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袁紹と田豊の仁義なきバトル物語

この記事の所要時間: 250




袁紹

 

袁紹(えんしょう)は名門であったこともあり多くの有能な人材をいっぱい部下にしていました。

例えば顔良(がんりょう)文醜(ぶんしゅう)は勇猛果敢な勇将で彼らの名前は他国にまで響いていました。

 

また文官では沮授(そじゅ)は軍師として有能で曹操(そうそう)も彼には一目置いている人物でした。

このように多くの人材を手に入れていた袁紹ですが、仲の悪い部下がいます。

 

その部下の名前は田豊(でんほう)といいます。

袁紹田豊はいつもバトルを繰り広げていたそうです。

今回はこの二人の仁義無きバトル物語を紹介したいと思います。

 

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関連記事:もはや「意地」の領域?田豊・沮授の進言を却下し続ける袁紹が凄すぎる

関連記事:田豊(でんほう)とはどんな人?優れた策をいくつも進言するも全てが無駄になった智謀の臣

 

 

第一回戦!!袁紹を助けるために行動した田豊に激怒した袁紹

田豊に激怒した袁紹

 

袁紹は河北を統一するため幽州の公孫瓚(こうそんさん)と激しい戦いを繰り広げていました。

そしてついに袁紹は公孫瓚の軍勢と一大決戦を行います。

 

公孫瓚の騎馬隊は強力でいつもこの騎馬隊に苦戦していましたが、

袁紹は盾を用いた弓隊と歩兵部隊を用いて騎馬隊を蹴散らすことに成功。

 

公孫瓚は自慢の騎馬隊が撃破されてしまったため、撤退していくのでした。

袁紹は公孫瓚軍が撤退していったことで戦に勝ったと思い込んでいるところへ、

公孫瓚の騎馬隊が突撃してきます。

 

この時袁紹の本陣には数百の軍勢しかいなくて、危機的状況へ陥ってしまい、

袁紹も敵兵からの弓で軽症を追ってしまうのでした。

 

田豊はこの時袁紹の本陣にいたため、彼を救うために盾の後ろへ袁紹の身を避難させます。

君主が危機的状況に追い込まれているので田豊がとった行動に何一つとして悪いところがありません。

 

しかし袁紹は田豊の行動にブチ切れ、

てめー何しやがる!!武人は戦場で討たれる事を覚悟しているのだ。

こんな盾の後ろに隠すなど余計なお世話だ!!

 

と言って騎馬隊を打ち払うべく盾の外へ出て軍勢を指揮するのでした。

田豊は戦の最中だったので文句を言いませんでしたが、

腹の中では袁紹に怒っていたと思います。

 

 

第二回戦最大のチャンスを逃した袁紹にブチ切れた田豊

袁紹にブチ切れた田豊

 

第二回戦は曹操を討ち滅ぼす最大のチャンスを袁紹が逃したことに田豊が激怒してしまいます。

どうしてこうなったのか。

 

曹操劉備(りゅうび)が反乱を起こしたため、彼を討伐するべく自分で軍勢を率いて劉備討伐へ向かいます。

この時袁紹と曹操は敵対関係にあり、

二つの勢力が密接しているところではいつ戦がおきてもおかしくない状況でした。

 

そんな時に曹操自ら軍勢を率いて本拠地を後にしてしまいます。

田豊はこの曹操の行動を知るとすぐに袁紹へ

今曹操の勢力へ攻撃を仕掛ければ、簡単に曹操を滅ぼすことができますぞ!!

と力強く説得を行います。

 

しかし袁紹は田豊の意見を聞いて「いや今回はやめておこう」と却下。

田豊は「なぜこのチャンスを生かさないのです」と袁紹へ詰め寄ります。

 

すると袁紹は

だってさ。子供が風邪引いてるから心配なんだよ

と答えるのでした。

 

田豊はこの言葉を聴いて袁紹の元を去ると後で杖を地面にたたきつけて

「くそが!!最大のチャンスを生かさないなんて」

と言って激怒したそうです。

 

袁紹はこの田豊の行動を聞くといやな顔をしていたそうです。

 

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仁義無き戦い決着

田豊

 

袁紹は曹操を討ち破るため大軍を引き連れて南下することに決めます。

田豊はこの決定がされた時「持久戦で曹操と戦うべきです」と袁紹へアドバイス。

 

袁紹は田豊の言葉を聞くと激怒し

こいつは兵の士気を下げるような言葉をはいた。すぐに牢屋へぶち込め!!

と命令を出した後、軍勢を率いて出陣していきます。

 

田豊はその後官渡の戦いで敗北した袁紹の命令によって殺害されてしまうのでした。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

袁紹と田豊はどうしてこんなに険悪なのでしょうか。

その理由はレンの推測ですが、生理的にそりが合わなかったのかもしれません。

 

田豊が袁紹に仕官した当初から険悪であったわけでなく、

袁紹が少しづつ田豊のアドバイスが気に食わなくなり、

最後は最悪な結末を迎えてしまったのではないでしょうか。

 

参考文献 【ちくま学芸文庫 正史三国志魏書】など

 

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【魏のマイナー武将列伝】
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黒田廉(くろだれん)

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横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。
現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。

歴史人物:

張遼、孟嘗君、張作霖など

何か一言:

今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!

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