呂布が董卓を暗殺した理由は長安遷都が原因だった!?


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董卓

 

董卓(とうたく)は後漢(25年~220年)の群雄の1人です。元々、涼州を治める地方官の1人に過ぎませんが、後漢第12代皇帝の霊帝(れいてい)が亡くなったことを契機に、首都の洛陽に訪れて政治の実権を握ります

 

ヘソにろうそくを刺される董卓

 

非常に暴虐な行為が多かったので民は苦しめられました。しかし、最期は養子の呂布(りょふ)と仲違いをしてしまい殺されます。ところで、董卓暗殺はいかなる背景により成功したのでしょうか?

 

今回は董卓暗殺について解説します。

 

自称・皇帝
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実はいい人?董卓の過剰人材起用

まだ漢王朝で消耗しているの? 董卓

 

董卓暗殺成功の理由は董卓自身の人材起用にありました。正史『三国志』や小説『三国志演義』には董卓が一族を優遇したと記されたので、董卓=暴君というイメージがついています。

 

小帝と董卓

 

ところが実際、董卓の腹心の武将は高位・高官には就任しておらず将校で止まっています。董卓は残虐な行為もしていますが人材も起用していました。荀彧(じゅんいく)の叔父の荀爽(じゅんそう
)
陳羣(ちんぐん
)
の父の陳紀(ちんき
)
は中央で抜擢され、袁紹(えんしょう)韓馥(かんふく
)
劉岱(りゅうたい
)
を地方官に任命します。

 

異民族に好かれる董卓

 

董卓って思った以上にいい人です・・・・・・これが残念なことに董卓が抜擢した人材は、思い通りに動いてくれませんでした。袁紹・韓馥・劉岱は董卓討伐軍を結成して反抗するし、中央で抜擢した何顒(かぎょう)周珌(しゅうひ)伍瓊(ごけい)も長安遷都反対や董卓排除を画策します。

 

王允と呂布

 

しかしながら、それだけの目にあいながらも董卓は死ぬまで人材起用を行います。そしてある人物に政権を託しました。王允(おういん)です。王允は後漢から唐(618年~907年)まで全国に名を轟かせた太原王氏の出身です。

 

王允

 

王允は『後漢書』によると「性格は剛毅で悪をにくむ」と記されていることから、絵に描いたような正義のヒーローでした。気持ちを抑えながら董卓に従い、一方董卓もかなり気遣いをしていました。

 

董卓のよかれと思ってやった過剰な人材起用が、結果として暗殺を成功させることになります。

 


 

呂布参加の謎

呂布

 

董卓暗殺の実行犯は呂布です。呂布は五原郡九原県・・・・・・現在のモンゴル草原の南端の出身です。顔は簡単な例えを出すなら横綱の白鵬のような感じと推測されます。

 

呂布は董卓の昔からの部下ではなく、併州の丁原という人物の家来でした。ところが、呂布は董卓から買収されて丁原の首と軍隊を土産に降伏します。降伏後、呂布と董卓から親衛隊長の位を授かります。

 

呂布

 

しかし董卓軍での生活は呂布にとって良いものではありません。ある日、董卓はちょっとしたことで呂布にキレて戟を投げつけました。幸いにも呂布が避けたので無事にすみますが、この時から呂布と董卓は不仲になります。

 

仕返しなのか分かりませんが、呂布は董卓の女に手を出したのです。でも呂布はそれをあとで凄く後悔しており、ビクビクしていました。そこを王允が目をつけて引き入れることは正史『三国志』に記されています。

 

筋が通った話なのですが少し他人に説得された程度で、親衛隊長の地位を捨てるのはおかしな話です。呂布が董卓暗殺に加担した理由は、呂布の地位を脅かす事態が起きていたからと推測されています。


 

真相は長安遷都

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

答えは長安遷都です。袁紹が挙兵したり、併州で張燕が率いる黒山賊が攻撃してきたので董卓は長安に遷都することになります。董卓は自分の出身である涼州に近い所を選びました。涼州ならば簡単に徴兵が出来ますし、袁紹が攻めてくれば韓遂や馬騰とも連絡して共同で当たることも可能だからです。

 

ところが、ここで呂布に問題が発生します。彼の軍事基盤の併州から離されることになります。徴兵も不可能になり、下手をすると親衛隊長も交代される可能性も考えられる。このような背景があるため、王允のちょっとした説得で心が揺れ動いて董卓暗殺に加わったとされています。


  

 

 

三国志ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

以上が董卓暗殺の背景に関しての記事でした。今回記事を執筆していて、董卓が不憫に思えました。涼州から来て人材起用をして頑張っていたのに、みんながまともに動いてくれなかったのですから・・・・・・董卓から起用された人たちは彼を「涼州の田舎者」としか思わなかったのでしょうか?

 

そう考えてみると董卓が残虐な行いを繰り返したのも、頑張ったのに報われない結果に終わったからなのかもしれません。

 

※参考文献

・上谷浩一「呂布叛逆考―『三国志』研究ノート<2>-」(『東洋史訪』14 2008年)

 

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