朝まで三国志悪
北伐




はじめての三国志

menu

はじめての変

衝撃の事実!赤兎馬の子孫が判明!?

この記事の所要時間: 423

赤兎馬

三国志演義を語る上で常に出てくるのが呂布(りょふ)

そして呂布と関羽(かんう)の愛馬だった赤兎馬(せきとば)という存在です。

 

一日に千里(414キロ)を走り、史記には「血を汗のように流して走る」

と書かれた為に汗血馬(かんけつば)とも呼ばれる赤兎馬ですが、

その子孫と考えられている馬が遥かトルクメニスタンで国の宝、

アハルテケとして大事に飼育されているという事をご存じでしょうか?

 

 

赤兎馬って何?

赤兎馬 呂布

 

アハルテケについて説明する前に赤兎馬について説明しましょう。

赤兎馬は、当時中国にいた馬とは比較にならない程に大きく、

その並はずれた身体能力から演義だけに登場する架空の馬のように

思われていますが、しっかり実在する馬でした。

 

演義では、呂布が最初に所持し、その後、関羽の乗馬になります。

 

関連記事:呂布、関羽の愛馬・赤兎馬が気になってたまらない

関連記事:赤兎馬ってどんなウマ?呂布も関羽も愛した名馬

 

赤兎馬が実在したその根拠とは?

呂布 英雄石像

 

赤兎馬は、後漢書の75巻、劉焉・袁術・呂布列伝にこう記載があります。

 

布常御良馬 號曰赤菟 能馳城飛塹

 

この意味を現代文にすると、呂布は、良馬に乗っていた。

名前を赤菟(せきと)と言い、よく城を駆け抜け掘を飛び越えた。

というような意味になります。

 

また正史三国志の呂布伝によると、呂布が袁紹(えんしょう)の客将だった頃に、

袁紹の頼みで張燕(ちょうえん)という敵を倒しているのですが、ここでも呂布は、

いつも赤菟 という良馬に乗り、敵陣に突撃して張燕を撃ち破ったとあります。

 

この事から、赤兎馬は実在した馬であり、演義の創作ではないという

事が窺い知れるのです。

 

関連記事:初めてでも大丈夫!楽しい正史 三国志の読み方

関連記事:反菫卓連合軍の崩壊・・・それは、袁紹・袁術の確執から始まった

 

どうして、赤兎馬の子孫がアハルテケだと言える?

 

赤兎馬の子孫がどうして、トルクメニスタンのアハルテケであるのか?

に関しては、このトルクメニスタンが三国志の時代に

安息(あんそく)国と呼ばれていたという事に関係があります。

 

この土地にはパルティアという精強な騎兵を持つ国家があり、

前漢の武帝が送り込んだ冒険家の張鷹(ちょうけん)は、

この土地が名馬の産地であるという事を報告し

司馬遷(しばせん)は史記に、その事を汗血馬として記載しています。

 

武帝は匈奴との戦いで、体格の劣る中国の馬ではなく、

匈奴にも対応できる大型の馬を求めていました。

そこで、この安息国から馬を買い求めて、漢の軍事力を強化したのです。

 

アハルテケは、世界でも最古と言われる古い種の馬ですから、

赤兎馬は、この安息国の産地である可能性が高いのです。

 

関連記事:後漢末から三国時代の世界情勢はどうなってたの?

関連記事:誇りを失ってもなお……『史記』を書いた司馬遷の執念

 

普及していたパルティアショット

騎馬兵 騎馬軍団

 

中国には、この安息国産のアハルテケが輸入されると同時に、

当時、無敵を誇った弓法であるパルティアショットも輸入したようです。

 

これは、馬に乗ったまま、敵を全速力で追い越して、振り向きながら、

弓を射るという方法で、相当な技量を必要としました。

 

曹操軍では、曹真(そうしん)がこのパルティアショットの名手でした。

ここからもパルティアと中国の関連性は大きく大量の名馬が

輸入されたのは疑いがないと思われます。

 

関連記事:曹真が余計な事をするから邪馬台国の場所が特定出来なくなった?

関連記事:無敵の騎馬軍団を初めて軍に取り入れた趙の武霊王

 

トルクメニスタンの宝 アハルテケ

トルクメニスタン wiki

 

トルクメニスタンは中央アジアの国ですが自国の特産である、

アハルテケを国の宝と考え自国の貨幣や国旗の中央にもデザインしています。

 

以前、トルクメニスタンがソビエトに属していた頃の事、

馬の価値に無理解なソビエト政府の命令でアハルテケを

食肉用として屠畜する命令が出ました。。

 

アハルテケは多くが殺され、僅か1250頭しか残らなかったそうです。

 

その事を教訓としてトルクメニスタンは独立後、アハルテケを

数頭の競売用以外は売却しないで繁殖させ、今は2000頭までは

数を増やしています。

 

アハルテケには幻の名馬であり全世界に3500頭しか存在せず、

金銭に換えられない価値があります。

 

それを利用してトルクメニスタン政府は、友好国への贈物として、

アハルテケを贈答しているようです。

 

関連記事:劉備も関羽もイスラム教徒?中東シリアで流れる三国志アニメ

関連記事:的盧は名馬なの?凶馬なの?劉備と龐統(ホウ統)の死

 

アハルテケとは、どんな馬?

アハルテケ wiki

(写真は実際のアハルテケ)

アハルテケは、体高が160センチと大きく金属光沢がある毛並みをしています。

黄金色の毛並みまであり、彫刻したような神々しい美しさを誇る馬もいます。

 

顔はシュッとしていて、瞳はアーモンドのような形、背中が広く筋肉質で

肩は傾斜していて、皮膚が薄く、全身に贅肉がありません。

 

狩猟犬にグレイハウンドという種がいますが、その馬バージョンのようです。

 

トルクメニスタンは、乾燥地域で水が充分ではありません。

そこでアハルテケは厳しい環境に適応していて、持久力が高く、

記録によれば、1935年にトルクメニスタンの首都、アシガバードから

ソビエトの首都モスクワまで4023キロを84日間で走破したと言われます。

 

378キロの砂漠も走破したアハルテケ

アハルテケ

その中には、378キロの砂漠がありましたが、

その間、3日間、水無しだったようです。

 

砂漠を走破するだけでも大変なのに人を乗せて走り3日水も飲めない

というのですから、その耐久力は一級と言えるでしょう。

 

また、アハルテケは生涯、1人の人間にしか懐かないと言われます。

命を預けるパートナーを選び人への愛情が深い馬なのです。

 

赤兎馬とアハルテケの共通点

裏切り 呂布

 

赤兎馬とアハルテケの共通点は、その姿の美しさがあると思います。

赤兎馬は、ただ速いだけではなく、姿が美しかったからこそ、

呂布に愛され、大きなステイタスになったからです。

 

そして、軍馬としては、過酷な環境に耐えるタフさも要求されます。

その生涯の大半を戦場で過ごした呂布の乗馬として赤兎馬は

苛酷な使われ方をしたでしょうが、へばったり呂布の命令を拒否していません。

ここはアハルテケの苛酷な環境に耐えるタフさが現れています。

 

また、アハルテケは姿の美しさと体の無駄の無さから障害飛び越え競技の馬として

有名ですが、これは、後漢書で紹介された城を駆け抜け、掘を飛び越えるという

描写に反映されているように思えます。

 

関羽が死んだ後、赤兎馬はどうなったの?

関羽 死

 

それから、これは演義の話ですが、関羽が死んだ後、赤兎馬は、

呉の馬忠(ばちゅう)に与えられますが餌を食べなくなり死んだと記録されます。

 

これは、生涯、1人の人間にしか懐かないというアハルテケの特徴、

そのままではないでしょうか?

 

関連記事:関羽の死|桃園三兄弟の悲しい別れ

関連記事:関羽が生涯に斬った主な敵将を紹介

関連記事:ちょっと悲しい桃園三兄弟(劉備・関羽・張飛)の最期

 

アハルテケや赤兎馬は速かったのか?

関羽千里行 ゆるキャラ

 

赤兎馬は、一日に千里(414キロ)を走ると言われましたが、

馬の時速である70キロで考えても、6時間フル走行になります。

機械じゃあるまいし、とても考えられない数字です。

 

実際には、馬が一日に走る距離は、精々数十キロで無理をさせたりしません。

馬は体の構造上、4本足の先は一本の指にあたり、とても繊細です。

骨折でもしようものなら、その巨体を起す事も出来なくなり、

薬殺するしかなくなる程です。

 

戦場で馬に求められるのは、瞬間的な速さであり、

それは時速70キロという速度で充分クリアしていると言えます。

赤兎馬が千里を走るというのは、その速度で一日走れば、

414キロは走破できるよ、という誉めたたえる言葉だったのだと思います。

 

関連記事:関羽千里行って有名だけど何なの?

関連記事:赤兎馬(せきとば)が活躍できたのは武霊王のおかげ

 

 

こちらの記事もよく読まれています

近藤勇と関羽

 

よく読まれている記事:関羽に憧れていた新選組局長の近藤勇

 

曹操を逃す関羽

 

よく読まれてる記事:曹操の命乞いで関羽が曹操を逃がす

 

兵士

 

よく読まれてる記事:三国志時代の通信手段は何だったの?気になる三国時代の郵便事情

 

 

この記事を書いた人:kawauso

kawauso

■自己紹介:

どうも、kawausoでーす、好きな食べ物はサーモンです。
歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。
もちろん、食べるのはサーモンです。

関連記事

  1. 集まれ曹操の25人の息子たち・その1
  2. 呂布だけじゃない!こんなにいる董卓の優秀な側近4選
  3. 狂気!我が子を後継者にしなかった夫への報復!袁紹の愛人5人を切…
  4. 【水滸伝】なっとくできるか!本を捨てたくなるヒドイ結末
  5. 中華十弓は実在したの?仁淡兄弟は中華十弓に入れるの?
  6. 玉(ぎょく)が大好きな中国人
  7. 孔明の罠初登場(笑)新野で曹操軍を翻弄
  8. 三国時代の税金の種類と分類をわかりやすく解説!税制がわかると三国…

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 【おんな城主・井伊直虎を見逃した方へ】第30話「潰されざる者」の見どころをご紹介
  2. 【軍師連盟】晩年の司馬懿には欠点はなかったの?
  3. 【センゴク】なんで西の覇者・毛利家は織田信長と敵対し続けたの?
  4. 袁紹と袁術の仲が悪くなった理由は劉虞が原因か!?【黒田レンの考察】
  5. 三国最強であった魏はなぜ滅びることになったの?【曹操編】
  6. 王郎(おうろう)とはどんな人?光武帝を苦しめた自称漢のプリンス

三國志雑学

“広告募集"

はじめての三国志 書籍情報


著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

おすすめ記事

董卓は実は名将軍であるという根拠 鄭渾(ていこん)とはどんな人?民衆の利益を第一に考えた魏の行政官 驚愕!蜀漢の塩の精製が意外にハイテクだった! 劉備暗殺計画|甘露寺の婚儀と錦嚢の計 その1 【蜀の滅亡へのカウントダウン】こうして蜀の国は滅びへ至った 【週間まとめ】はじめての三国志ニュース14記事【10/2〜10/8】 張嶷(ちょうぎょく)とはどんな人?異民族討伐のプロであり陳寿も認めた忠義と信義【後編】 山本勘助(やまもとかんすけ)は実在したの?今まで架空の人物だとされていた勘助の謎

おすすめ記事

  1. 【センゴク】想定外!織田信長を討った明智光秀の誤算ってなに?
  2. 三国ベースボール攻略1 三国志キャラが登場する野球ゲームに挑戦!
  3. 10話:実は、最初から作戦に失敗していた黄巾賊
  4. 黄忠や厳顔のような老兵は実際に戦争では最前線に立っていたの?
  5. 【3分で分かる】卑弥呼の重臣・難升米(なしめ)とは何者なの?
  6. 【お知らせ】はじめての三国志メモリーズに3名の猛将を追加しました
  7. 133話:公孫淵の反乱と司馬懿の台頭
  8. はじめての三国志 4コマ劇場 「長坂橋を死守する張飛くん」

はじさん企画

袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
PAGE TOP