天才軍師・郭嘉の息子も天才軍師だったの!?

2018年6月17日


 

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郭嘉

 

曹操(そうそう)から絶大な信頼を寄せられていた郭嘉(かくか)

郭嘉は天才的な観察眼や戦場でのアドバイスを行い、活躍していましたが、

若くして亡くなってしまいます。

そして郭嘉の跡を息子の郭奕(かくえき)が継ぎますが、

彼も郭嘉と同じように天才的な才能で曹操を支えたのでしょうか。

今回は郭嘉の息子郭奕を紹介したいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志の有名武将の二代目は優秀なの!?

2代目

 

郭嘉の息子・郭奕を紹介する前に三国志の二代目武将はそもそも優秀なのでしょうか。

結論から言いますとフィティーフィティーと言えるでしょう。

例えば呉の名軍師・周瑜(しゅうゆ)がいます。

周瑜

 

周瑜は赤壁の戦いで曹操軍の大軍を孫呉の精鋭部隊を率いて、

撃破し歴史にその名をとどめます。

しかし周瑜の息子は周瑜の風格がありそれなりに優秀でしたが、若くして亡くなり、

歴史に名をとどめるような活躍ができませんでした。

また周瑜の次男は侯の位を与えられますが、罪を犯してしまい流罪になってしまいます。

もちろん優秀な二代目武将も居ます。

司馬昭と司馬師

 

優秀な二代目武将の代表格と言えば、司馬懿(しばい)の息子・司馬師(しばし)司馬昭(しばしょう)兄弟でしょう。

彼ら兄弟は司馬懿に匹敵する才能を発揮し、衰えた曹魏の政権から少しづつ力を奪って、

三国志を統一する新しい国の基礎を建設することに成功しています。

このように父が優秀でも息子が優秀の場合もありますし、

優秀じゃないこともあり一概には言えません。

では郭嘉の息子・郭奕は一体どちらなのでしょうか。

 

郭嘉死す…そして息子の郭奕が跡を継ぐ

郭嘉

 

郭嘉は烏桓(うかん)討伐戦が完了するとこの時の疲労により病に倒れてしまいます。

郭嘉の病状は回復することなく次第に弱っていき、亡くなってしまいます。

蒼天航路(そうてんこうろ)にも郭嘉は登場し彼の亡くなるシーンが描かれています。

 

蒼天航路の郭嘉の最後は曹操と政治や国の仕組みついての深い話や

孫権(そんけん)討伐の為の軍略を語りながら亡くなってしまいます。

曹操は郭嘉が亡くなると大きく嘆きショックを受けてしまうのでした。

曹操と郭嘉

 

史実でも郭嘉が亡くなった時、曹操は彼の死を嘆いてショックを受けていたそうです。

曹操は郭嘉が亡くなると彼に領土を加増して、郭奕が郭嘉の跡を継ぐことになります。

 

呉の武将

 

郭奕は父郭嘉のように天才的な能力を持っていたのか。

郭嘉の息子

 

郭奕は父の跡を継いで勉学に励み、魏の官職を与えられます。

正史三国志等の資料によると郭奕は父程とはいかなくても人以上に理解力の早く、

豊富な知識もたくさん持っており、魏の政権に貢献していたようです。

 

郭奕が父と同じような天才的な能力を持った人なのかと言われれば、微妙な所でしょう。

しかし郭奕はボンクラではなくそれなりに優秀な人でしたが、性格に難がありました。

 

好き嫌いがハッキリしている性格

郭嘉の息子

 

郭奕は人よりも理解力が早かったことが原因なのか、性格に問題がありました。

郭奕は自分が好きな人には尊敬し、大いに敬っていましたが、

自分が嫌いな人にはそこらへんに生えている雑草のように軽んじていたそうです。

 

レンは郭奕が好き嫌いがはっきりしていいと思うのですが、

郭奕の性格では中々交友関係を築くことも難しく、

組織の中でも理解してくれる人が少なかったと思われます。

そのため魏の政権でそれなりに優秀であったにも関わらず、

大きな仕事を任せられなかったのではないでしょうか。

   

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

郭奕の数少ない友人である王昶(おうちょう)は息子達へ

「郭奕のような性格になってはダメだ」と教えていたそうです。

それくらい郭奕は性格に癖がある人でした。

 

しかし能力的には常人以上の力を持っており、

郭嘉のような天才的な能力を持っていませんでしたが、

魏の政権ではそれなりに貢献していた人物だと思われます。

 

参考文献 ちくま学芸文庫 正史三国志魏書等

 

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魏のマイナー武将列伝

 
 

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