項羽(こうう)には騅(すい)豪傑には名馬が似合います。
どちらも千里を駆けると謳われた名馬ですが、
あえて比べてみるとどっちが凄いでしょう?
はじさんでは、名馬対決として、この両者を比べてみます。
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赤兎馬VS騅、能力勝負
赤兎馬は、呂布伝によると、城を駆け抜け、掘を飛び越えるとして、
かなり身体能力が高い馬であるとされています。
赤兎馬の子孫と考えられるアハルテケにも、障害物競技に適した馬が
いる事から、身体能力は抜きん出ていたと言えるでしょう。
一方の騅は、項羽の馬というだけで、これという身体能力の高さを示す逸話はありません。
ただ、項羽自身の言葉として、この馬に乗って5年、向かう所敵なし
千里を走る名馬だと語っている所から、勇敢で速度は速かった
という事になるかと思います。
しかし、具体的な身体能力が記載されている分で、能力勝負は
赤兎馬の勝ちという事になるでしょう。
赤兎馬VS騅、色対決
赤兎馬は、名前から赤いイメージがありますが、
体が赤い馬というのは、自然界では誕生しないようです。
ですので、汗血馬の名称の通り、汗が赤い色をしていたか、
あるいは、たてがみが赤かったか、、
または、京劇の影響から顔の赤い関羽のイメージにあやかり、
赤い色という事になったかではないか?と思います。
一方の騅は、漢字そのものが色を示していて、青みがかる白を意味し
後漢書の釋畜(しゃくちく)云にも、「蒼白雑毛,騅也」とある事から、
青白い馬であったという事が記録されています。
騅は烏騅(うすい)と書かれる事もあり、これだと黒馬になりますが
後漢書や、史記には烏騅という表記はない事から、
これは後世の創作だと考えられます。
色対決では、はっきりと色についての記述が残る騅の勝ちですね。
赤兎馬VS騅、忠義対決
名馬といえば、飼い主との絆も大切です。
馬は飼い主を選ぶと言われていて自分を大切にしてくれた
飼い主の事は生涯忘れる事はないという程に愛情が深い動物です。
赤兎馬と言えば、関羽との絆が有名で、飼い主の関羽の死後には、
餌を食べなくなり、衰弱死したと伝わります。
一方の騅はどうかというと、こちらも負けていません。
項羽が垓下城で漢の大軍に包囲された時、
最後の出撃の前に詠んだ歌にも騅が出てきます。
力は山を抜き気は世を蓋う
時利あらず騅逝かず
騅逝かざる奈何すべき
虞や虞や若を奈何せん
この歌の意味は、大体以下のようです。
山を抜く程の力、世の中を覆う程の気概を持った私だが
天は味方をしてはくれなくなった。
もう愛馬の騅も動こうとはしない。
これでは、どうして戦う事が出来ようか?
虞よ虞美人よ、君をどうすればいいだろうか
このように項羽は、劉邦の漢軍に追い詰められ、
愛馬の騅も疲れ果てて動かないという状況を切々と歌い、
愛人である虞美人をどうすればいいのか?
と強く嘆いています。
翌朝、最後の突撃に打って出た項羽は、雲霞のごとき
漢軍を突き崩し、遥か長江のほとりまで逃げのびます。
そこで、項羽を慕って船で待っていた呉中(ごちゅう:項羽と項梁が旗揚げした土地)
の亭長に、もう一度、呉中に渡って再起する事を持ちかけられますが、
項羽は感謝の言葉を残して断り、亭長には「乱戦で殺すに忍びない」として
愛馬の騅を与えています。
そして自身は、僅かな兵士と共に漢軍の只中に飛び込み壮烈な戦死を遂げるのです。
しかし、ドラマはまだ終わっていませんでした。
呉中の亭長の船に乗せられた騅は、項羽の危機を感じ取ると、
船の上で暴れ、一鳴きして長江に飛び込みました。
そして、項羽と別れた河岸に向かって泳ぎ続けますが、
途中で力尽き溺死してしまったという事です。
三国志ライターkawausoのヒヒ―ン判定
偉大な武人を背に乗せた事で、歴史に記録が残る赤兎馬と騅、
身体能力では赤兎馬が秀でていますがその主人を思う心情の深さにおいては、
長江に飛び込んでまで項羽を助けようとした騅には及びません。
よって、三国志ライターkawausoの独断と偏見で4対6で名馬対決は、
項羽の愛馬、騅の勝ちと致します。
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