司馬昭の性格は意外なほどに「君主の器」?この人がいたからこその晋王朝


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司馬懿、司馬師、司馬昭

 

羅貫中(らかんちゅう)『三国志演義』の最終段階では、曹一族は滅ぼされ、司馬一族が魏の実権を握ります。

 

司馬懿

 

そのプロセスは、司馬懿(しばい)がクーデターを起こし、その長男の司馬師(しばし)が権力を固め、次男の司馬昭が皇帝曹髦(そうぼう
)
を抹殺し、その子の司馬炎(しばえん)が堂々と帝位を簒奪する、という家族四人の着実な事業継承によるもの。

 

斉王になる司馬攸

 

司馬一族は、何しろ曹一族を滅亡させた上に、呉と蜀にトドメを刺した一族。三国時代の英雄たちの業績をすべて滅ぼし、帝位という果実だけ持って行ってしまったわけです。そういうわけで、『三国志演義』の中ではこの四人はどこか悪役の印象、それも曹操(そうそう)のような豪傑肌の悪漢ではなく、陰湿な陰謀家一族として描かれています。

 

司馬昭

 

とりわけ皇帝殺しを実施した司馬昭は、現代の中国でも「腹に野望を秘めた危険な人物」のことを「あいつは司馬昭だ!」ということがあるほど、典型的な悪人としてその名が伝わっています。ですが疑問も沸きます。

 

司馬昭

 

もし司馬昭が、ただの陰湿な陰謀家だったなら、生き残り競争の激しい三国時代で人心を掌握することもできず、あれだけの権力基盤をあれだけの短期間で完成させることなど、できなかったのではないでしょうか?

 

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

実際のところ司馬昭の「君主としての器」はどうだったのでしょうか?特に彼の性格は、どのようなものだったのでしょうか?

 

自称・皇帝
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暗殺と粛清の達人のように見えるのは印象だけ?従う者には意外に優しい司馬昭

皇帝の位を降ろされる曹髦

 

実は、司馬昭の史実の動きを見ていると、「そんなに極端に非道なことはしていない」ことに気づきます。皇帝曹髦の抹殺も、先に曹髦が陰謀を仕掛けたことへのカウンターから始まったことなので、いちおう司馬昭にも「自己防衛のためだった」という言い分は立っています。

 

諸葛誕

 

その曹髦一派を粛清した際にも自分の身内には寛大な処置をしています。諸葛誕(しょかつたん
)
が反乱を起こした際にも、「早めに投降してきた者は寛大に許す」というところを見せて、諸葛誕軍を内部から瓦解させるという高度な心理戦を仕掛けています。

 

袁家をイジメる董卓

 

タテマエも何も関係なく、気に入らない奴はテキパキと消していった董卓(とうたく)あたりの印象とはずいぶん違います。「逆らう者は消す。けれどもスナオに恭順してきた者は、悪いようにはしない」というスジの通ったところがあり、暴虐な性格ではなさそうです。

 

村人

 

いやむしろ、これならば乱世に疲れた人々にとっては「恐ろしいけれどもスジの通っているわかりやすいリーダー」に見えたのではないでしょうか?


とにかく先読みの達人!陰謀家というよりも計算高い「大政治家」?

司馬昭と司馬師

 

司馬昭が「恐ろしい」印象なのは、陰謀の陰湿さではなく、彼の先読み能力の高さでしょう。

 

・反乱を事前に読み先んじてカウンターを打っておく行動の速さ

鄧艾(とうがい)鍾会(しょうかい)を組ませて蜀に送り込んだのも、蜀が滅んだ後にこの二人が自滅してくれることを見越しての判断だった気配がある

・特に鍾会については、その反乱を完全に予見して事前の手を打っていた

 

などなど。

 

鍾会

 

おそらく戦場での指揮能力を含めた、個々のスキルでいえば、司馬昭よりも鄧艾や鍾会のほうが有能な人物だったと推測できます。ところが司馬昭は、そんな鄧艾と鍾会を手のひらの上で自在に使いこなし、さんざん働かせた上で、まんまと相打ちをさせて後顧の憂いも絶ってしまったわけです。この司馬昭の読みの深さこそ、驚異的な才能といえるのではないでしょうか?

 

王基に感謝する司馬昭

 

たしかにこれは恐ろしい能力で、下手に暗殺や略奪ばかりに明け暮れるタイプの暴君よりも、司馬昭はずっと「恐ろしい」君主といえるでしょう。ですがこれにしたって、「裏切ろうとする者にとっては恐ろしい」わけで、司馬昭を主君としてあがめて逆らう気のない凡人達には、むしろ頼もしいリーダーに見えたのではないでしょうか?


まとめ:冷静に見るとめちゃくちゃ働いていた人が司馬昭!この人がいてこその晋王朝では?

諸葛誕を攻める司馬昭

 

司馬昭の生涯を見てみると、意外な点がもうひとつあります。諸葛誕の反乱の時が典型的なのですが、この人物、重要な戦争の際には自らも矢面にたって出陣しているのですよね。魏の大将軍という身分であり、皇帝すら逆らえない権勢を手に入れたのだから、都にずっと居座って豪遊三昧の暮らしもできたはずです。ところが司馬昭は意外なほど「自ら出陣」もやっていますし、矢の飛んでくる戦場の中でピンチを味わったりもしています。

 

そうでもしないと「皇帝の簒奪を狙っている」という悪い印象を拭えないので、自ら陣頭に立つ姿をできるだけ見せていたのだ、という解釈もできますが、だとすればなおさら司馬昭は「大変な働き者」の性格だったということになります。

 

殺害される姜維と鍾会

 

この人が戦場まで自ら出向いて時には命を危険にさらし、この人が曹髦を殺し、この人が蜀を滅ぼし、この人が鄧艾と鍾会を消しておいたおかげで、次代の司馬炎はらくらくと帝位を手にすることができたのではないでしょうか。

 

三国志ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

司馬昭は陰湿な陰謀家どころか、司馬一族のために死ぬまでとことん動き回った働き者であり、結果としては乱世を終わらせるのに一番がんばった人とも言えるのではないでしょうか。なにせ「皇帝殺し」という印象の悪さがあるので、みんな表立って司馬昭をヨイショはできなかっただけで、乱世に疲れた人たちにとっての司馬昭は、意外なことに「頼りになる君主」として評価されていたのかもしれません。

 

だとすれば、この人がいたからこその、司馬一族による晋王朝成立だったのではないでしょうか?

 

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