呂布の生涯戦績を分かりやすく紹介

2019年11月4日


 

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野球をする呂布、孔明、劉備

 

「天下無双」の男。三国志でそう言われれば、やはり呂布(りょふ)の名前が一番に上がるでしょう。三国志演義では張飛(ちょうひ)関羽(かんう)劉備(りゅうび)の3英傑と同時に打ち合いをはじめ、数々の武勇伝が描かれています。

 

呂布のラストウォー 処刑される呂布

 

そんな呂布ならば、下邳(かひ)曹操(そうそう)に処刑されるまでに、それこそ無双の戦いぶりを繰り広げたのだろうと想像しますよね。しかし、数字を見るとちょっと意外な結果になっています。

 

この記事では、『三国志演義』での呂布と諸武将の戦績を紹介します。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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虎牢関の戦い(全6戦)

生卵を飲む呂布

董卓軍と反董卓連合軍の戦いのハイライト「虎牢関(ころうかん)の戦い」。呂布が圧倒的な強さを見せつけるシーンです。まず、最初に呂布に挑んだのは、槍の使い手、方悦(ほうえつ)です。

 

裏切った呂布

 

河内太守・王匡(おうきょう)の部将でしたが、呂布と5合交えてあっけなく打ち取られてしまいます。次の挑戦者は上党太守・張楊(ちょうよう)の配下の穆順(ぼくじゅん)。穆順は呂布の方天画戟(ほうてんがげき)に刃が届くこともなく、一撃で戦死します。

 

成廉、魏越、呂布

 

3人目の挑戦者は、北海国相・孔融(こうゆう)の武将で鉄槌の使い手、武安国(ぶあんこく)。ちょっと強そうな名前だけあって、10数合粘り、片腕を切られつつも死なずに自軍に帰ります。ここまでは『正史三国志』には登場しない、演技だけの武将たちです。

 

公孫サン(公孫瓚)

 

4人目は反董卓連合の諸侯の1人、公孫瓚(こうそんさん)が登場します。しかし、数合交わしたところで、これはかなわんと敗走。そこへ、公孫瓚の客将として加わっていた劉備の義弟、張飛が名乗りをあげます。

 

五虎大将軍の張飛

 

無名に等しかった張飛は、呂布と50合あまり戦い続け、勝負はつきません。それでも形勢が不利だと見た、義兄弟の関羽と劉備がさらに参戦。3対1の勝負になってようやく呂布を虎牢関へと追い返したのでした。

 

呂布VS劉備三兄弟

 

ということで、虎牢関での呂布の戦績は、4勝1敗1分けです。勝率だけ見ると、圧倒的という感じではないですね。

 



兗州攻防戦(全2戦)

許チョ(許褚)

兗州(えんしゅう)をめぐる呂布と曹操との戦い。まず、曹操の護衛を務める許褚(きょちょ)が呂布との一騎打ちの相手になります。許褚は虎のような強さを持つことから、「虎痴(こち)」というあだ名で呼ばれていました。

 

夏侯惇と呂布

 

しかし、20合ほどやりあったところで、曹操がこのままでは負けると判断。そこで、曹操は夏侯惇(かこうとん)夏侯淵(かこうえん)李典(りてん)楽進(がくしん)典韋(てんい)の5人を追加投入します。

 

李典

 

6人が相手となっては、さすがの呂布も分が悪くなり、城に撤退しました。兗州攻防戦の戦績は1勝1敗。ただ、曹操の名だたる武将6人を相手しての1敗でした。

 

徐州攻防戦(全3戦)

劉備と曹操

 

呂布によって徐州を追い出された劉備は、曹操を頼って奪還を目指して戦った徐州攻防戦。ここでの第1戦は、同時期に呂布追討軍を出した袁術の部将、李豊が相手となりました。ところが数合ののちに、李豊は右腕を方天画戟で刺され、逃走。

 

張飛

 

次は再びの登場の張飛です。前回は押され気味だった張飛ですが、モチベーションが違ったのか、互角の勝負を展開します。結局、勝敗はつかず。

 

はじめてのプロ野球 関羽

 

そして最後の対戦相手は、関羽です。関羽も呂布と1対1の勝負で一歩も引かない戦いを見せ、引き分けとなりました。徐州の戦いでの呂布の戦績は、1勝2引き分け。呂布を何としても打ち取ろうという張飛や関羽に対し、追い詰められつつある呂布。

 

逆転した境遇を示唆しているようなシーンですね。

 

呂布の生涯戦績(全11戦)

桃園三兄弟 vs 呂布の一騎打ち

 

三国志演義で呂布は、虎牢関、兗州、徐州の3つのラウンドで個人戦をしています。その全戦績は、6勝2敗3引き分けでした。イメージよりも地味な数字ですが、負けたのは相手が複数の時だけでした。しかも、強者ばかり。

 

引き分けになったのは、張飛と関羽との戦いです。呂布がいたころに彼と互角にやりあえたのは、この2人ぐらいしかいなかったということですね。ちなみに正史の三国志では、全体を通して一騎打ちの記述がありません。

 

郭汜

 

そのうちの1つが呂布と郭汜(かくし)の一騎打ちです。結果は呂布の一方的な勝利に終わっています。

 

三国志ライターたまっこの独り言

たまっこ f

 

張飛、関羽、劉備の3人を相手にしながら、完全に追い詰められるでもなく、軽やかに戦場を立ち去る呂布は、この虎牢関での戦いが人生のピークだったのかもしれません。横山光輝の『三国志』で、このシーンを初めて見た時の衝撃は忘れられません。

 

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呂布

 

 

 

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たまっこ

KOEIのゲームから歴史に興味を持ち始め、 吉川英治の「黒田如水」を読んで以来、歴史にどっぷり。 最近はローマ史がお気に入り。 外国からの観光客に日本の歴史を伝えるお仕事も そのうちできたらなぁ、と思ってます。 好きな歴史人物: ユリウス・カエサル、竹中半兵衛、葛飾北斎、エイブラハム・リンカーンなど 何か一言: 歴史には、 自分には到底できない生き方をした人がゴロゴロいて、 飽くことがありません。

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