さて、「はじめての孫子」第7回目です。
戦わずして勝つのが最上の策であり、
戦わざるをえない場合は勝つための態勢を整えてから戦わなければいけない。
ここまで孫子はそう主張しています。
しかし、実際の戦場においては偶然の要素がどうしたって絡んでくるものではないか?
そういう疑問が出てくるのも当然です。
孫子は戦いにおける偶然性を無視していたわけではありません。
むしろ、その偶然性をコントロールすることこそが、
合戦においては重要であると語っています。
そして、その偶然性を大きく左右するのが、
軍(兵)の勢いであると、孫子は唱えています。
前回記事:【はじめての孫子】第6回:勝つために最も大切なことは智謀でも勇気でもなく、緻密な計算
この記事の目次
「形篇」の要点
- 軍を自分の手足の如く扱えるよう、準備を整えよ
- 戦いとは正攻法と奇策のせめぎあい。そこに、勢いが生じてくる
- 蓄積された力を一気に放出して、勢いを作れ!!
- 軍を勝利させるのはその勢いであって個人の武勇ではない
軍隊を手足のごとくコントロールし勝利するための四要素「分数」「形名」「奇正」「虚実」
指揮官がいかに有能であっても、兵士が指揮官の指示に従わなかったり、
命令がきちんと伝達できなければ、戦に勝つことはできません。
命令の伝達が遅れ、部隊がのろのろと行動していれば、
敵はすかさずその隙をついて攻勢に出てくるでしょう。
孫子は指揮官が指揮下の部隊を己の手足のように
自在に指揮して勝利するために必要な4つの要素を上げています。
ひとつ目は「分数」。ここでは部隊の編成を意味します。
軍隊は、小さな部隊が集まって構成されるものですが、
その構成人数や装備内容が部隊によってまちまちでは、
それぞれの行動が噛み合わず、全体として上手く行動することができません。
まずは部隊編成をきっちり行うことが重要であると孫子は説いています。
ふたつ目は「形名」これは全軍を指揮するための方法のことです。
無線機など、まだ影も形もなかった三国時代、
時に数万にも上る大軍を指揮するために用いられたのが、旗や太鼓、ラッパといった鳴り物でした。
司馬遷の指揮には、孫武(孫子)が呉王闔閭の前で、
後宮の女達を太鼓で指揮する場面が描かれています。
この時代、部隊の行動(前進、後退など)を指揮するために、
大きな音を出す太鼓や、目立つ旗を使って合図を送っていたのです。
孫子は軍を指揮するために必要不可欠なそうした鳴り物や旗をきちんと用意しろと説きます。
みっつ目は「奇正」。
これは定石通りの正攻法と状況に応じて臨機応変に行う奇策をきちんと使い分けることです。
そしてよっつ目は「虚実」。
事前の入念な準備を行うことで、装備も指揮系統も充実した軍隊を持って、
隙だらけの敵を討つことこそが重要である。
『実際に戦う前に勝つこと』を良しとした、孫子ならではの言葉と言えるでしょう。
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四つの要素の中で、一番重要なことは?
上記の4つの要素の中でも、孫子は特に正攻法と奇策を使い分ける「奇正」を重視していたようで、
奇策と正攻法の使い分けの複雑さ、難しさを別項を用意して説明しています。
その内容は、次の項目で説明致します。
正攻法と奇策の混沌が、戦いに勢いを生じさせる
いくら事前の入念な検討と算段を重視し、勝つための準備をしろと唱える孫子ですが、
一方で、彼は戦場の混乱が戦いに思わぬ方向への勢いを
生み出すことがあるということを知っていました。
戦場において、情勢は常に変化するものであり、定石通りの正攻法だけで勝てるものではありません。
巧みな指揮官とは、状況に応じてさまざまな奇策を打つことができる者であると孫子は説き、
その様子を太陽や星々の動き、あるいは悠久に流れ続ける長江や黄河に例えています。
有限の組み合わせが無限の複雑さを形作る戦場
戦いとは、正攻法と奇策、たったその二つから成り立っているにも関わらず、
その混ざり合い変化する様は、とても言い尽くせないほど複雑であると孫子は語ります。
音楽はたった5つの音階から成るにも関わらず、その調べの変化は無限大です。
色は青・黄・赤・白・黒のたった五色から成り立っていますが、
それが森羅万象、すべての色彩を生み出しています。
甘い、辛い、塩辛い、苦い、酸っぱいの5つからなる味覚も、
料理によってそれらは無限の組合させで変化し、およそすべての味を味わい尽くすことはできません。
そして、この正攻法と奇策の運用の組み合わせこそが、軍に勢いを生むことになります。
勢いこそが、敵を打ち破る要となる。
勢いづいた軍は、敵を容易に打ち破ります。
それはまるで、濁流が大岩を押し流しように、
あるいは猛禽類がはるか上空から急降下して一撃で獲物を仕留めるかのように。
優秀な指揮官は、正攻法と守勢を持って、軍の勢いを目一杯蓄積し、
そして機を見て奇策を持って一瞬のうちにこの勢いを解き放つことができます。
情勢の変化に対応できず、臆病になってしまうのは、勢いが足りないからなのです。
逆に言うなら、敵に十分勢いを蓄積させないことが、優秀な指揮官の条件でもあるわけです。
敵にまだ十分蓄積していない勢いを放つよう、敵を巧みに誘い出して裏をかく。
それが可能な者こそが優秀な指揮官であると孫子は説いています。
指揮官は兵士を選ばない。
いかに軍全体の勢いを勝利に結びつけるか。
勢いを作るために必要なのは、事前の算段や準備、正攻法と守りの姿勢であって、
ここの兵士の能力や武勇はこの際問題にはなりません。
一旦、勢いを獲れば、あたかも急な坂道で丸石を転がすように勝つことが可能となるのです。
勢いを得た張遼が勝利した合肥の戦い
214年、呉の孫権は10万の大軍を率い、魏の武将張遼が守る合肥を攻撃しました。
この時、張遼の元にあった兵士の総数はたった7000人、
数的にはとても太刀打ちできるものではありませんでした。
しかし、張遼はこのわずか7000人を指揮して、
呉の大軍を打ち破り敗走させることに成功します。
合肥の戦いにおける張遼はその無双ぶりから豪傑という印象を持たれる方も多いでしょうが、
孫子の教えを念頭に見ると、彼の別の一面が見えてきます。
確かに孫権は張遼をはるかに超える数の軍を率いていました。
ですがそれは、呉軍最大の弱点ともなったのです。
軍勢は大軍であるほど、柔軟な指揮を行うことが難しくなるのです。
孫子の言葉を借りるなら、この時の呉軍は「分数」と「形名」に問題があったに違いありません。
張遼はおそらくその弱点を見ぬいたのでしょう。
だから彼は指揮下の兵士から精鋭800名を選び、
牛肉を振る舞って彼らの士気を高めてその勢いを限界まで蓄積し、
一気にその勢いに乗って敵陣を突いたのです。
まさにそれは孫子の言う「奇正」に則った戦い方であったと言えるでしょう。
張遼は勇猛果敢な武将であり、戦況を冷静に見抜く才に長けた戦術家でもあったのです。
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三国志ライター 石川克世の次回予告
次回「はじめての孫子」は“虚実篇”。
戦いの主導権を握る重要性。
そして、兵力拡散の愚とはなにか?
それでは、次回もお付き合いください。再見!!
次回記事:【はじめての孫子】第8回:夫れ兵の形は水に象(かたど)る。