31話:献帝を手にいれて、群雄から抜きん出た曹操

2015年2月23日


 

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呂布 バックブリーカー

 

菫卓(とうたく)が王允(おういん)と呂布(りょふ)の策略で殺された後、長安で政権を握ったのは、ボスの菫卓(とうたく)の仇討ちに攻めのぼって来た李傕(りかく)と郭汜(かくし)でした。

李傕・郭汜祭り

 

王允(おういん)は菫卓(とうたく)側についた人間を容赦なく殺害するなど、度量が狭い政治をしたので、付いて来る人間も少なく、攻め上ってくる途中で山賊や流民を吸収した李傕(りかく)・郭汜(かくし)の軍勢5万人には、まるで歯が立ちませんでした。

 

前回記事:30話:曹操軍を支えた最強の青州兵

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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その頃、呂布は?

呂布 三国志

 

呂布(りょふ)は敗北するとサッサと長安を脱出、王允(おういん)は捕まえられてボスの仇とばかりに八つ裂きにされるという悲惨な最後を迎えます。

李カク 樊稠、李傕

 

しかし、長安に上ってきた李傕(りかく)も郭汜(かくし)も「政治って何?美味しいの?」という筋肉バカの野蛮人に過ぎません。

 

李カク、郭わい、献帝

 

長安の治安を回復させるどころか、部下に略奪を許し、自分達は重税を吸い上げて贅沢三昧という菫卓(とうたく)以下の酷い政治を繰り返します。

李カクと郭汜

 

長安の人民は無茶苦茶な政治で大混乱に陥り、街には、餓死して横たわる人間の死体がどこの通りでも見られたそうです。

 

二人は仲違いを起こす・・・

李カクと郭汜

 

しかも、この二人、つまらない理由で仲たがいを起こし、両者が軍を出して長安の都で内戦までしでかしてしまいます。

 

李カクと郭汜

 

その為に長安の都は壊滅してしまい、都の機能を喪失してしまいます。これを受けて献帝(けんてい)は、反菫卓連合軍によって復興させられた洛陽に再び都を移す事を提案します。

 

李カクと献帝

 

これは実際は、李傕(りかく)・郭汜(かくし)の影響力から献帝を離そうという菫承(とうしょう)達、帝の側近達の策略でした。

 

李カク、郭わい、献帝

 

策略は、的中し李傕(りかく)と郭汜(かくし)は折角手に入れた献帝(けんてい)を手放してしまいます。

 

李カク

 

それが二人の運の尽きで、それから2年後に弱体化した所を討たれてしまうのです。

献帝を保護する曹操

 

それは兎も角、古い都である洛陽を目指していた献帝(けんてい)一行を首尾良く迎え入れる事が出来たのは曹操(そうそう)でした。洛陽で玉璽が出土した時には、「そんな石コロ」と見向きもしなかった曹操ですが、相手が献帝(けんてい)なら話は違います。

 

董卓に強引に連れられる献帝

 

そもそも、菫卓(とうたく)が、あれだけの横暴を許されたのは、菫卓(とうたく)の手の中に献帝(けんてい)があったからです。

 

その頃、曹操は?

抜き出た曹操

 

同じ頃に、曹操(そうそう)は兗州を手に入れ、青州兵と言われる黄巾賊の残党30万人を吸収した直後でした。

 

メタ認知について学ぶ袁術

 

献帝(けんてい)が長安を逃げ出した事は、曹操(そうそう)以外にも、公孫瓚(こうそんさん)や袁術(えんじゅつ)袁紹(えんしょう)のような群雄も知っていましたが、いずれも、その価値に気がつかず放置して、勢力争いに夢中でした。

 

曹操

 

それなので、曹操(そうそう)は妨害を受ける事なく、なんなく帝を保護して手に入れ、自分は丞相(じょうしょう)に登っていったのです。

 

丞相(じょうしょう)って何?

曹操丞相えらいねんで!

 

丞相とは、後漢の時代の総理大臣であり、これにより、曹操(そうそう)は他のライバル達の上に立つ事が可能になりました。曹操(そうそう)は献帝(けんてい)を本拠地の許昌(きょしょう)に迎えて事実上の帝都にし多くの人材を集められるようになり、さらに繁栄していくようになります。

 

曹操と羊と蚊

 

市民平等の現在でも、どこどこの戦国武将の末裔とかいう人を見ると私達は、少し見る目を変えてしまいますよね?これも血筋という不思議なモノに私達が影響を受けている現れです。

 

曹仁と曹操

 

曹操は、科学で証明出来ず、人工的に造りだす事も出来ない血筋というものの価値をよく理解していたのです。

 

次回記事:32話:ブチ切れる献帝、曹操暗殺を指示

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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