個別に名前がついている部隊ってカッコいいですよね。
奇兵隊とか新撰組とか、白虎隊なんかもそうですがイメージがしやすいです。
さて、三国志の時代にも、際立った手柄を立てた事で個別の名前を与えられた
部隊が幾つか存在していました。
今回のはじさんでは、それを紹介していきましょう。
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この記事の目次
三国最強、魏の精鋭騎馬隊 虎豹騎(こひょうき)
三国志において、その強さと速さで一番名前が知られているのが虎豹騎でしょう。
虎だけでも凄いのに臆面もなく「豹」まで加えているのは自信の現れ、
曹操(そうそう)、曹純(そうじゅん)、曹仁(そうじん)、曹真(そうしん)といった
魏の宗族が歴代の指揮官を勤めました。
虎豹騎が、後世の造り事ではない証拠に三国志魏志、曹純伝にも
「仁弟純 初以議郎參司空軍事 督虎豹騎從圍南皮」
翻訳:曹仁の弟(曹)純、初めは議郎として司空の軍事に参加し、
虎豹騎を率いて南皮の包囲戦に従軍
などと書いてあるように実在した騎兵であり袁紹(えんしょう)との戦い、
烏桓討伐、長坂での劉備(りゅうび)の追撃戦、そして潼関での
馬超(ばちょう)の騎馬兵とも戦い活躍している部隊でした。
虎豹騎の強さの秘密は家柄ではなく実力本位の選抜制にあり、
時には百名の将校から隊長を選ぶなど生え抜きの騎兵で構成されました。
この虎豹騎に所属できるのは、この上ない名誉な事だったようです。
魏の歩兵のエリート集団 虎士(こし)
虎士は、虎豹騎とは対をなしていて、曹操の近衛兵団です。
許褚(きょちょ)が隊長なので騎兵ではなく歩兵の集団かも知れません。
こちらもしっかりと実在する部隊で三国志 魏志、許褚伝にも
「太祖將北渡 臨濟河 先渡兵 獨與褚及虎士百餘人 留南岸斷後」
翻訳:曹操は黄河を北に渡らんとして、先に兵を渡河させ
独り許褚と虎士百人余りとで南岸で後背を断っていた。
このように、しっかりと記載されています。
虎士は、許褚の前任者のボディーガード、典韋(てんい)時代から付き従った
腕っ節の強い連中が主体で、全て剣豪、その中から数十人が将軍や諸侯になり
百人以上が都尉や県尉になったと言われています。
虎士が一番活躍したのは、曹操が馬超に急襲された潼関の戦いであり、
曹操を逃がす為に許褚と共に、人間の盾となって奮戦したのです。
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魏には負けないぜ!蜀の赤い衝撃 赤甲(せきこう)兵
魏には、負けていられないとばかりに、蜀にも赤甲兵という
精鋭部隊が存在していた事が知られています。
こちらは、華陽国志の記録であり、蜀の涪陵(ふりょう)郡の住民が
勇猛で頑固な為に、その戦闘能力を利用して後漢の時代から
精鋭部隊を編成していたという事で、諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)は、
この事に倣い赤甲兵という赤一色の強弩兵を3000名規模で組織して
北伐軍が出征する拠点である漢中(かんちゅう)に配置していました。
元々、益州には、劉焉(りゅうえん)、劉璋(りゅうしょう)の時代から
東州兵や青羌(せいきょう)兵や叟(そう)兵という異民族、
或いは漢人と異民族の混血の勇猛な民族がいて戦争では使用していたようです。
純粋な農耕民である漢族と違い、半農半牧や半狩猟で生活している
異民族の戦闘力が高いのは当たり前なので、孔明の赤甲兵も
或いは、戦闘力が高い異民族か混血の人々だったかも知れません。
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公孫瓚の白馬義徒(はくばぎと)も実在した
公孫瓚(こうそんさん)の白馬義徒は三国志演義だけに見えて
意外にも事実で、正史三国志、袁紹伝が引く英雄記にも登場します。
公孫瓚は、白馬を好み、騎射の技術に優れていて、同じような騎射の名手を
数十人集めて白馬義徒としていたようで、烏桓族はこれを白馬長史と恐れ
公孫瓚の人型の射撃的などを造り射撃訓練して対抗しようとしますが、
結局、被害を恐れて公孫瓚の支配地域には近づかなくなったようです。
また、三国志魏志、公孫瓚伝では、公孫瓚自身も烏桓突騎三千名を
命令により率いた事が書いてあります。
「發幽州突騎三千人、假瓚都督行事傳」
翻訳:幽州突騎三千人を発して、公孫瓚に割符を与え騎兵を率いさせた。
このように、公孫瓚は最初の数十名の白馬義徒に烏桓突騎で、
投降した騎兵を加えて白馬義徒を拡充させたようです。
三国志ライターkawausoの独り言
三国志の史実の世界で名が残っている精鋭部隊について調べてみました。
本当は、それぞれの群雄の下に名前を冠した部隊があったと思いますが
伝わっていないか、大きな功績がないかで忘れさられたのかも知れません。
残念なのは、呉にそれらしい精鋭部隊が無い事、、
決死兵のような存在は、時々見るんですが、そうじゃない、
特別な名前を冠した部隊を呉では見かけないですね。
※どなたか知っている方がいましたら、アンケートに記載して頂くと
今後に活かせるので助かります。
アンケートはこちら
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