桃園の契りをかわした劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)の
三人は様々な逸話を残しております。
今回は蜀の代表的な武将達の逸話を集めてみましたのでご紹介します。
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この記事の目次
関羽の逸話「宴会しながら手術を行う豪胆さ」
劉備三兄弟の一人関羽は色々なエピソードを残しておりますが、
その中でも関羽の凄さを見せつけたエピソードをご紹介します。
関羽はある戦の時、左腕に毒矢を受けてしまいます。
この時左腕に受けた毒矢の毒を取り出し治療を行ったのですが、
雨が降ると傷がうずいたそうです。
宴会中に手術を行う
関羽は傷がうずくため、医者を呼び診察してもらいます。
すると医者は「まだ骨の方に毒が残っております。
今から切開して毒を取り出そうと思うのですがよろしいですか。」と尋ねます。
すると関羽は左腕を差し出します。
医者はそのまま関羽の腕を切開し、骨に残っている毒の摘出手術を行います。
この時関羽は諸将と宴会を行っておりましたが、
普段と変わらぬ様子で大いに飲み、大いに騒ぎます
医者は関羽が騒いでいる最中左腕をゴリゴリと手術していたそうです。
関羽ならではの豪胆なエピソードですが、周りの人達はどのように思ったのでしょうか。
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張飛の逸話「実は差別を受けていた」
兵士一万に匹敵するほどの強さを持っていると評された張飛ですが、
実は彼、差別されていたのを知っていましたか。
この差別されていた可哀相なエピソードを皆さんにご紹介します。
張飛は劉備が蜀に国を建国すると、劉備の配下の中で有名な士大夫である劉巴(りゅうは)の
家に遊びに行きます。
劉巴は張飛が家に遊びに来ると聞いてすごく嫌な顔をしますが、
とりあえず中に入れることにします。
張飛の話をガン無視
張飛は手土産を渡して色々と話しますが、劉巴は張飛の話を黙って聞いて無反応でした。
彼はずっと一人で話すことになり、
無反応な劉巴に腹が立ってしまいそのまま家を後にします。
後日孔明がこの話を聞いて劉巴をたしなめると彼は「私は士大夫と呼ばれた人だ。
それがなぜ、庶民での奴と仲良くしなくてはならないのだ」と激怒。
孔明はこの言葉を聞いて辟易してしまいます。
その後張飛と劉巴は仲良くなることはありませんでした。
このエピソードは当時の士大夫と呼ばれる名士と庶民との間に、
激しい身分の隔たりがあったことを表しており、
当時の時代背景が現れた逸話となっています。
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劉備の逸話「自分の腿をつかんで泣く」
劉備は関羽・張飛の長兄として桃園で契りをかわします。
その後各地で戦いに明け暮れながら、荊州の劉表の元に身を寄せることになります。
劉表の元に身を寄せた彼は数年の間、戦のない平和な時間を過ごします。
ある日劉表に呼ばれて宴会に出席します。
この時劉備は中座し、厠へ行って帰ってくると泣いておりました。
劉表は「なぜあなたは泣いているのだ」と問いただします。
すると劉備は「今、厠に行って自分の腿を見たら、肉がついていたのに気が付いたのです。
若いころから馬に乗って駆けまわっていた為、肉がつくことはありませんでしたが、
こうして戦のない平和な時間を過ごし、なんの功績をあげていない事が悲しくて、
涙を流したのです。」と答えます。
この話は裴松之の「九州春秋」に乗っている話で、
後に「髀肉之嘆(ひにくのたん)」と呼ばれるエピソードになります。
劉表はこの話を聞いて苦笑いしたそうです。
なぜ劉表は苦笑いしたのでしょうか。
劉表が苦笑いした理由「私的考察」
劉表は劉備を客将としてもてなしているのにも関わらず、
功績をあげていないと泣いたそうです。
功績をあげていないと言う事は、戦で戦果を挙げていないと言っているのと同じです。
すると平和な荊州に戦乱がないから功績をあげられないと劉表は受け取った為、
苦笑いしたのではないでしょうか。
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三国志ライター黒田廉の独り言
五分で分かる劉備三兄弟の逸話をご紹介しました。
これらの他にも三国志のエピソードを知っていれば、
より楽しく三国志を知ることができるのではないでしょうか。
また色々とエピソードを探して不定期ですが、お知らせしていきたいと思います。
「今回の三国志のエピソードはこれでおしまいにゃ。
次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。
それじゃあまたにゃ~」
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