費耀とはどんな人?誰と組んでもそつなく戦果を挙げる魏の将軍


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費耀

 

魏の将軍・費耀(ひよう)をご存知でしょうか。

 

彼は魏の将軍で幾つもの戦いで功績を残した将軍ですが、三国志を知っている方でも名前を知っている方はごく少数の方だと思います。いったいどのような戦で功績を残したのか。このマイナーな将軍・費耀をご紹介してきたいと思います。

 

自称・皇帝
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涼州・雍州の反乱を鎮圧する費耀

三国志のモブ 反乱

 

魏の曹操(そうそう)の時代、涼州や雍州は頻繁に反乱を起こしていました。

 

蜀馬に乗って戦場を駆け抜ける馬超

 

例えばこの地域で馬超(ばちょう)韓遂(かんすい)が涼州・雍州の豪族達と連合して曹操軍と決戦をした事は、三国志を知っている方なら知っていると思います。

 

曹操を絶対殺すマンとしてなった馬超

 

馬超・韓遂らの連合軍は曹操軍と戦い敗北し、涼州・雍州の二州は安定したかと思われましたが、曹操死後も立て続けに反乱を起こしていました。曹丕(そうひ)の時代には麴演(きくえん)張進(ちょうしん)黄華(こうか)が手を組んで反乱を起こし、この反乱に呼応して涼州・雍州に割拠していた異民族や豪族達も彼らに加わり、大規模な反乱が発生。

 

郝昭(かくしょう)は陳倉城で孔明を撃退した

 

この反乱を知った護羌校尉の蘇則(そそく
)
郝昭(かくしょう)ら諸将を率いて、反乱鎮圧へ乗り出し、費耀も蘇則の反乱鎮圧戦へ参加します。費耀はこの戦で反乱軍の首魁の一人・張進を討ち取る功績を残し、蘇則らも反乱軍を討伐したり、降伏させたことにより、涼州・雍州の反乱を鎮めることに成功します。


異民族の反乱鎮圧戦で功績を残す費耀

皇帝に就任した曹丕

 

曹丕(そうひ)の時代には上記の反乱以降、盧水の異民族である伊健妓妾・治元多が反乱を起こします。

 

張既(大人)

 

曹丕は涼州を安定させるために曹操時代に涼州を安定させた実績を持つ張既(ちょうき
)
を涼州刺史へ抜擢。張既は涼州刺史に任命されると護軍の夏侯儒(かこうじゅ)や費耀らと協力して伊健妓妾・治元多を討伐することに成功。

 

反乱が多い地域をしっかりと治める指揮官・張既

 

こうして張既は涼州の反乱を終結させ、涼州一帯を安定させます。


街亭の戦いでも活躍する費耀

孔明

 

費耀は涼州の反乱鎮圧戦で功績を残した後、諸葛孔明率いる蜀軍と戦うことになります。この時、費耀は主将として蜀軍の北伐戦を防いだのではなく、張郃(ちょうこう)の副将として戦いに参加することになります。

 

山頂に陣を敷いた馬謖

 

費耀は張郃と共に街亭を守っている馬謖(ばしょく)軍を打ち破るべく出陣。費耀と張郃は馬謖が街亭近くの山上に布陣していることを知り、馬謖が布陣している山を包囲します。その後費耀と張郃は山上に布陣している馬謖軍へ総攻撃を開始。その結果費耀は張郃と共に馬謖軍を打ち破ることに成功し、この戦いでも功績を残しています。

 

このように費耀は誰と組んでもそつなく戦果を挙げる将軍として、魏の中でもだんだんと重用されていくことになります。


陳倉救援軍として出陣する費耀

考える諸葛亮孔明

 

諸葛孔明は第一次北伐戦で敗北したため、再び軍勢を率いて郝昭が守っている陳倉城を攻略するべく出陣。この戦いは郝昭が諸葛孔明率いる蜀軍の大軍をしっかりと守ることに成功していますが、諸葛孔明が撤退したのは、陳倉城を救援するべく、費耀が軍勢を率いて張郃と共に出陣していたからです。

 

反乱鎮圧戦で功績を残す費耀

 

このように地味な所でもしっかりとそれなりに働いている費耀。彼はこの陳倉城救援軍として出陣した後、後将軍の位を与えられることになります。費耀は決して主将として華々しい活躍した武将ではありません。

 

ですが、費耀は副将として誰と組んでも功績残して活躍をした将軍だったと言えるのでしょう。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

いかがでしたでしょうか。かなりマイナーな将軍ですが、このような将軍達が辺境と呼ばれる異民族の反乱を鎮圧していたから、魏の国家は安定していたと思われます。

 

水滸伝って何? 書類や本

 

今回この記事で紹介した費耀は正史三国志の張既伝や蘇則伝などに記載されていたエピソードですが、三国志演義にも彼に関する記載がありましたので紹介して終わりにしたいと思います。

 

降参する姜維

 

費耀は三国志演義ですと姜維の偽投降に騙されそうになった曹真(そうしん)の代わりに出陣し、姜維軍の猛攻を受けて、討ち死にして亡くなってしまったそうです。三国志演義ですと費耀がマイナーな将軍だったためか、ほとんど活躍することなく、亡くなってしまいます。

 

■参考文献 正史三国志魏書など

 

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