もし郭嘉が魏の建国まで長生きしていたら魏の内閣総理大臣になっていた?




郭嘉

 

 

曹操に信頼された軍師のひとり、郭嘉(かくか)

彼の官位は「軍祭酒」だったと伝わっています。

あまり聞きなれない官位です。

古代より祭りで酒杯を掲げるのは上位のものだったことから、リーダー格を祭酒と呼んでいたようです。

 

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軍祭酒って何?

郭嘉

 

記録によると曹操は西暦198年(建安三年)に「軍師祭酒」という新しいポストを作りました。

当時の曹操は袁術に袁紹、呂布など四方八方を敵にしています。

すべての方面で手を回すことが難しくなっていた曹操にとって自分の意を汲み、

作戦を組み立てる参謀が数多く必要だったのです。

おそらく、軍師祭酒とは有力な参謀たちの部署を統括する役職だったのではないでしょうか。

軍祭酒と軍師祭酒が同じ位を指しているのならば、

郭嘉は曹操旗下の才能溢れる参謀たちを従えていたことになります。




董昭(とうしょう)からの考察

 

同じく軍祭酒に任じられたものに董昭(とうしょう)がいます。

袁家討伐、烏丸討伐に功績があった人物です。

董昭が軍祭酒になったのはその後の話なので、西暦207年(建安十二年)以降のことだと思われます。

北伐で病気になった郭嘉の後を継いだ形だったのではないでしょうか。

 

郭嘉

 

郭嘉は残念ながらこの年に亡くなりますが、董昭は長命で、80歳まで健在でした。

董昭は曹操が魏公、魏王になるときに尽力します。

魏国建国の立役者となるのです。

そうして董昭はやがて三公のひとつである司徒となります。

こう考えると、それ以前に軍祭酒だった郭嘉も、

生きていれば三公まで出世してもおかしくはありません。

 

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荀攸からの考察

荀攸

 

郭嘉が曹操の陣営に加わる前から軍師に任じられていたのが荀攸(じゅんゆう)です。

官位は尚書でした。

郭嘉が加わってからはほぼ同等に扱われていたようにも感じますが、

軍師としてのリーダーはあくまでも荀攸だったそうです。

軍師筆頭が荀攸で、そのやや下の軍師に郭嘉がいたという図式なのでしょうか。

荀攸は董昭同様に袁家討伐、烏丸討伐において功績を認められて「中軍師」に任じられています。

晴れて後漢の正式軍師になったわけです。

軍師のリーダー格だった荀攸が昇進して中軍師ではおかしいような気もしますね。

曹操が丞相府を復活させたために付随する中軍師も復活したようです。

加増で領地は倍になったものの呼び名的にはあまり出世したようには思えませんが、

こんなんで荀攸は納得したのでしょうか。

それはさておき、同じく鍾繇が前軍師に任じられており、毛玠は左軍師に任じられました。

ちなみにこの荀攸はその後、三公まで出世することはありませんでしたが、

ある種、その官位に匹敵する重職の尚書令にはなっています。

こう考えると、郭嘉が生きていれば三公もしくは尚書令までは出世できたと考えられます。

 

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鍾繇からの考察

鍾繇(しょうよう)

 

前軍師になった鍾繇(しょうよう)ですが、曹操の太子である曹丕とのつながりが深く、

曹丕が帝(文帝)になってからはなんと「相国」にまで出世しています。

相国といえばあの董卓(とうたく)を思い出しますね。

 

相国 董卓 ゆるキャラ

 

宮中での帯剣を許され、靴を履いたまま昇殿することも認められていた特権階級です。

三公よりも上の官位です。

こう考えると、郭嘉が生きていれば相国まで出世した可能性もあります。

 

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三国志ライター ろひもと理穂の独り言

ろひもと理穂

 

曹操配下の軍師として忘れてはいけないのが

「我が子房」と呼んで一番の信頼を寄せていた荀彧(じゅんいく)です。

曹操が献帝を許に迎えた際にいち早く尚書令に出世しました。

しかしどんなに曹操が薦めても荀彧は三公の官位に就くことを拒否しました。

そこには荀彧なりのこだわりがあります。

要するにどんなに活躍しようが、出世するかしないかには本人の意向も係わってくるということですね。

果たして郭嘉が生きていたとしてどこまでの出世を望んだのでしょうか。

 

郭嘉

 

伝わってくる話では、やや変わり者の郭嘉さんですから、

もしかしたらまったく出世に興味なかったかもしれません。

九歳年下となる「軍師連盟」の主役・司馬懿(しばい)とは対称的な人生を歩んだかもしれませんね。

 

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