曹休の死因となった石亭の戦いについて解説

2019年10月28日


 

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曹休

 

曹休(そうきゅう)(220年~265年)の将軍であり曹操(そうそう)の族子(おい)です。曹操は非常に可愛がって曹丕(そうひ)と一緒に育ててあげました。

 

陳羣と曹丕

 

曹丕は死ぬ間際に曹真(そうしん
)
陳羣(ちんぐん
)
司馬懿(しばい)、そして曹休に後事を託してこの世を去ります。魏の大黒柱の1人となった曹休でしたが、魏の太和2年(228年)に呉(222年~280年)と石亭で戦って敗北します。

 

水滸伝って何? 書類や本

 

その後、間もなくこの世を去りました。今回は小説『三国志演義』をもとに曹休の死因となった石亭の戦いについて解説します。

※記事中のセリフは現代の人に分かりやすいように翻訳しています。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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周魴の降伏?

馬謖の失敗に嘆く孔明

 

魏の太和2年(228年)に魏は蜀(221年~263年)を街亭の戦いで破って、諸葛亮(しょかつりょう)の第1次北伐の阻止に成功します。魏では次の北伐に備えて陳倉城を建設。主将に郭昭(かくしょう)を任命しました。

 

石亭の戦いで交える曹休と周魴(しゅうほう)

 

この頃、曹休は呉の政治家である周魴(しゅうほう
)
と交渉していました。周魴は以前から仕えている孫権(そんけん)に対して不満を持っており降伏したいと言っていました。それを知った曹叡(そうえい)は大喜び。早速、司馬懿に援軍に行ってもらおうとします。

 

賈逵(かき)

 

しかし、これにストップをかけた人がいました。賈逵(かき
)
でした。賈逵は西晋(280年~316年)建国の功臣である賈充(かじゅう
)
の父です。

 

石亭の戦いで曹休が反応してドキッとする周魴(しゅうほう)

 

賈逵は周魴が呉において知略に優れた人間であることを知っていました。「これは司馬懿殿をおびき寄せて討ち取る罠でしょう」と言います。考えてみればそうかもしれない、と思った曹叡は司馬懿の出兵を見送って代わりに賈逵に行ってもらいます。

 



周魴、髪を切る!

石亭の戦い 曹休、周魴、孫権

 

もちろん周魴の降伏は孫権・陸遜と示し合わせたことです。ニセ投降作戦は呉の得意技!それにまた引っかかる曹家の人々も面白いものですね。周魴はすでに曹休に降伏しており絶大な信頼を得ていました。もちろん曹休の部下には周魴を疑っている人もいます。ある日、曹休は何気なくその話を周魴にしました。

 

「別に俺は疑っていないよ・・・・・・みんながそんな風に噂しているんだよ・・・・・・」

 

曹休

 

心中で「やばい!」と思った周魴は急いで、時代劇によくある剣で自殺未遂開始!

びっくりした曹休は「分かった俺が悪かった!」と止めます。

 

だが周魴は自分の異心無きことを認めてもらいたいので、目の前で髪を切りました。実は現代では信じられないのですが、中国ではその昔、髪の毛も親からもらった体の一部なので、カットすることは親不孝なことと言われていました。

 

親孝行よりも魏への忠誠心を真っ先に取ったので、曹休は非常に感動します。ところが、この話を聞いて疑問に感じた人物がいました。またもや賈逵でした。彼からすれば髪を切って忠誠心を示すなんて、嘘くさい話です。急いで曹休に周魴のことを相談しますが、曹休は取り合うどころか賈逵を軍から外しました。

 

あとでその話を聞いた周魴は、ほっとしました。

 

石亭の戦いと曹休の死

石亭の戦い 曹休、周魴

 

さて、周魴の案内で石亭まで案内された曹休は陣を立てます。しばらくすると、呉軍が現れたと報告が入りました。周魴からの報告では石亭には呉軍はいないと聞いていたのに、なぜ現れたのだろうか?不審に思った曹休は周魴に尋ねいくと、周魴の姿は影も形もありません。

 

曹休

 

この時になって曹休は「だまされた!」、と悟ります。仕方ないので部下の張普・薛喬に奇襲を命じました。一方、呉の陸遜も同じように奇襲を計画しており朱桓・全琮に命じました。

 

これでは両軍とも絶対に途中で遭遇することは目に見えています。そうなると、決まるのは兵数の勝負。

さて、勝敗は・・・・・・

 

朱桓(しゅかん)

 

魏の敗北に終わりました。張普(ちょうふ)は途中で朱桓(しゅかん
)
に遭遇するが、気付かずに話しかけてしまい、そこを討たれます。薛喬(せつきょう)全琮(ぜんそう)に数で押されてしまい敗走!残った曹休も朱桓・全琮に攻撃を受けて敗北しますが、賈逵が援軍に来てくれたので助かりました。

 

曹休はこの時になり賈逵に謝罪しました。その後、洛陽まで戻った曹休でしたが帰る時から背中に腫瘍が出来ており、それの悪化により間もなくこの世を去りました。

 

三国志ライター 晃の独り言 『劉備徳子は静かに暮らしたい』が終わる!?

三国志ライター 晃

 

先日、『劉備徳子は静かに暮らしたい』の4巻を買いました。すっかりファンになってしまった筆者です。とうとう趙雲・袁術まで登場しました。だが、最後のページを見て驚愕!

 

「5巻(最終巻)2020年 2月 発売予定」

 

最終巻ってウソですよね?これから、さらに新キャラが出るかもしれない時なのに・・・・・・

やっぱり少女マンガで三国志ネタは難しかったのでしょうか?

 

第2部を創作してもらいたいのが筆者の正直な気持ちです。

 

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