私達が身を守る防具として第一に思い浮かぶのが鎧でしょう。
遥かな大昔から、人類は戦闘では皮膚に何かを巻きつけて身を守っていました。
そこで、今回は、三国志の時代の鎧をメインにキングダムの時代や、
周、殷の時代の鎧を紹介していきましょう。
この記事の目次
後漢の時代は鎧の革新の時代
戦乱の後漢時代は、鎧の発展をもたらしました。
漢の時代以前の兵士の鎧は革製が多く、鉄製の鎧は上級士官のみでしたが、
後漢の時代には、鉄の精錬技術も上がり、その分、鉄の鎧も安価になります。
そこで、兵士にも標準装備で魚麟甲(ぎょりんこう)が使用されるようになります。
魚麟甲は、丸くて薄い鉄の板を紐で編んだもの
魚麟甲とは、薄くて丸い鉄の板に穴を開けて、 紐を通し編んだ鎧です。
丸く薄い鉄板が魚の鱗に似ているので、この名前があります。
これは、以前からある細長い鉄の板を綴った鎧よりも動きやすく、
また、脇の下などを柔軟にカバーできるので、袖つきの鎧という意味の、
筩袖鎧(とうしゅうがい)とも呼ばれました。
諸葛亮孔明の発明ともされますが、すでに前漢時代の末には、
存在していたとも言われますので、孔明は、それを改良したか、
或いは、適当に名前だけを借りられたのでしょう。
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びっくり三国志の時代には、鎧の上に衣服を着ていた?
三国志の漫画などでは、よく、武将が衣服の片肌を脱いで、
その下から鎧がのぞいているのを見る事があります。
あの衣服は通常の衣服ではなく、戦袍(せんぽう)と呼ばれるものです。
(写真引用元:中国古代軍閥服装)
当時の鎧は鉄板が薄かったので、衣服の下に着込むのも、
そこまで難しくありませんでした。
そこで、戦袍を鎧の上に着込んでいたのです。
今で言うと、防弾チョッキの感覚に近いかも知れません。
いわゆる軍師のような文官も、戦争時には、ゆったりした衣服の下に
魚麟甲を着込んでいるパターンもあったようです。
孔明も、道服の下に魚麟甲を着ていたのかも知れません。
キングダムの時代の兵士の鎧とは?
では、三国志の時代から400年遡ったキングダムの時代の
兵士の鎧はどんなものだったのでしょうか?
当時、鉄は存在しましたが、冶金の技術が不完全だったので、
実際の戦争では信用されていたとは言い難いものでした。
鉄の鎧は重く、もろいので、まだ青銅が使用されていたようです。
ただ、青銅は高いので、一般兵士にまで行き渡ることはありませんでした。
かわって、一般兵が使ったのは、牛革を何枚も重ねて束ね札を作り
さらに、それに黒漆をかけて固めたものを、赤紐で複数枚結びつけた鎧で、
札甲(さつこう)と呼ばれました。
兜も同様の方法で造られますが、赤紐と黒漆のコントラストが、
結構カッコいいように思います。
(写真引用元:中国古代軍閥服装)
この札甲は、肩のところに高い襟があるのが特徴です。
理由は戈のような鉤爪の武器で引っ掛けられて、引っ張られ
頭の髷をつかまれない為でした。
髷には霊力が宿るとされ、これを捕まれると、
生命を左右されると当時の人は考えたようです。
一方で、指揮官クラスは、漆を塗った牛革に青銅の札を、
紐で結び付けて補強した鎧を使用していました。
おそらく信(しん)もリアルでは、牛革に青銅の札を縫いつけた鎧を
使用していたのかも知れません。
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殷の時代の鎧と兜とは
殷の時代になると、鎧は高級将校でも皮製になります。
ただ、色は四色に塗り分けて、かなりカラフルだったようです。
一方で、兜は、青銅を使ったものが存在していました。
馬超の兜とまではいきませんが、表面に獣の顔の文様を刻んだもので
3500年前の兜とは思えないほど、精巧な造りです。
(写真引用元:中国古代軍閥服装)
一方で殷の時代の兵士となると、これはもう、普段着に、
盾や矛をもったような姿だった事でしょう。
殷の一般兵は、他国の捕虜や奴隷が主力で、少数の正規兵が、
武器で脅して逃げないようにし、戦わせるというような有様でした。
当然、士気も低く、また自軍からも信用されていませんから、
高価な鎧など使わせなかったかも知れません。
三国志ライターkawausoの独り言
鎧の発達は武器の発達といたちごっこの関係で続いていきます。
最初は皮鎧だったものが、青銅、鉄になるのは、武器の精錬度が上がり
重さでたたき下ろすタイプから、鋭利な刃物で刺し殺すタイプに変化したからです。
元々は、胸や腹など、急所を覆うだけだった鎧も、時代が下り、
火薬などが使用される時代になると、顔の部分以外はすべて覆う、
フルアーマーに変化していきます。
一方で戦袍も進化して、布の裏地に鉄板の小札を縫いこんだり、
鋲を打った防御力が高いものも出現します。
元は布なので、表面には華麗な刺繍が施され、一見鎧には、
見えないほどに華麗になります。
(写真引用元:中国古代軍閥服装)
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