好きな食べ物はサーモンです。
歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。
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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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