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楊貴妃(ようきひ)とはどんな人?玄宗皇帝を夢中にさせた世界三大美女




貂蝉

 

中国四大美女と言えば、西施(せいし)、王昭君(おうしょうくん)、

貂蝉(ちょうせん)、そして楊貴妃(ようきひ)だという説もある程、

楊貴妃は、美女の代名詞として知られています。

そして、この四大美女では、特に肉感的な肢体を持つ官能的存在として描かれ

石像の中には、楊貴妃をヌードで表現しているものもあります。

そんな楊貴妃は、一体、どんな人だったのでしょうか?

 

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楊貴妃は蜀に生まれた・・

楊貴妃

 

楊貴妃は、字を玉環(ぎょくかん)と言い、西暦719年、

蜀において生まれました。

父は楊玄淡(よう・げんたん)といい、蜀で下級役人をしていて、

楊貴妃は上に姉3名、兄1人の4女という立場でした。

 

彼女は、生まれた時から、優れた美貌を持っていたようです。

蜀に住んでいた昔、張という人相見がやってきて、

楊玉環の顔を見ると驚き、

 

「こんなに富貴な人相は見た事がない、

きっと皇后の位に登りましょう」

 

と予言して周囲を喜ばせました。

 

また、たまたま近くにいた楊玉環の従兄の

楊国忠(よう・こくちゅう)の人相を見るや

 

「あなたも、何年も王朝の実権を握る事でしょう」

 

予言をしています。

 

この二つの予言は、的中し、またその為に楊玉環は

悲劇に見舞われますが、それは、おいおい説明すると致しましょう。

 

 

楊玉環、玄宗皇帝の18男、寿王の妃になる

 

美しく成長した楊玉環は、十六歳で故郷の蜀を離れ、唐の帝都である

長安へと向かいます、それは、玄宗(げんそう)皇帝の18男の

寿王(じゅおう)の妃になる為でした。

この寿王は18男ながら、玄宗の妃である武恵妃の子で皇太子と目されていました。

順調に行けば、楊玉環は寿王の妃として皇后になる筈でしたが、

西暦737年、武恵妃が病気で死ぬというハプニングが起こります。

 

この事により、寿王は皇位レースから外れ、皇太子には宦官の高力士が推す、

李璵(りこう)が立てられる事になります。

 

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西暦740年、21歳の楊玉環、温泉で玄宗に見染められる

 

こうして、皇后になる予言が吹きとんだかに見えた楊玉環ですが、

運命は意外な所から彼女を皇后の位へと引き上げます。

 

寵愛していた武恵妃を失った玄宗は、完全に塞ぎこんでいました。

時に玄宗は56歳、以前は名君とたたえられた玄宗も治世の後半は

政治に飽きて、趣味と女に没頭する暗君に落ちていました。

 

その玄宗に、お気に入りの宦官の高力士が囁きます。

 

「寿王の妃に楊玉環という女がおりますが、武恵妃さまに

よく似ておられますぞ、、一度お召しになっては?」

 

それを聞いた玄宗は、藁にもすがる思いで楊玉環を呼び出したのです。

もっとも、自分の息子の妃をそのままの立場で呼ぶのは体裁が悪いので

楊玉環を女冠(じょかん)という女道士に任命して仕事として呼んだのです。

その時、玉環には、太真(たいしん)という道号が与えられました。

 

場所は長安の東にある温泉宮でした。

文字通り温泉が湧いている保養地で

玄宗は、ここで後宮の美女を湯浴みさせて、

その裸体を見ながらウヒョな骨休めをしていました。

 

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芸術家肌で物怖じしない楊玉環に玄宗はフォーリンラブ

 

そこへ呼び出された楊玉環は気前よくバーッと脱いで、

オールヌードでやってきます。

 

(おらおら、スケベ親父、自分の息子の妃を温泉に呼びつけるなんて

なんちゅう色ボケじゃ!!見たいなら好きなだけ見ろや!)

 

楊玉環としては、そういう挑戦的な態度だったのかも知れません。

 

彼女は、よく言えば、豊満、悪く言えばデブでしたが、

皇帝、玄宗の前に出ても堂々としていて少しも媚びを売る所がありません。

 

玄宗は、何十年も皇帝をしていて、世の美女は見あきています。

そして、女性が己の為につく嘘や媚びも知り尽くしています。

 

その玄宗の目には、もの怖じせず、自分の意見をハッキリ言う、

初々しい楊玉環は、全く新しいタイプの女性に映りました。

しかも、芸術家肌の玄宗と同じく、楊玉環も舞踊や音楽に詳しく

突っ込んだ話は、何時間にも及びます。

 

玄宗は、すでに彼女に心を奪われた自分に気づきます。

 

Yes fall in loveです。

 

略奪愛・・玄宗、寿王から楊玉環を取り上げる・・

 

楊玉環に夢中になった玄宗は、もう彼女を寿王に返す事は出来ません。

そのまま、女冠として宮中の太真宮に移り住みます。

ここは、道士が住んでいた場所であるようです。

 

やがて、ここからうやむやな間に後宮に移り事実上、

玄宗の妃として振る舞うようになりました。

一度は閉ざされた皇后への道が不思議な縁から開き始めます。

 

 

西暦745年、貴妃の位を授けられ、一族も高位に登る・・

 

後宮に入った彼女は意外にも、人気者だったようです。

天真爛漫で利発な楊玉環は、物腰が柔らかく、

後宮に敵を造るような態度を取る事もありませんでした。

 

元々、政略とか自分の権力に関心がある女性ではないので、

周囲も気を許し、和気あいあいになったのかも知れません。

 

それは玄宗の意にかなう事でもあり、玄宗はますます彼女を愛します。

西暦745年、26歳の楊玉環は貴妃(きひ)の位を授けられ皇后になります。

少女の頃に、人相見が予言した事が的中したのです。

 

それと同時に、蜀で貧しい暮らしをしていた楊一族は

長安に呼び出され高い位を授けられます。

 

亡くなっていた父の楊玄淡は兵部尚書、母の李氏は

涼国夫人に追贈され、叔父の楊玄珪(よう・げんけい)は光祿卿。

兄の楊銛(よう・てん)は殿中少監、従兄の楊錡(ようき)は

駙馬都尉にそれぞれ昇進し、、、

 

3名の姉は、それぞれ、韓国(かんこく)夫人、

虢国(かくこく)夫人、秦国(しんこく)夫人となりました。

そして、楊錡は個人的にも、玄宗に気に入られ、

玄宗の愛娘の大華(だいか)公主との結婚が許されて皇族になります。

 

このように、楊貴妃の3名の姉と兄と従兄は、楊氏の五家となり、

唐王朝で外戚として権力を振るうようになります。

喧嘩するほど、仲がいい?激突する二人・・

 

普通に考えると、皇帝の妃は、皇帝の寵愛を失わぬ為に、

我慢できぬ事も我慢して、常に皇帝を怒らせないようにしそうですが、

楊貴妃は、まるで違いました。

 

常に思った事をハッキリ言う、子供のような性格の楊貴妃は、

不満があれば、ズバリと玄宗に文句を言い玄宗を怒らせたのです。

西暦746年には、嫉妬心から玄宗を怒らせ、兄の楊銛の屋敷に

送り返される事態になります。

 

しかし、玄宗は送り返したその日から不機嫌になり、部下を八つ当たりで

鞭打つような状態、事情を察知した高力士が、楊家に贈り物をして、

楊貴妃を宮中に戻すように手を打ちます。

 

この時は楊貴妃が玄宗に侘び、気を良くした玄宗は沢山の芸人を呼び

楊貴妃を慰めたそうです。

 

次は、西暦750年、この時は楊貴妃が寧王の笛を勝手に吹いた事に

腹を立てた玄宗に再び屋敷まで送り返されます。

 

この時も、楊貴妃の、又従兄の楊国忠と吉温(きつおん)が

取りなしの上奏を行い、楊貴妃も反省したのか、自分の髪を切って玄宗に送ります。

送られた髪を見た玄宗は動揺して、高力士を通じて楊貴妃を呼び戻させました。

 

二つとも痴話喧嘩の類で、玄宗と楊貴妃だけがムキになって、

周囲は苦笑いという状態のようですが、喧嘩するほど仲が良かったのでしょう。

楊貴妃には、玄宗の機嫌を取る気がなく、玄宗は皇帝である事も忘れ、

一人の男として笑ったり、怒ったりしている様子が見えます。

 

玄宗はこのように子供のような楊貴妃の性質をひたすら愛しました。

 

安禄山の登場・・

 

同じ頃、范楊(はんよう)・平盧(へいろ)節度使(せつどし)、

安禄山(あんろくざん)という人物が登場していきます。

 

安禄山は胡人で、ソグド人と突厥(とっけつ)人の混血でしたが、

性格は残忍で非情、それでいて、周囲の状況を読むのが上手く、

毎回、多額の贈り物をしては、玄宗の心を掴んで寵愛を受けるようになります。

 

安禄山の就いていた節度使は、辺境の異民族対策で置かれたもので、

駐屯している土地で徴税して、兵士は屯田を行って常駐していました。

 

表情 董卓05

 

平たく言えば、三国志に登場する涼州の軍閥の董卓(とうたく)のようなモノです。

 

安禄山も董卓同様に肥満した男で体重は200キロもある巨漢の関取体型、

お腹の肉が膝までたれる程の肥満漢で自分で帯を締める事も出来ない程でした。

しかし、身のこなしは俊敏で、羽のように舞う事が出来たそうです。

 

安禄山は、楊一族の繁栄を見て、これに乗じようと、玄宗と楊貴妃に近づき

「楊貴妃の養子になりたい」と玄宗に進言して容れられます。

安禄山は、楊貴妃の心も掴み、楊一族はそれぞれ安禄山の一族と、

義兄弟になったりしています。

 

安禄山、楊国忠と反目し、安史の乱を引き起こす

 

一時期の安禄山の楊貴妃と玄宗への媚びようは凄まじいものでした。

ある時は、自身を楊貴妃の赤ん坊に見立て、裸にオムツを当てた姿で、

輿に担がれて宮廷に出現しました。

 

これは、まだ子供を授からない、楊貴妃と玄宗を思いやり

「僕が二人の子供になってあげるでちゅ」という

安禄山なりのパフォーマンスでした。

 

まあ、いい年こいた体重200キロのおっさんが、

赤ちゃんプレイというだけでかなり引きますが・・

 

楊貴妃と玄宗は、大きな盥(タライ)に湯を張って、

200キロもある安禄山を産湯につけるというプレイを楽しみます。

 

うーん、、いくら楊一族と玄宗に媚びる為とはいえ、赤ちゃんプレイをして

裸におむつ姿にまでなりたくないですが、それを平然と出来るのが、

安禄山の恐ろしさなんでしょう。

 

玄宗もお腹を揺すって歩く、肥満した安禄山をからかい、

「そのお腹には一体、何が詰まっているのかね?」と言った事があります。

 

するとすかさず安禄山は、

「畏れながら、陛下への真心で一杯で御座います」と答えました。

 

そうまでして、取り入ろうとする安禄山ですが、

その彼に野心を感じたのが楊貴妃の姉の虢国夫人の夫として

出世していた楊国忠(ようこくちゅう)です。

 

この楊国忠も、一族の楊貴妃の栄達にすがり、玄宗におべっかを使って

のし上がってきた成りあがりの遊び人です。

 

ここに、安禄山対、楊国忠は激しく対立するようになります。

 

安史の乱勃発、栄華を誇った楊一族に没落の日が・・

 

西暦755年、勢力の巻き返しに失敗した安禄山は、

ついに身を守る為に15万の兵力で武装蜂起します、安史の乱です。

楊国忠は、玄宗に上奏し、「10日の間には安禄山の首がやってきます」と

大見栄を切りますが、唐軍は毎回大敗北を喫してしまい、

ついに洛陽を安禄山軍に奪われてしまいます。

 

このままでは長安も危ないとみた楊国忠は、玄宗に蜀への移動を上奏します。

安禄山軍は日に日に兵力を増やしていて、とても手持ちの兵力では対抗できず

蜀まで引きさがり、唐に味方する勢力が出てくるのを待とうというのです。

 

これで長安の宮中は大騒ぎ、玄宗は成す術なく、楊貴妃や高力士、

楊一族や皇族を引き連れて、蜀に向かって移動を開始します。

 

しかし、ろくに水も食糧の準備もない中、

ひたすら急がされた兵達の不満は蓄積していきます。

そして馬嵬(ばかい)という土地に差し掛かった所で、

ついに兵士は行軍を拒否しました。

 

「俺達がこうなったのは、楊国忠のせいだ!!

あいつが安禄山と仲良くやればこんな戦、

起こさなくて済んだんだ!!」

 

「そうだ、政治を自分の勝手放題に動かしやがって、、

あいつを殺さないで、これ以上、戦えるものか!!」

 

兵士達は口ぐちに叫び、楊国忠は、襲いかかられて殺され、

その首は槍の先に掲げられました。

そればかりではなく、楊一族も、次々に血祭りにあげられたのです。

 

楊貴妃、、高力士に縊り殺される・・

 

兵士の一団は、ついに、玄宗の馬車の前にまで到達しました。

 

「恐れながら、楊一族をつけあがらせた張本人、

楊貴妃を殺さなければ我が軍は、一歩も動きません」

 

近衛師団長が、冷たくそう言い放つと玄宗は首を振って拒否します。

 

「妃は、、楊国忠とは関係ない、ずっと後宮の奥にいたのだ、、

朕と共にいた、それだけだ、見逃してくれ・・」

 

しかし、高力士が、玄宗の前に進み出て言います。

 

「このままでは賊徒、安禄山を討つ事も出来ず、

唐の社稷は絶えます、いかに寵愛が深いとは言え、

王朝の命脈を、たかだか寵妃一人の生命と取りかえるのですか?」

 

玄宗は、高力士の説得にがっくりと肩を落としました。

 

高力士は、自ら楊貴妃の馬車に乗り込んで、死刑を宣告します。

 

「悪縁の巡り合わせで、あなたは生命を全うできない事に成りました。

どうか、これも運命と諦めて、私に縊り殺させて下さい」

 

すると楊貴妃は、驚きも怯える様子もなく言いました。

 

「国の恩に背いたので、殺されても恨みません、ですが、

せめて最後に御仏を拝ませていただけませんか?」

 

楊貴妃はこうして、仏像に祈りを捧げると、絹の帯を首に巻かれ

高力士に絞殺されました、享年は37歳でした。

 

楊貴妃は悪女だったのか?

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

確かに楊貴妃が玄宗に寵愛された事で、楊一族が台頭して外戚になり

楊国忠による独裁政治が起きて、安史の乱が引き起こされ、

唐が乱れたのは否定できません。

 

しかし、楊貴妃自身は積極的に玄宗に迫ったわけでもなく、

媚びを売る事もなく、ただ、我が身に降り注いだ幸運を

一人の女性として謳歌しただけに過ぎませんでした。

 

政治に口を出したわけでもなく、誰かを陥れたわけでもない

彼女は、それ以前にも以後にも無数に登場した皇帝の寵妃と

何も変わった所があるわけではありません。

 

ただ、時代が悪く、同族から出た楊国忠の巻き添えを喰う形で

殺される羽目になったのです。

 

【はじめての三国志人物事典データベース】
はじめての三国志人物事典データベース

 

 




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