「天下無双」の男。三国志でそう言われれば、やはり呂布の名前が一番に上がるでしょう。三国志演義では張飛、関羽、劉備の3英傑と同時に打ち合いをはじめ、数々の武勇伝が描かれています。
そんな呂布ならば、下邳で曹操に処刑されるまでに、それこそ無双の戦いぶりを繰り広げたのだろうと想像しますよね。しかし、数字を見るとちょっと意外な結果になっています。
この記事では、『三国志演義』での呂布と諸武将の戦績を紹介します。
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虎牢関の戦い(全6戦)
董卓軍と反董卓連合軍の戦いのハイライト「虎牢関の戦い」。呂布が圧倒的な強さを見せつけるシーンです。まず、最初に呂布に挑んだのは、槍の使い手、方悦です。
河内太守・王匡の部将でしたが、呂布と5合交えてあっけなく打ち取られてしまいます。次の挑戦者は上党太守・張楊の配下の穆順。穆順は呂布の方天画戟に刃が届くこともなく、一撃で戦死します。
3人目の挑戦者は、北海国相・孔融の武将で鉄槌の使い手、武安国。ちょっと強そうな名前だけあって、10数合粘り、片腕を切られつつも死なずに自軍に帰ります。ここまでは『正史三国志』には登場しない、演技だけの武将たちです。
4人目は反董卓連合の諸侯の1人、公孫瓚が登場します。しかし、数合交わしたところで、これはかなわんと敗走。そこへ、公孫瓚の客将として加わっていた劉備の義弟、張飛が名乗りをあげます。
無名に等しかった張飛は、呂布と50合あまり戦い続け、勝負はつきません。それでも形勢が不利だと見た、義兄弟の関羽と劉備がさらに参戦。3対1の勝負になってようやく呂布を虎牢関へと追い返したのでした。
ということで、虎牢関での呂布の戦績は、4勝1敗1分けです。勝率だけ見ると、圧倒的という感じではないですね。
兗州攻防戦(全2戦)
兗州をめぐる呂布と曹操との戦い。まず、曹操の護衛を務める許褚(きょちょ)が呂布との一騎打ちの相手になります。許褚は虎のような強さを持つことから、「虎痴」というあだ名で呼ばれていました。
しかし、20合ほどやりあったところで、曹操がこのままでは負けると判断。そこで、曹操は夏侯惇・夏侯淵・李典・楽進・典韋の5人を追加投入します。
6人が相手となっては、さすがの呂布も分が悪くなり、城に撤退しました。兗州攻防戦の戦績は1勝1敗。ただ、曹操の名だたる武将6人を相手しての1敗でした。
徐州攻防戦(全3戦)
呂布によって徐州を追い出された劉備は、曹操を頼って奪還を目指して戦った徐州攻防戦。ここでの第1戦は、同時期に呂布追討軍を出した袁術の部将、李豊が相手となりました。ところが数合ののちに、李豊は右腕を方天画戟で刺され、逃走。
次は再びの登場の張飛です。前回は押され気味だった張飛ですが、モチベーションが違ったのか、互角の勝負を展開します。結局、勝敗はつかず。
そして最後の対戦相手は、関羽です。関羽も呂布と1対1の勝負で一歩も引かない戦いを見せ、引き分けとなりました。徐州の戦いでの呂布の戦績は、1勝2引き分け。呂布を何としても打ち取ろうという張飛や関羽に対し、追い詰められつつある呂布。
逆転した境遇を示唆しているようなシーンですね。
呂布の生涯戦績(全11戦)
三国志演義で呂布は、虎牢関、兗州、徐州の3つのラウンドで個人戦をしています。その全戦績は、6勝2敗3引き分けでした。イメージよりも地味な数字ですが、負けたのは相手が複数の時だけでした。しかも、強者ばかり。
引き分けになったのは、張飛と関羽との戦いです。呂布がいたころに彼と互角にやりあえたのは、この2人ぐらいしかいなかったということですね。ちなみに正史の三国志では、全体を通して一騎打ちの記述がありません。
そのうちの1つが呂布と郭汜の一騎打ちです。結果は呂布の一方的な勝利に終わっています。
三国志ライターたまっこの独り言
張飛、関羽、劉備の3人を相手にしながら、完全に追い詰められるでもなく、軽やかに戦場を立ち去る呂布は、この虎牢関での戦いが人生のピークだったのかもしれません。横山光輝の『三国志』で、このシーンを初めて見た時の衝撃は忘れられません。
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