邪馬台国ってどんな国だったの?まさに神っていた邪馬台国




卑弥呼

 

まず、基礎知識として、「邪馬台国(やまたいこく)」とは、多くの方がご存知の「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」(魏志東夷伝(ぎしとういでん)内の一つの章)の中で登場し、広く認知されるようになりました。

 

晋の陳寿

 

これは、陳寿(ちんじゅ)編纂の「三国志(さんごくし)」(正史(せいし))の中の一つの章であるということです。

 

晋陳寿と卑弥呼

 

そして、これから邪馬台国が存在したとされる古代を紹介していく訳ですが、やはり気になるのは、この時代を調べるための資料が少ないということです。

 

自称・皇帝
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日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門

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仮面ライダーの始祖?シャーマニズムの国?

光武帝

 

又、日本の古代を描いた物語で、絵や映像として一般的に見られるのは、戦国時代や江戸時代、幕末以降に比べると格段に少ないのではないでしょうか。

それでもあえて出すと小学館や集英社などが出している学習歴史漫画が筆頭となるのでしょうが、それ以外の、映画やドラマ、コミックやアニメの中でとなるとなかなか思い浮かびにくいのが実情ではないでしょうか?

 

邪馬台国の卑弥呼はアイドル

 

「邪馬台国」や「卑弥呼(ひみこ)」と言われても、文字としての記憶が主になりがちではないでしょうか?

日本史上、特に謎が多い分野なのです。

 

 

そんな中、実は、昭和を代表する漫画家で「仮面ライダー」や「サイボーグ009」の作品で知られる、

石ノ森章太郎が、全48巻から成る「マンガ日本の歴史」(中央公論社)を出しているのです。

 

 

この中に、邪馬台国も卑弥呼も登場します。第二巻に収められていて、とても詳しく載っています。

 

ただ「古事記(こじき)」の影響も強く受け、架空物としての要素が濃く、歴史考証の点から言うと物足りなさがあると思いますが、謎に包まれた時代ですからそれは仕方ないとも言えるでしょう。

 

また、古代の日本の世界の雰囲気に浸り、歴史や考古学の分野に興味を持つ切っ掛けとしてもらうことを前提なら、あるいは、純粋に一つの物語として見るなら楽しめる要素が強いでしょう。

 

鬼道を使う卑弥呼

 

作品では、邪馬台国の集落や住宅、暮らす人々の衣食住といった風俗や卑弥呼がつかえたという「鬼道(きどう)」を上手く描写しているように見えます。

 

そして、「鬼道」を実践している卑弥呼たちを見ていると「シャーマ二ズム」の要素が強いようで、仮面を被ったシャーマンを連想してしまい、そこからつい仮面ライダーも連想してしまいます。

 

兎にも角にも、絵で学べる歴史はとても興味深く、その中でも分かりやすいので、この資料はお勧めと言えます。

 

 

邪馬台国の興亡

邪馬台国と卑弥呼軍

 

それでは、ここから邪馬台国の歴史を少し詳しく追っていきます。

 

邪馬台国が存在したのは、2世紀前後?〜4世紀前後?とされています。国家成立からは、男の王が代々継承してきたそうです。

 

民の心を掴む卑弥呼

 

しかし、3世紀初め、内乱が起き、男の王では治めきれず、占いによる神の意思か、民の意思かで、卑弥呼が推薦され、女王・卑弥呼が誕生します。すると、内乱は治まり、邪馬台国周辺の国々の多くは、卑弥呼に従います。この周辺の国々を合わせたものが「倭国(わこく)」と呼ばれていました。

 

関連記事:倭国 「魏志倭人伝」 から読み取る当時の日本、邪馬台国と卑弥呼を分かりやすく解説

 

魏に使節を派遣する卑弥呼

曹叡

 

その後、女王卑弥呼は、中国大陸の「()」の国に使節を派遣し、忠義の意思を示します(238年のことです)。

当時の魏の皇帝は、明帝と呼ばれた曹叡(そうえい)です。つまり、あの曹操(そうそう)の孫ですね。

 

邪馬台国と魏の兵士

 

明帝は、卑弥呼に「親魏倭王(しんぎわおう
)
」の印を与え、倭国は、事実上、魏に忠節を誓う臣下となり、魏の後ろ盾でもって、卑弥呼の邪馬台国は、倭国の名主に君臨します。

 

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魏の軍旗を持ち帰りたい卑弥呼

狗奴国は邪馬台国と対立

 

しかし、なかなか従わない国もあって、特に、邪馬台国の南にあった?とされる狗奴(くな)国は筆頭だったようです。そこで、卑弥呼は再び使者を魏に送り、魏の軍旗である、黄幢(こうどう)を持ち帰ることを許されます。

 

邪馬台国VS狗奴国

 

それを旗印に、狗奴国との戦に臨むのです。大国の後ろ盾をもって、敵を倒そうとするのは今も昔も同じでしょうか。後の、錦の御旗や幕府の将軍家の印籠、20世紀からの現代では、アメリカ国旗といったところでしょうか。

 

ただ、21世紀は、その図式に変化が訪れているかもしれません。

再び大陸の国家群の力が増している様子です。話を戻すと、邪馬台国の卑弥呼は、大陸の強大な武力を背景に、敵対勢力を武力で抑えつけようとしました。

そして、その戦略の大方は成功したようです。双方に多くの死者を出しつつ、戦は邪馬台国の勝利で幕を閉じ、狗奴国は邪馬台国に屈服したというのが現代の一般的な見方です。

 

亡くなる卑弥呼

 

卑弥呼は、その戦乱の中か、直後あたりに命が尽きたそうです。「魏志」によると、女王の死を多くの民が悲しんだそうです。殉死(じゅんし
)
するものも多数いたそうです。

 

狗奴国の王・卑弥弓呼

 

その後、邪馬台国は、男の王が再び統治しようとしますが、内輪の争いが絶えませんでした。そこで、再び、女の王が選ばれます。女王・壱与(いよ)です。彼女によって、国内は平定されます。壱与(いよ)は卑弥呼の路線を引き継ぎ、大陸の魏に忠義の姿勢を示すため、使いを送り、貢物を差し出し、朝貢(ちょうこう)をします。

 

こうして壱与の時代は平穏が保たれたとも言われています。その後の邪馬台国はどうなったのかは、今でも謎に包まれています。

 

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卑弥呼の死後、邪馬台国はどうなったの?

大和朝廷 古代宮殿と邪馬台国

 

卑弥呼の死から約150年後、日本史に登場するのは、強大に成長していく大和(やまと)の(現代の近畿地方の奈良周辺)「大和王権(ヤマトおうけん
)
」の姿でありました。

 

大和朝廷を建国したカムヤマト

 

この「大和王権」が「邪馬台国」を引き継ぐ政権だったのか、あるいは滅ぼしたのか、それは今も謎であり、さまざまな説が、その所在地の謎とともに乱立し、議論されています。それでは、次回は、古代史ミステリーと題して、邪馬台国の所在地の謎に迫ります。

 

参考文献

● 邪馬台国の考古学(魏志東夷伝が語る世界)東潮 著 角川選書

● 邪馬台国の滅亡(大和王権の征服戦争)若井敏明 著  吉川弘文館

● マンガ 日本の歴史2巻(邪馬台国と卑弥呼のまつりごと)石ノ森章太郎 作  中央公論社

● 新訂 魏志倭人伝 他篇(中国正史日本伝①) 石原道博 編訳 岩波文庫

● 邪馬台国論争 (佐伯有清 著 岩波新書)

● 古代史疑 (松本清張 著 文藝春秋)

● 日本書紀 (講談社学術文庫)

 

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日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門はじめての邪馬台国

 




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