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【孫呉決定版】周瑜・陸遜それとも呂蒙!?正史三国志・呉書で一番軍略に優れていた人物とは?

この記事の所要時間: 415




 

江東の碧眼児(こうとうのへきがんじ)・孫権(そんけん)

孫権は三国志の呉を建国した人ですが、

春秋時代に建国された呉と区別をつけるために孫呉と言われることもあるそうです。

当時は魏と蜀に挟まれて常に緊張状態が続いておりました。

だが孫権の配下には周瑜や陸遜、呂蒙など軍略に優れた人物が多くいておかげで、

大きな戦が起きた場合大半は勝利を得ることができました。

しかし孫呉の軍略家の中で、

一番の軍略家はいったい誰だったのか気になるところではありませんか。

今回はレンが勝手に孫呉の中で軍略家ランキングを作ってみましたので、

ご紹介したいと思います。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:【呉最強説】孫権率いるレッドな政権孫呉軍団の弱点ってあるの?




孫呉の軍略家ランキング3位:三国志版一夜城を作って魏の軍勢を退却させた徐盛

 

 

孫呉の軍略家ランキング3位に見事にランクインしたのは、

一夜城を作って魏の大軍を退却させることに成功した徐盛(じょせい)です。

徐盛は三国志初の一夜城を作ったのですが、

どのようにして魏軍の目をごまかして一夜城を制作したのでしょうか。

魏の初代皇帝・曹丕(そうひ)は大軍を催して孫呉を討伐するべく出陣。

孫権は諸将を呼び寄せてどうすれば魏軍を打ち払うことができるのか会議を開きます。

徐盛はこの会議の席で

「長江沿いに簾をかけて防御壁を作ればいいのではないのでしょうか」と提案。

しかし会議に出席した諸将は「無駄だ。そんなことをするくらいなら、

陣営を築いて魏軍の攻撃を防ぐようにすればいいじゃないか。」と反対意見を述べます。

だが徐盛は反対意見を聞いても自らの意見を退けるつもりはなく、

何度も自分の提案を孫権に進言。

孫権は徐盛が繰り返し自分の意見を述べるので「わかった。君の思うとおりにやるが良い」

と徐盛の意見を採用することに。

徐盛は自らの意見が採用されると急いで孫呉の首都・建業(けんぎょう)から防御壁を作る

工事を開始。

徐盛は防御壁の工事を行うに際して簾をかけて魏軍に防御壁の全体をわからないようにし、

簾の上に櫓を立てて行きます。

更に徐盛は防御壁の工事が魏の偵察隊にバレないようにするため、

長江に孫呉の水軍を展開して偵察隊がやってこないようにします。

こうして完成した防御壁は数百里の長さを誇る雄大な建築物になります。

曹丕は魏の大軍を率いて長江近くの広陵(こうりょう)に到着し、

徐盛が作った防御壁を見て驚いて退却を開始。

一戦もすることなく魏の大軍を退却させた徐盛こそ、

孫呉の軍略家3位に入る逸材と言えるのではないのでしょうか。




孫呉の軍略家ランキング2位:我慢に我慢を重ねて劉備軍を撃破した陸遜

 

孫呉の軍略家ランキング2位にランクインしたのは、

孫呉の宰相として名高い陸遜(りくそん)です。

陸遜の軍略家としての名を大いに高めた戦いと言えば夷陵の戦い(いりょうのたたかい)と

言えるのではないのでしょうか。

陸遜は夷陵の戦いで孫権から劉備軍迎撃の総大将として任命され、

劉備軍と戦うように命令を受けます。

陸遜は劉備軍迎撃軍の総大将として君臨すると劉備軍の出方を見るため様子を見ます。

陸遜の部下として配置されていた諸将は、

陸遜が劉備軍に反撃せずに様子見をしていることに憤慨して

「総大将。なぜ劉備軍の迎撃をしないのですか。

劉備軍を攻撃するのであれば劉備軍が侵攻してきた当初に攻撃を行うべきであったのに、

どうして5、600里も孫呉の領内へ侵攻を許したのですか。」と激怒。

陸遜は諸将の意見を聞いて「劉備は千軍万馬の古強者で数々の戦場を経験してきた人だ。

そのため劉備軍は孫呉の領土に進行してくる際は多くの準備や謀を備えていたから、

攻撃をしなかったのだ。

しかし今、劉備軍は深く侵攻してきており我が軍を攻撃する隙を見つけることができずに

チャンスを伺っている状態だ。

更に劉備軍は深く我が領内に侵攻してきたため、蜀の兵士達は疲労困憊である。

私はこの状態をずっと待っていたのだ。

今こそ疲労困憊している劉備軍に攻撃を仕掛けるチャンスである」と

述べて諸将へ攻撃を仕掛けます。

だが孫呉の諸将は劉備軍に敗北して帰還してきます。

諸将は陸遜へ「どうして今頃攻撃を仕掛けさせたのだ。

兵士をただ無為に死なせただけではないか。

ここまできてもし劉備軍に勝利することができないならば、

今後お前の命令を聞かずにボイコットしてやるからな」と

激怒して詰め寄ってきます。

陸遜は諸将へ「そんなことはない。今回劉備軍に攻撃を仕掛けたおかげで、

こちらの勝利は確実になった」と述べます。

そして陸遜は「各々。深夜劉備軍に攻撃を仕掛ける。

兵士達に茅を持たせて劉備軍の陣営についたら火をつけて投げつけるといい。」と命令。

諸将は陸遜の命令に不承不承頷いて、

劉備軍の陣営に火をつけた茅を投げつけて攻撃を開始します。

この陸遜が心血を注いで行った夜襲攻撃を受けて劉備軍の陣営は燃え広がって大混乱に陥り、

孫呉の奇襲攻撃を迎撃することができずに大敗北して撤退していくことになります。

諸将は陸遜の軍略が大成功に終わったことを知り、

陸遜の智謀に付き従っていくことになるのです。

孫呉の将軍達は陸遜に対してボイコット寸前まで怒りを溜め込んでいました。

しかし陸遜は諸将の不満を聞いても気にせず、

冷静に状況を判断し夷陵の戦いで劉備軍をコテンパンに討ち果たした陸遜の軍略こそ、

孫呉の軍略家ランキング2位の名にふさわしいと言えるのではないのでしょうか。

そして次は皆さんが知っている孫呉の軍略家のトップが登場します。

 

日々の生活を工夫で楽しくする『三国志式ライフハック

 

孫呉の軍略家ランキング1位:劉備を取り込んで天下統一事業を進めようとした軍略家・周瑜

 

孫呉の軍略家ランキングの1位に君臨することになったのは、

赤壁の戦いで曹操軍に大勝利した周瑜(しゅうゆ)しかいないでしょう。

赤壁の戦いでの周瑜の戦いははじめての三国志でも多くのライターの人達が紹介しており、

ここで紹介する必要などないでしょう。

そこで今回は周瑜の軍略を赤壁の戦い以外でご紹介したいと思います。

周瑜は劉備が孫権が本拠地としていた鎮江(ちんこう)にやってくると

孫権へある提案を行います。

周瑜は「劉備は英雄としての素質を十二分に持っており、配下には関羽、

張飛などの勇猛果敢な武将を引き連れ諸葛孔明(しょかつこうめい)や龐統(ほうとう)など、

軍略や政治に優れた文官を多く配下に加えております。

私はこれらの武将や文官を揃えた劉備がいつまでも人に付き従っているとは、

到底思えません。

劉備は今殿との会見の為に鎮江へやってきております。

これは天が殿に与えた千載一遇のチャンスと言えるでしょう。

私はこの千載一遇のチャンスを生かすため呉に大きくて豪華な宮殿を作って、

美女や豪華な贈り物を贈って劉備を取り込めておくべきだと考えます。

劉備を宮殿に押し込めている間に関羽や張飛、諸葛孔明、龐統などを配下にして、

別々の場所に配置。

そして数年ほど別々の場所に関羽、張飛、諸葛孔明、龐統らを配置した後、

私が彼らを使って北伐を開始すれば魏を滅ぼすことも簡単にでき、

天下統一も簡単にできるでしょう。」と提案。

しかし孫権は一時的に劉備を拘束することに成功しても、

関羽や張飛達がおとなしく孫呉の言うことをきくはずがないと考えていた為、

周瑜のこの作戦を用いることをしませんでした。

もしこの周瑜の作戦を孫権が用いていれば、

周瑜が描いた通りの作戦が発動できたかもしれません。

同盟相手であっても自らの勢力に組み込んで天下統一事業を発展させようと考え、

赤壁の戦いでの軍略家としての才能を持った周瑜こそ孫呉の軍略家1位としての才能を

しっかりと見せつけていると言えるのではないのでしょうか。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

いかがでしたでしょうか。

正史三国志・呉書から見て孫呉の軍略家ランキングをレンの独断と偏見でつけてみました。

孫呉好きのみなさまにおいては、

魯粛や呂蒙、諸葛瑾などいないじゃんと思う方もいるかもしれません。

今回はレンの独断と偏見において勝手につけたランキングなので、

孫呉好きのみなさまの中で軍略家としてのランキングをつけてみるのも、

三国志を読み解いていく中で一興なのではないのかなとレンは考えております。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志・呉書 小南一郎訳等

 

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関連記事:呉と倭は外交交渉をしていたの?日本を目指した衛温と諸葛直

関連記事:三国志を否定するのは呉の張昭?三国間の不毛な争いを終わらせようとした政治家

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 




 

黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。
現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。

歴史人物:

張遼、孟嘗君、張作霖など

何か一言:

今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!

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