凌統(りょうとう)と言えば、呉将の凌操(りょうそう)の息子で、甘寧(かんねい)との因縁で有名です。しかし、それ以外の事で凌統が知られている事は少ないと思います。甘寧と関わる事で呉将ではメジャーな扱いの凌統の意外な意外な人生を追います。
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凌統、父の後を継いで16歳で呉に仕官
凌統は字を公績(こうせき)といい、西暦189年、楊州呉郡、余杭県に生まれます。父の凌操は名将でしたが、205年に孫権(そんけん)が父の仇討ちとして、江夏の黄祖(こうそ)を攻めた際に、黄祖の将だった甘寧(かんねい)に射殺されました。
※これには異説もあります。
それにより、父に代わり、16歳で父の軍勢を引き継いで呉将に加わります。西暦206年、凌統は異民族討伐に従軍しますが上司だった督の陳勤(ちんきん)が嫌な男で酒宴で好き勝手に振舞いました。凌統は、我慢している皆に代わり、面と向かい陳勤を注意しました。しかし、それが陳勤の気分を害したようです。
陳勤のターゲットは、凌統個人になりました。ネチネチと繰り返される凌統や、亡き父、凌操への暴言と悪口、それでも凌統は「酒の席の事だから」と涙を流しながら必死に我慢します。まだ、16歳なのに、かなり強い自制心の持ち主のようです。
帰り道まで続く罵詈雑言に凌統キレる
ようやく不愉快な酒宴を終えた凌統ですが、悪酔いしている陳勤は、さらに帰る凌統を追いかけてまで罵倒します。それには、さすがに凌統の堪忍袋の緒が切れました。凌統は振り返ると、陳勤を刀で斬りつけたのです。陳勤は、大けがを負い、その傷が元で数日後に死にました。
ただ、凌統が陳勤を殺した様子は誰も見ていませんでした。しかし、責任を感じた凌統は、この上は敵陣に突っ込んで死のうと決意し自ら異民族に猛攻を仕掛けますが、返って大勝利して手柄を立てます。
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死ねなかった凌統は孫権に自首するが・・
凌統は、結局、孫権(そんけん)に自ら陳勤を斬ったと自首しました。本来なら上官を斬るのは法に照らして厳罰ですが、孫権は、陳勤の態度が日頃から悪く、よい噂が無い事、そして、凌統が抜群の武功を立てる名将である事、孫権の酒癖も相当悪く、凌統がキレる気持ちも分からんでもないなぁ 。などから、凌統を許し、「手柄を立てて罪を償え」と激励します。
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