白馬の戦いの古戦場は現在酪農が盛ん?昔も今も「食」が命運を分けた官渡決戦

2019年6月21日


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官渡の戦い 騎馬兵

 

官渡の戦い(かんとのたたかい)曹操(そうそう)袁紹(えんしょう)の戦いであり、二人の三国志の英雄存在のぶつかり合いであり、運命を定めたと言ってもいい戦いです。

 

藏覇(臧覇)と曹操と袁紹

 

しかしこの戦いは色々な意味で非常に広く、いくつもの「戦い」が繰り広げられているので良く読んでいかないと今はどこで何が戦っているんだ…?ともなりかねません。そこで今回は官渡の戦いの一つとも言われる前哨戦、白馬の戦い(はくばのたたかい)の場所やどんな戦いだったのか詳しく解説していきましょう。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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白馬の古戦場は現在安陽市滑県と改名

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

三国時代の白馬の戦いが行われたのは、白馬県(はくばけん)と呼ばれる場所です。他の戦いと同じく、戦った場所の名前が付けられている戦いですね。

 

しかしこの白馬という場所は今ではありません。現在は名前が変えられ、滑県(かつけん)と呼ばれている位置が三国時代でいう白馬の辺りに該当します。因みに地名で言うと中華人民共和国河南省安陽市(あんようし
)
に位置する県で、位置的な説明をすると北部は黄河(こうが)の下流域にあります。

 

官渡の戦い勢力図(黄色が袁紹)

 

三国志でもここで曹操は中原(ちゅうげん)を支配していた、袁紹は河北(かほく)を支配していた、とあります。この中原とは黄河と長江の間にある地域、河北とは黄河より北を表します。つまり白馬の戦いは黄河を挟んでの戦いという訳です。

 

武器・農業器具を制作する張裔

 

現代では白馬県があった辺りは農業区となっていて、しいたけなどの栽培が盛んです。酪農なども盛んな土地であり、中国の食産業を支えている地区となっているのですね。

 

 

 

四面楚歌の曹操に袁紹が襲い掛かる

曹操VS袁紹

 

さて白馬の戦いが始まる以前から、曹操と袁紹の戦いは避けられないものとなってきていました。曹操が勢力を伸ばして北上する以上、北にいる袁紹の存在は目障りとなってくるでしょう。

 

董承と曹操

 

しかしこの時、曹操は呂布(りょふ)劉備(りゅうび)董承(とうしょう)やらとの戦いでいっぱいいっぱい!

 

袁紹を説得しようとする田豊

 

今こそ曹操討つべし!と袁紹の軍師、田豊(でんほう)が進言するも袁紹は三男・袁尚(えんしょう)が病気だからと却下。その後、地盤を安定させた曹操との戦いになると当然ながら曹操が攻めてきます。

 

袁紹を説得しようとする沮授

 

田豊は沮授(そじゅ
)
と共に持久戦をしましょう、と進言するけれどこれを却下。必死に持久戦を進言した田豊は投獄されます。

 

袁紹にお茶を渡す顔良

 

この頃の袁紹軍は、何と言ってもとにかく配下たちが対立しあっていてまとまりがないように感じられます。決して全員が無能ではないのですが…その無能ではないけれどまとまりがない配下をまとめられなかった袁紹に、段々と暗雲が立ち込めていくのもこの頃からです。

 

 

顔良・文醜を討たれるも物量でおしまくる袁紹

漢の顔良(がんりょう)

 

さてここで白馬の戦いが始まります。白馬の戦いの袁紹軍の先鋒は猛将として有名だった顔良(がんりょう)

 

顔良を討ち取る関羽

 

三国志演義(さんごくしえんぎ)ではここで関羽(かんう)が大活躍して一太刀で顔良を切り倒してしまうシーンですが、一説には顔良はこの時に劉備から「関羽がいたら説得してきて!」と頼まれていて戦う気がなかったにも関わらず、関羽が全く話を聞かずに倒してしまった…という話もあります。

 

顔良と関羽

 

真偽は置いておきますが、顔良は討ち取られ、後に顔良と同じく猛将だった文醜(ぶんしゅう
)
も曹操軍に討ち取られてしまいます。曹操軍は士気を上げ、袁紹軍は二枚看板を失いますが、実際にはまだまだ袁紹軍は強大。

 

荀彧に手紙を書く曹操

 

曹操軍を追い詰めていき、ついに官渡砦にまで追い込みます。曹操はこの時に尽きかけて兵糧が尽きかけているために降伏も考えますが…ここで運命が変わります。

 

曹操を励ます荀彧

 

曹操の運命を変えたのが、袁紹軍の食糧庫烏巣襲撃です。

 

 

許攸がリークした食糧庫情報で曹操が逆転勝利

許攸 兵糧のありか教えますひひひ

 

袁紹軍から寝返った許攸(きょゆう
)
によって曹操は袁紹軍の兵糧庫の存在を知り、焼き払います。このことがきっかけになって袁紹軍は敗走。

 

食糧庫を焼かれて慌てる袁紹軍

 

つまり兵糧の存在こそがこの運命を決めたと言ってもいいでしょう。さてこの時点で白馬の場所は関係なくなっているのですが、現在の白馬県があった辺りは中国の食を支える農業、酪農地区。

 

兵糧不足に苦しむ袁紹

 

つまり中国の食を支えている場所になっているのです…そしてこの「食」が曹操と袁紹の明暗を分けたと考えると意味深に感じてしまうのは…筆者だけでしょうか?

 

三国志ライター センの独り言

三国志ライター セン

 

と、最後にちょっと妄想、こじつけをしてしまいましたが白馬の戦いとは官渡の戦いの前哨戦、その場所は当時の曹操と袁紹の陣地の境目、黄河の下流地域。まとめるとこのようになります。

 

袁紹と曹操

 

官渡の戦いは有名ですが、その中には色んな戦いや思惑なども絡み合っているので、ぜひもう一度三国志を見直してみましょう。

 

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官渡の戦い特集

 

 

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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