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藺相如(りんしょうじょ)とはどんな人?三大天の一人!趙の名宰相であり廉頗のかけがえのない親友(2/3)

2016年2月19日


 

藺相如(りんしょうじょ)

 

秦との外交を無事に終わらせた藺相如(りんしょうじょ)

しかし再度秦から再び使者が訪れ、趙の国を困らせます。

再び藺相如の出番がやってきます。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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約束破りの達人秦から会見の申し入れ

 

趙は藺相如(りんそうじょ)の活躍により「和氏の壁」を見事守り通すことに成功し、

趙の恵文王を始め群臣達は安堵の表情を浮かべておりました。

しかしそんな安堵もつかの間再び秦の使者が趙へやってきます。

趙へやってきた秦の使者は恵文王に「黽池(べんち)で両国の友好をあたためましょう」

と会見を申し入れます。

恵文王は「後日返事の使者を送るゆえ、此度はお引き取りください」

と即決する事無く秦の使者を丁重に送り返します。

 

行きたくないと駄々をこねる恵文王

 

恵文王は秦の使者を返すと、群臣達を集めて会議を開きます。

恵文王は会議が開かれると「秦の使者が黽池で会見しようと言ってきた。

しかし黽池は趙の国境から遠い秦国内にある土地。また秦は度々我が国

に侵入し、領土を掠め取り、約束を守らない国だ。だから私は秦の国へ行きたくない。」と群臣に伝えます。

しかし趙の三大天である廉頗は「殿。そのように駄々をこねられても

行くしかないでしょう。もし行かなければ秦をさらに調子づかせる事になり、各国からも侮られる事になりましょう。」と告げます。

それでも恵文王は行きたくないと繰り返しますが、

他の群臣達も廉頗の意見に賛同したため、彼は致し方なく秦の国へ行く事を決意。

恵文王は「藺相如。お主もついてこい」と命じます。

藺相如は快諾し、趙の使節団の一人に加えられます。

 

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廉頗の決断

恵文王は使節団をまとめ趙の国を出ようとします。

見送りには三大天の廉頗や趙奢、群臣達が集まっておりました。

恵文王の一行が邯鄲を出て秦の国へ向かおうとすると、

廉頗が恵文王に「王よ。もし30日立って邯鄲にお戻りにならない場合

現在の太子を王に立てますが、よろしいですか」と涙を流しながら伝えます。

廉頗の覚悟を見て取った恵文王は「うぬ。致し方あるまい」と頷き

邯鄲を出て黽池へ向かいます。

 

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黽池の会その1:趙王は秦の家臣のように扱われる

昭襄王

 

恵文王は黽池に着くと昭襄王自ら手を取り席に誘います。

恵文王が席に着くと大宴会が始まります。

テーブルには秦の名産品から珍味まで幅広い料理が並べられ、

恵文王は満足しながら宴会を楽しんでおりました。

しかし宴もたけなわになると昭襄王は「趙王は音楽が好きで瑟(しつ=古代の弦楽器)

をたしなむと伺いました。

今日は両国の友好をあたためる会見ですので、ぜひ瑟を奏でてくれないか。」

と要望を趙王に伝えます。

恵文王は致し方なく昭襄王の願いを聞き入れ、瑟を奏でます。

彼は奏で終わると瑟を返そうとしますが、昭襄王は「さすが趙

是非もう一度引いてくだされ」と再度お願いします。

恵文王は再び奏で、終わると瑟を返そうとしますが、もう一度お願いされ、

結果瑟を三度引く羽目になりました。

恵文王が瑟を引いている時、昭襄王は記録係に命じて書簡に「趙王

昭襄王の為に瑟を三度奏でる」と記録します。

 

黽池の会その2:藺相如がついにブチ切れる

 

藺相如は昭襄王が恵文王を自らの家臣に対する様な接し方を

扱い方があまりにもひどいので、ついにブチ切れます。

藺相如は缻(ふ=素焼きの器)を手に取って昭襄王に差し出し

「昭襄王の国では国との友好をあたためる宴会では缻を叩いて

歌うという習慣があるそうですね。ぜひやっていただけないだろうか。」と怒りの表情で伝えます。

昭襄王もキレて「家臣の分際で王に命じるとは無礼ではないか。下がれ。」と伝えます。

藺相如は昭襄王の怒りをもろともせず彼に近づき「あんたと俺の距離は

僅かだ。俺の申し出を断るようなら、あんたを殺して俺も死ぬ」と脅迫。

昭襄王の配下が藺相如を斬り捨てようとしますが、彼の凄味の聞いた

目で睨み付けると動けなくなります。

藺相如は再び昭襄王を見て「どうすんだ。缻を叩くのか、叩かねーのか

はっきりしろ」と凄味を聞かせて小声で囁きます。

昭襄王は藺相如の気迫に負け、缻を一度叩きます。

藺相如は昭襄王が缻を叩いたことを確認するとすぐに趙の記録係に命じ

「秦王。趙王の為に缻を叩く」と記録させます。

 

黽池の会3:無茶ぶり合戦

 

その後微妙な雰囲気で宴会は続きます。

そんな中秦の臣下が恵文王に「我が国との友好を強く結ぶため

趙国の城を15城程わが王に差し上げてはいかがでしょう」と伝えます。

この発言を聞いた藺相如はすかさず言い返し「君の国こそ

我が国との友好を強めるため、咸陽(かんよう=秦の首都)をくれよ」と言い返します。

藺相如のこの言い分に秦の家臣は黙ってしまいます。

こうして彼の機転のおかげで終始宴会は何事もなく終わります。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

藺相如は宴会が終わるまで終始、恵文王と趙国の威信を保つため

機転を利かせ、無事にこの会見を乗り越えます。

もちろん秦国から抜け出す際にも最新の注意を払い、帰国します。

邯鄲に帰った恵文王は、藺相如を大いに褒め称え、大臣に任命します。

さて次回は廉頗とのお話になります。

今回のお話はこれでおしまいにゃ。次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう

それじゃまたにゃ~

 

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