蜀の丞相・諸葛亮。諸葛亮孔明は魏を討伐するためになんども北伐を行いますが、五回目の北伐戦で亡くなってしまいます。
どうして諸葛亮は亡くなってしまったのでしょうか。諸葛亮が亡くなった原因は過労にありました。
劉備死後から働き続ける諸葛亮
諸葛亮は劉備死後、蜀の丞相に就任。諸葛亮は蜀の丞相に就任すると休むことなく働き続けることになります。
まず諸葛亮は蜀の丞相に就任すると夷陵の戦いで疲弊した蜀の国力を向上させるため、内政を整え、夷陵の戦いで決裂した呉との同盟を再締結させることに力を尽くします。
その後諸葛亮は劉備死後に蜀の南部で反乱を起こした異民族たちを討伐するため、自ら兵を率いて出陣。
諸葛亮は蜀の南部を平定することに成功します。諸葛亮は蜀の丞相に就任してから内政を整えたり、呉との国交回復、南蛮制圧戦など人に任せることなく自分で行っていき、休む暇もなく働きづめの毎日を過ごしていました。
北伐も総大将として出陣する諸葛亮
諸葛亮は南蛮制圧成功後、魏を討伐する北伐戦を開始。諸葛亮は魏討伐戦も誰かほかの将軍に任せることなく、自ら総大将として出陣します。
諸葛亮は北伐を行う際、自ら作戦を立案し、軍の規律を重んじるため、鞭打ち20以上の刑罰を自ら行っていました。また諸葛亮は北伐軍の兵糧や金銭を管理する出納帳も自ら管理していたそうです。
また諸葛亮は軍事に優れた能力を持った魏延と卓抜な事務能力を持った楊儀が対立していたため、彼らが対立しないように調整するのも彼の仕事の一つでした。このように諸葛亮は北伐で魏軍を討伐することに注力するだけでなく、蜀軍の内部の仕事も多忙で心休まる日が無い毎日を過ごしていました。
諸葛亮はこのような毎日を過ごしていたため、五回目の北伐戦の時、休む暇もなく働き過ぎたせいで病を発病することになり、亡くなってしまいます。では諸葛亮がどうして自分の仕事を他の人に任させなかったのでしょうか。
諸葛亮が仕事を任せなかった理由とは?
過労で病を発病して亡くなってしまった諸葛亮。彼はどうして自分の仕事を他の人に任せなかったのでしょうか。
蜀には諸葛亮が自分の死後、丞相に指名した蒋琬や費禕、董允など政治に優れた人物がたくさんいました。
また軍事面では魏延を筆頭に王平や張翼、張嶷、姜維など優れた将軍がいました。
上記のように優れた人材がそろっていたにも関わらず、諸葛亮が彼らに仕事を任せなかったのは、すべての仕事を自分でチェックしなくては気が済まない、性格の持ち主だったからではないでしょうか
悪く言えば上記のようになりますが、諸葛亮の性格を良く表現すれば、責任感のある性格だったともいえるでしょう。もし諸葛亮が蒋琬や費禕、董允らに仕事を分担していれば、過労で倒れる事もなかったかもしれません。
また蜀には軍事面でも決して人材がいなかったわけではないので、魏延や張翼らに軍勢を与えて、仕事をある程度裁量させていれば、諸葛亮が過労で病にかかる事もなかったかもしれません。あくまでレンの予想ですが、皆様はどのように思いますか。
三国志ライター黒田レンの独り言
諸葛亮は自分の仕事を他人に任せなかったため、働きづめになってしまい、過労が原因で亡くなってしまいます。
諸葛亮は劉備が生きている間、このように働きづめではなく、劉備が亡くなった後に休みなく働き続けることになります。どうして諸葛亮は劉備死後に働きづめになるのか。
レンの推測ですが、劉備に原因があったと思われます。劉備は諸葛亮へ「劉禅の事を頼む」と遺言を残しています。
責任感の強い諸葛亮は劉備から遺言を託されると蜀の国と劉禅を支えなくちゃいけない責任に駆られ、働き続けることになったのではないでしょうか。もしレンの推測が当たっていれば、劉備のせいで諸葛亮が亡くなったともいえるのではないでしょうか。
■参考 正史三国志蜀書など
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