現在、東京国立博物館でも展示中の「始皇帝と大兵馬俑」
8000体という等身大の兵士や馬、それに160輌の戦車が埋められた
兵馬俑は圧巻の迫力を持っています。
もちろん、リアル志向の始皇帝は土で造った兵士達に丸腰ではなく
様々な武器を持たせて立っていました。
その武器の総数は4万とも言われますが、地下の兵士達の腕を飾った
秦の時代の武器とはどのようなものだったのでしょうか?
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この記事の目次
始皇帝の時代の武器 ① 鉾(ほこ)
鉾とは秦の時代にもっとも一般的だった武器で、突くという機能を持ちます。
突くという機能自体は槍にもありますが、鉾は中が中空でそこに木の柄を
差し込むようになっているのが槍とは違います。
※槍は反対に、金属の穂先を木製の柄に差し込む形になっています。
始皇帝の時代の武器 ② 鈹(ひ・ながほこ)
鈹とは剣に似ている長さ30センチの武器ですが
その根元に木の柄を差し込むのが剣とは違います。
武器の部分の長さばかりではなく、柄も長く4m近くありますから
全体では4m30センチという事になります。
誰が、こんな長い武器を振りまわしていたのでしょうか?
その剛力ぶりが偲ばれます。
始皇帝の時代の武器 ③戟(げき)
戟は方天画戟(ほうてんかげき)という呂布(りょふ)の得物としても
名前が残っています。
武器の形は、T字をしていて柄も長く遠心力を利用して敵に打ちおろします。
破壊力抜群ですが、柄が長く重く、扱うのは技術が必要です。
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始皇帝の時代の武器 ④殳 (しゅ・つえぼこ)
竹竿の先に8本のささらを束ねて造る武器とありますが具体的な形は不明
槍の一種のようで、先端の金属部分が発掘されています。
使い方としては、兵車の上から、下の敵兵をなぎ払うのに使用したようです。
始皇帝時代の武器 ⑤青銅剣
長さ90センチ程の真っ直ぐな青銅製の剣です。
青銅というとブロンズ色をイメージしてしまいますが青銅は混合する
錫(すず)の量が多いと茶色っぽい色から黄金色に変化します。
祭祀に使われた青銅は、恐らく荘厳な黄金色をしていたと思うので、
埋められた当初の青銅剣は、さぞかし輝いていた事でしょう。
始皇帝時代の武器 ⑥彎刀(わんとう)・金鈎(きんこう)・呉鈎(ごこう)
これは、切っ先が無い、両刃の剣で、湾曲しているのが大きな特徴です。
長さは62センチと剣としては短いですが、主に南方の呉の地方で、
製造されていたようで、呉鈎という名前があります。
始皇帝時代の武器 ⑦ 弩(ど)
弩はトリガーを持っている自動発射式の弓の事を意味しています。
通常の弓は引くのが大変である上にぶれやすく、命中させるのは大変でした。
それに比べると弩は、弓をセットしてしまえば後は任意の時に発射できる上に
よく狙いをつける事が出来反動もありません。
故に戦になれていない兵にも扱えるので広く普及しました。
また、弩には、ウインチ式の巨大で強力な物もありました。
始皇帝時代の武器 ⑧ 戈(か)
戈は戦車戦がメインだった、春秋戦国時代でお馴染みの兵器と言えます。
基本構造は、鉾や剣と同じですが、平たく幅広で、柄の先から、斜めに刃が
伸びているのが特徴です。
この刃を上手く使い、交差する時に敵戦車の装甲を破懐したり馬を傷つけたり
乗り組み員を引っ掛けて馬車から落したりしました。
戦争を開始する事を干戈を交えるというなど、一時期は戦場を代表する武器でしたが
戦車が廃れるにつれて、戈も消滅していきました。
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三国志ライターkawausoの独り言
これらの武器には、製造者の名前や、担当責任者、管轄まで刻まれていたようです。
それにより、これらの武器が誰によって造られたのか?
秦の時代から、漢字がどのように変遷していったのかが分かるようです。
それにしても、秦の時代に、湾曲した剣、呉鈎があったとは意外でした。
あまり漫画や小説では見ませんが、もしかしたら、キングダムでは、
呉鈎の使い手が登場したりするかも知れませんね。