三国志演義で、赤壁の戦いからボロボロになって敗走してくる曹操を捕らえるために
待ち伏せをしていた関羽が、旧恩に免じて見逃してくれと曹操から懇願されて
逃がしてしまうシーン。
任務と恩義の板挟みに苦悩しながら、泣いている曹操軍の兵士たちを見て
一人残らず逃がしてしまうという、関羽の情の深さが表れている美しいシーンです。
三国志演義より前に刊行された「三国志平話」にも関羽が曹操を取り逃がすシーンがありますが、
そこには関羽の義も情も描かれておらず、ただのアクシデントのような書かれ方をしています。
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三国志演義の名シーン、その伏線
まずは三国志演義でどう書かれているかを見てみましょう。
演義の第五十回、「関雲長 義によって曹操を釈つ」と題された、
関羽の義を強調するエピソードになっています(雲長は関羽のあざな)。
曹操が赤壁の戦いに敗れるであろうと察知した劉備陣営は、
曹操の退路で待ち伏せをしてあわよくば曹操を捕らえようと算段します。
長江の残兵狩りに糜竺、糜芳、劉封を派遣することとしましたが、
劉備と義兄弟の契りを交わした重鎮の関羽には目もくれません。
この大事な時にどうして自分を使ってくれないのかと関羽が諸葛亮にくってかかると、
諸葛亮は口をにごします。
「実は一番大事なところを将軍にお願いしようと思っていたのですが、
ちょっと差し支えがありましてね……」
それは何かと関羽が尋ねると、かつて関羽が曹操に降伏した時に曹操の厚遇を受けているので、
その時の恩を感じて曹操を見逃してしまうだろうという返事。
こう言われた関羽はムキになり、曹操への恩返しはとっくに済んでいる! 決して逃がすものか!
と言い、もし逃がした時は軍法によって処断されよという書面までしたためて、
曹操を待ち伏せする任務をゲットしました。
恩義と涙に弱い三国志演義の関羽
百万と号していた曹操軍、赤壁の戦いに敗れ、退路も困難を極めたうえに幾度も伏兵に遭い、
関羽の目の前に現われたのはわずか三百騎ほどの飢えたボロボロの将兵でした。
曹操軍は関羽の伏兵が現われても逃げる様子も戦う様子もなく、
ボロボロの曹操が関羽の前に馬をすすめてあいさつをします。
「将軍、一別以来お変わりはありませんかな」
関羽が倒そうと思っていたのは天下の大半を占めている乱世の奸雄・曹操であって、
たった一人で近づいてこられて個人の交誼を前面に押し出してあいさつなんかされちゃうと、
情の深い関羽はもう弱いです。曹操はたたみかけます。
「私は戦いに敗れ、もはや逃れる道はなくなりました。
将軍が以前、私の恩には必ず報いると言って下さったあの言葉におすがりしたい」
「あ、あんたの恩義には顔良・文醜を討ち取ってとっくに報いてあるんだから!
今日は命令を受けて出陣してるんだから、仲良しだって容赦しないんだからね!」
「春秋時代、弓の名人・子濯孺子がいた鄭国と孫弟子の庾公之斯がいた衛国が戦争になった際、
子濯は病気で弓が引けなかったので、庾公は子濯を射るに忍びず、
矢じりを抜いた矢を四本放っただけで帰ったとか……」
春秋左氏伝好きの関羽にゆさぶりをかけながら命乞いする曹操。
向かってくる相手は倒せても、命乞いしている相手は倒しづらいのが人情。
そして関羽は強い者には厳しく弱い者に優しいというメンタルの持ち主。
また、義理堅い性格で、かつての恩義を無下にできません。
任務と恩義の板挟みに悩みつつ、くるりとそっぽを向き、部下に「間隔を広げよ」と命じました。
見た目上は陣立てを変えるだけの命令ですが、曹操のために退路を空けたのです。
はっきりと逃がしてやるとは言わず、でも悩みながらも逃がしてあげちゃう関羽。
曹操が通り過ぎ、その配下たちまでも逃げてゆく音を聞き、関羽は振り返って大喝したところ、
曹操の部下たちは馬から下りて関羽を拝みながら声をあげて泣きました。
その様子を見て、関羽は一人残らず逃がしてしまいました。
長いひげを蓄えた背の高い関羽が赤兎馬の手綱を控えながら
微動だにせずうなだれている情景が目に浮かぶような美しいシーンです。
三国志平話は無味乾燥
この待ち伏せのシーン、三国志平話では何の面白みもありません。
関羽が待ち伏せをしているところに曹操軍が到達し、曹操は命乞いします。
「かつて寿亭侯どの(関羽)に与えた恩を思い出して下さい」
関羽はすげなくこう言います。
「軍師の厳命がございますので」
そこで曹操が関羽の陣に攻撃をしかけると、砂ぼこりがあがり、
曹操はそれに紛れて逃れることができました。
関羽は何里か追いかけた後、あきらめて帰りました。
……これだと、ふつうに会戦して取り逃がしただけですね。
関羽の義とか優しさとかの描写はゼロです。
三国志ライター よかミカンの独り言
三国志平話では、劉備・関羽・張飛の三兄弟のうち一番目立っているのが
スカッと爽快な暴れん坊キャラの張飛、二番目が親分肌の劉備で、
関羽にはあまり活躍の場がありません。(「五関に六将を斬る」のシーンもありません!)
大衆向けの娯楽だった三国志平話では、関羽の義理がたいキャラは
地味で分かりづらいため放置されていたのでしょう。
三国志演義は「義を演ずる」と言うだけあって義の人・関羽に大いに注目しており、
平話でほとんど存在感のなかった待ち伏せのシーンに大幅な脚色を加え、
強くて優しくて美しい関羽像を作り上げております。
このシーンについては、三国志演義のほうに軍配を上げたいです。
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