中華統一をもくろむ者、漢の復興を目指す者、自らの力を証明しようとする者。三国志には、さまざまな夢や野望を抱いた男たちがあふれるほど登場します。だから、全体を通して男臭いのはしかたありません。
しかし、そんな汗のほとばしる物語に花を添える美女たちも、三国志の魅力を大きく高めています。
今回は、羅貫中が作者の『三国志演義』で注目すべき4人の美女、貂蝉、大喬、小喬、甄氏にスポットライトを当てたいと思います。
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中国四大美人の1人、貂蝉
三国志の美女、と言えばまずこの人が最初に思い浮かぶ人が多いのではないでしょうか。貂蝉は、『三国志演義』の序盤で重要な役割を果たします。
漢の皇帝である献帝を操り、暴虐非道の限りを尽くし、その部下であり養子の呂布が最強のボディーガードとして彼を護衛しました。連合軍を組んでも董卓軍を打ち破れず、暗殺を計画しても呂布がにらみを利かせている。
誰も止められる人はいないのかと人々が絶望したときに、たった1人、女という武器で董卓の悪政にピリオドを打ったのが貂蝉でした。貂蝉は朝廷の高官である王允の養子であり、踊りの名手であり、絶世の美女でした。
王允は董卓と呂布を、それぞれ別のタイミングで酒宴に招き、貂蝉が踊りと美貌で2人を虜にします。そして、王允は内心を押し殺しながら、呂布には妻にしてもらえないかと話をもちかけ、その後に、董卓には侍女にしてやってほしいと頼みました。
董卓はそのまま貂蝉を館に連れて帰るのですが、そのことを聞いた呂布は話が違うと王允に詰め寄ります。
「いやいや、董卓様が呂布殿を少しからかってから結婚を祝いたいとおっしゃいましたので……」
「そ、そうか。丞相(董卓のこと)もお人が悪い」
それで呂布はひとまず納得します。しかし、待てど暮らせど董卓は貂蝉を離さない。たまたま貂蝉を見かけて事情を聞くと、董卓が呂布のもとに行くことを許してくれないと言います。さらに2人で話しているところを董卓が見つけて大激怒。
ほうほうの体でその場を立ち去った呂布は、王允と相談をして董卓の殺害を計画したのでした。献帝から直々に伝えたいことがあると言われ、1人で宮廷に向かった董卓を兵士が囲みます。ボディーガードの呂布を呼んで一安心。と思ったら自分の息子に殺されてしまいました。
これで邪魔ものはいなくなったと、貂蝉の元に駆けつける呂布。しかし、呂布の目に飛び込んできたのは、自害した貂蝉の姿でした。貂蝉がどうして死んだのか、どうして満足そうな顔をしているのか、まったくわからず呂布は号泣したのでした。
これが「美女連環の計」と呼ばれるエピソードです。
ちなみに、西施、王昭君、楊貴妃に並んで、架空人物の貂蝉が中国四大美人に数えられています。
赤壁の戦いのきっかけにもなった呉の二喬
曹操は魏王に列せられたときに、その権威を示すために210年に銅雀台という壮大な宮殿を、鄴の街に造営しました。この銅雀台で開いた宴会の席で、曹操のある願望が明らかとなります。
それは、いつか銅雀台で二喬を侍らせたいというもの。二喬というのは、このころ中国でもよく知られた美人姉妹のことを指していました。それだけならば、曹操も困ったもの、で済む話なのですが、
実は外交問題に発展する内容だったのです。二喬の大喬は呉の先代である孫策の未亡人、小喬は同じく呉の中心人物である周瑜の妻でした。曹操は、他国の前君主と軍師の妻を自分の側室として迎えたいと思っていたようです。
この話を当人の周瑜にわざわざ伝えたのが、劉備の軍師諸葛亮でした。劉備軍だけでは曹操軍に到底かなわないので、孫権軍を戦いに巻き込むために乗り込んだ先でのことでした。
呉の国でも大きな発言力を持つ周瑜の説得を試みるも、周瑜は参加するメリットがないと判断して煮え切らない態度です。そこへ世間話でもするように、諸葛亮は銅雀台での逸話を周瑜に教えました。
怒りで震える周瑜。
「どうなさったのですか、周瑜殿」
「孔明殿はご存じないようなので仕方ないですね。
大喬は亡くなった先代孫策の妻であり、小喬は私の妻なのです」
「なんと、これは死にも値するご無礼を。お許しください」
諸葛亮さん、なんとしらじらしい……。
しかし周瑜はこれで曹操との戦争を決意し、有名な赤壁の戦いが勃発する、というストーリーが三国志演義にはあります。
魏の初代皇帝曹丕の妻、甄氏
官渡の戦いで袁紹を破った曹操は、病死した袁紹の後継者争いで混乱しているうちに、拠点の鄴を陥落させます。
このとき曹操は、功績のあった息子の曹丕に、何か褒美としてほしいものはないかと、たずねます。曹丕は領地や財産などではなく、袁紹の次男袁熙の妻だった甄氏を所望したのです。
美人には目のない曹操も目をつけていたようですが、
「なんだ、女1人でいいのか。欲のないやつめ」と許します。
甄氏は漢王朝で古くから高官を務める家の出身で、書道や文学をたしなむ才女でした。そして三国志演義では美人として描かれています。やがて曹丕と甄氏の間には2人の子どもも生まれ、1人は魏の2代皇帝曹叡として成長していきます。
ところが、曹丕は次第に側室を多く抱えるようになり、甄氏への愛情が薄れていったのでした。相手にされなくなった恨み言を口にする甄氏。それを人づてに聞いて激怒する曹丕。曹丕は使者を向かわせ、甄氏を自殺に追い込みました。のちに曹丕はとても後悔したそうです。
三国志ライターたまっこの独り言
三国志のターニングポイントで登場する女性たち、いかがだったでしょうか。貂蝉と甄氏は切なくなるエピソードで、しんみりしてしまいます。時代を動かしたり、あるいは時代に翻弄されたりする彼女たちもまた、三国志演義になくてはならない存在です。
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