はじめての三国志に住む歴史好きなネコ・廉です。
突然ですが来年の大河ドラマは誰がテーマか知っていますか。
来年は真田幸村をテーマにした「真田丸」を放映するらしいにゃ。
今回は大河ドラマ「真田丸」特集として、豊臣家の恩に報いるため、大阪城に入城。
その後大阪冬の陣と夏の陣で大活躍した毛利勝永(もうり かつなが)と蜀の劉備に忠義を尽くした趙雲(ちょううん)の共通点を探ってきたからみんなに教えてあげるにゃ。
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この記事の目次
趙雲と毛利勝永の共通点その1:主(あるじ)に忠義を尽くした武将
趙雲は三国に出てきた武将の中で一番忠義に厚い武将であるといっても過言ではありません。
彼は劉備に仕え、五虎将軍の位を与えられた名将です。
彼の忠義を示した戦いは、長阪の戦いです。
劉備は荊州を占拠した曹操軍の追撃を逃れるため、妻子を捨てて逃走します。
趙雲は逃走中に劉備の側にいるはずの妻子がいないことに気付き、少数の人間を従えて、大軍である曹操軍の中に突入。
劉備の息子である阿斗を救出
彼は必死に劉備の妻と子を探し、発見します。
しかし劉備の妻である糜夫人は重傷を負っており、助けられる状態ではありませんでした。
彼は糜夫人の救助を諦め、劉備の息子である阿斗を体に括り付け、曹操軍に突撃します。
曹操軍は大軍で趙雲とその軍勢に猛攻をかけてきますが、彼の抜群の武勇と鬼神のごとき強さを見せた彼の軍勢の前に曹操軍はなすすべがありませんでした。
趙雲は大軍である曹操軍の中から、劉備の息子を取り戻してきます。
劉備に対して忠義を誓っていないと大軍の中に突入などできません。
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豊臣秀吉に仕えた武将・毛利勝永
毛利勝永も主に忠義を尽くした武将です。
彼は豊臣秀吉に仕えた武将です。彼は秀吉と共に各地の戦場で戦い、実績を上げていきます。
秀吉は天下統一をした際、勝永の長年の実績を評価し、彼に領地を与えて大名にします。
勝永は秀吉によって国持大名にしてもらった恩を生涯忘れず、関ヶ原の戦いでは豊臣方である西軍に味方し、伏見城攻略戦で活躍します。
しかし関ヶ原の戦いは、徳川家康率いる東軍の勝利で終結。
勝永の領地は取り上げられ、土佐(現在の高知県)の大名である山内家に預けられる事になります。
山内家は勝永と旧知の間柄で彼や家族を厚遇し、不自由のない生活を送る事が出来ました。
勝永は土佐でのんびりと過ごしていましたが、秀吉の息子・豊臣秀頼と家康の仲は年々溝が深まっていきます。
そしてついに豊臣家と徳川家は一触触発の事態になります。
そんなある日秀頼から「家康と戦うため、大阪城に入城して共に戦ってほしい」と勝永に書状が届きます。
勝永はこの書状を見て感激し、大阪城へ入城する事を決意します。
しかし彼には一つ懸念があり、奥さんに「私は豊臣家に恩を感じており、勝ち目の薄い戦いであるが、豊臣家に味方するため大阪城に行こうと思う。しかし私が豊臣家に味方すればお前達に災難がかかるだろう」と涙を流しながら相談します。勝永から相談を受けた奥さんは「豊臣家に味方をするあなたは私たちの名誉です。私たちの事が心配で豊臣家に味方できないのなら、ここで私たちは自害してあなたの憂いを断ち切りましょう。」と毅然と言い放ち、夫を激励します。
勝永はこの言葉を聞き、豊臣家に味方するため大坂城へ向かいます。
豊臣から受けた恩を忘れず、勝ち目の薄い戦いへ参加する毛利勝永こそ、忠義の臣と言えると思います。
趙雲と勝永この二人に共通している点その一は忠義心です。
趙雲と勝永の共通点その2:武勇に優れた人物
趙雲は忠義心の厚さと共に武勇に優れ、様々な武功を残した人物です。
彼は益州平定戦で益州の重症拠点である江州や江陽を攻略。
また漢中攻略戦(定軍山の戦い)では危機に陥った黄忠(こうちゅう)を助け出して見事な撤退戦を演出し、劉備から「子龍(趙雲の字)は一身これ胆なり(趙雲は胆力の塊という意味)」と大いに褒めます。趙雲は孔明が行った魏を討伐する北伐戦でも活躍します。
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