蜀の五虎大将軍のひとりにして、
かつては独立勢力として曹操(そうそう)と真っ向からぶつかり合い、
曹操の首を獲る寸前まで追い詰めた猛将・馬超(ばちょう)。
三国志演義では、呂布(りょふ)さながらの猛勇と着飾った甲冑姿の壮麗さから
「錦馬超」との異名も持ちます。
しかし馬超には謎があります。蜀に降った後はほとんど活躍する機会もなく、
いつの間にか息を引き取っているというものです。
あの勇猛果敢な馬超が後ろ盾を得たのになぜ動かないんだ?って蜀ファンはイライラします。
今回はそんな謎に満ちた武将・馬超をご紹介いたしましょう。
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混血児
馬超には他の名だたる武将たちと大きく異なる点があります。
それが血統です。
馬超の父親は馬騰(ばとう)といいます。祖先は後漢の名将・馬援(ばえん)です。
かつての英雄ですが、馬騰の父親が官を失い、異民族と結ばれます。
そこから馬氏の運命は大きく変わっていくことになります。
異民族は、西方・涼州近郊に住む「羌」という古くは中原で遊牧をしていた民族です。
殷民族が力をつけて、羌は四方に散ります。西方の周民族は羌と結んで王朝を建てました。
当時の周の王は文王で、羌を率いていた太公望を軍師に迎えて結束します。
しかし周の王朝に従わない羌もあり、そこが迫害を受けます。
羌と徹底的に武力衝突したのが西方の軍事国家・秦です。
追い詰められる羌でしたが、その羌に「無弋爰剣」という神格化されるほどの英雄が
登場してひとつにまとまり大きな勢力となりました。
しかし秦は益々力を得て、無弋爰剣の子孫はバラバラになって隠れ住むようになります。
こうして圧力は薄らぎ、ひっそりと生活をしていくことになるのです。
その状態が後漢まで続きましたが、
武帝の時代以降は完全に敵視され、排除される方針で標的とされます。
中央の人間からすると羌は家畜同然の奴隷で、従わぬ者は狼の如き害獣として見られていました。
かつてのアメリカ合衆国の黒人のような存在でしょうか。
対等な人間として扱われず、差別を受け続けてきたのです。
馬騰の母親はそんな羌であり、馬騰の息子・馬超は羌とのクウォーターということになります。
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異民族の反乱
西方には羌だけでなく、氐や胡と呼ばれる異民族もいます。
彼らは皆、漢帝国から迫害を受けていました。
彼らの信望を得ていたのが、当時、涼州金城郡の計吏を務めていた韓遂(かんすい)です。
韓遂は異民族との融和を模索していました。
中華の各地で黄巾の乱が起こったとき、羌や胡ら異民族もチャンスとばかり反乱を起こします。
金城の督軍従事として軍務についていた辺章や異民族の長らに説得され、韓遂はこの反乱に加担します。
これにより西方の異民族は結託することになるのです。
ひとときはかなりの勢いで侵略していく辺章らでしたが、
車騎将軍・張温を大将とし、董卓、陶謙、孫堅などの猛者を引きつれた漢軍に敗れ去ります。
リーダー争いを巡り、辺章は韓遂を暗殺しようと試みますが、
異民族は韓遂を選び、逆に殺されてしまいました。
韓遂は盟主となり、涼州刺史の兵を破り、三郡を押さえました。
ここに至ってこの異民族の群れは、大きな勢力として西方に陣取ることになるのです。
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離間の計
韓遂と義兄弟の契りを交わしたのが馬騰です。
中央政府を仕切っていた董卓が死に、その残党が後漢皇帝を傀儡としてのさばっていたとき、
馬騰は韓遂と共に長安を攻めます。
馬騰の思惑は、幽閉状態の帝を救い出し、益州にいる劉焉まで届けて遷都するというものでした。
この功によって西方の異民族は漢に正式に認められることになるのです。
馬騰は異民族と漢を何とかして結び付けたかったのでしょう。
董卓の残党は、韓遂を鎮西将軍、馬騰を征西将軍に任じることで和解を目指します。
家が没落し、異民族の混血児から惨い扱いを受け、
木を切って生計を立てていた馬騰にとって
正式に国の将軍に任じられたことは格別な喜びだったことでしょう。
自分が認められたことで異民族への扱いも変わると確信したに違いありません。
しかし、これは馬騰と韓遂の仲を割く、離間の計だったのです。
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三国志ライター ろひもと理穂の独り言
馬超を語るうえで欠かせないのが、「異民族」の存在であり、その価値観です。
馬超は逃れられない運命を背負わされて生きていくのです。
それは劉備や曹操、孫堅などの英雄たちの志とはまた別の独特なものでした。
次回は「馬超の性格を考える」後編です。
次回記事:曹操に敗れすべてを失った馬超の性格を考える【後半】
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