避諱(ひき)とは何?知っていると三国志がより楽しくなる改名事情

2020年11月5日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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諸葛瑾を頼る孫権

 

三国志には色んな人物が登場し、色んな出来事がありますね。もちろんそれは三国志演義でも同じです。

 

三国志演義_書類

 

新しい人物が出てきたと思えば、色んな用語が出てきたりして……分からないことも多いと思います。そこで今回は三国志のとっても豆知識として、「避諱(ひき)」について解説したいと思います。

 

呉懿?呉壱?どっち?

呉懿

 

まずちょっと紹介したいのが呉懿(ごい)こと呉壱(ごいつ)

 

呉懿と劉備

 

劉備(りゅうび)に妹が嫁いでいることもあり、皇帝の外戚(がいせき
)
というこの人物。謎なことに伝が立てられていないのですが、この人物で謎なのは……どっち?という名前。

 

スキッパーキ(はてな)

 

「呉懿の名前が呉壱になっている」「どっちが本当の名前なの?」「もしかして改名?」という風に、たまにこの人物について疑問の風が吹くことがあります。これこそが「避諱(ひき)」なのです。

 

司馬宣王

司馬懿

 

ここで司馬懿(しばい)についてもお話しましょう。司馬懿は本人は生前に皇帝にはなっていませんが、(しん)の時代が来た際に諡として宣帝(せんてい
)
とされました。(おくりな
)
というのは高貴な人を死後に奉る名前のことです。

 

斉王になる司馬攸

 

そして「三国志」自体は三国時代に生まれた訳ではなく、司馬懿の孫(司馬昭(しばしょう
)
王元姫(おうげんき
)
の子)にあたる司馬炎(しばえん)の時代にできたと言われています。つまり三国志の成立時には、司馬懿というのはただ三国志の登場人物の一人ではなく、皇帝のおじいちゃまです。もっというととてもとても高貴な雲の上の人です。

 

司馬師と司馬懿は晋建国の功労者

 

そんな人物の名前である「懿」の字を軽々しく使ってはならない、として使用制限がかかりました。呉懿(ごい)の名前はこんな経緯から呉壱(ごいつ)とされるようになったのです。これこそが「避諱」の一例です。

 

避諱について

司馬懿と孔明を語る趙達

 

さて例として司馬懿と呉懿の名前について出しましたが、もう少し詳しく説明していきましょう。中国では目上の人の諱、本名を呼ぶことはとても失礼なことです。このため古来から、特に皇帝、その祖先の諱を口にする、そして文字として書くことを避けるようになりました。これが「避諱」です。

 

この避諱に関しては、人名だけでなく地名までも改めるようにしたこともあり、時代によっては徹底されることもありました。

 

君主論

 

中国四大美女

楊貴妃

 

と、ここで中国四大美女のお話をば。実は四大美女に当たる人物は西施(せいし
)
虞美人(ぐびじん
)
卓文君(たくぶんくん
)
王昭君(おうしょうくん
)
趙飛燕(ちょうひえん
)
貂蝉(ちょうせん)楊貴妃(ようきひ
)
など結構いて、この中から四人を選んで四大美女と呼びます。

 

今回その中からもちろん三国志演義でも出てくる貂蝉……ではなく、王昭君のお話をしましょう。王昭君は紀元前1世紀頃の人であり、前漢の第10代皇帝元帝(げんてい
)
の後宮に入っていた大変な美人です。

 

王昭君は落雁美人(らくがん・びじん)とも呼ばれ、異民族の地に嫁ぐ途中で悲しみのあまり琵琶を掻き鳴らすその美しさと琵琶の苗に空を飛んでいた雁が次々と落ちてきたという言い伝えから来ています。

王昭君

漢帝国の宿敵で匈奴の名君(匈奴族)

 

この王昭君についてもう少しだけ説明しましょう。そもそもの発端は漢の元帝に匈奴(きょうど)呼韓邪単于(こかんやぜんう
)
が漢の女性を妻に欲しいと頼んだのが始まりです。これを聞いた元帝「どーせ異民族に美人も不美人も分からないだろ」と後宮の女性の似顔絵の中から、一番不美人な女性を選んで嫁がせることにしました。そこで選ばれたのが一番不美人だった王昭君です。

 

劉惇(りゅうとん)仙人・占い師

 

が、この王昭君、絶世の美女でした。と言うのも他の女性はみんな似顔絵師に賄賂を贈って美人に描いてもらっていたのですが、王昭君は賄賂を贈りませんでした。これを怒って似顔絵師はわざと王昭君を不美人に描いたと言います……なお、この似顔絵師は元帝の怒りをかって殺されてしまうのでした。……という話がある王昭君ですが、この王昭君が今回の避諱に関わっていることに皆様お気づきでしょうか?

 

王「昭」君

三国志を統一した司馬炎

 

さて西晋の皇帝は前述したように、司馬炎です。その司馬炎(しばえん)の祖父が司馬懿です。そして司馬懿の避諱として呉懿は呉壱となりました。

 

司馬昭

 

更に言うなら、司馬炎の父親は司馬昭(しば しょう
)
です。もちろん司馬昭も晋代に文帝(ぶんてい
)
諡号(しごう)を追贈されました。という訳でこの四大美女の王「昭」君、司馬昭の避諱として王明君、もしくは明妃とされることもあります。歴史的美女すらその名を変えられる、それこそが避諱なのです。

 

一文字賜るということ

王基に感謝する司馬昭

 

と、やたら司馬家ばかり紹介したので「避諱は司馬家がやたらめったら厳しかったのか」とか思われそうですが、そんなことはありません。

 

宋代の公務員試験である科挙

 

光武帝(こうぶてい
)
劉秀(りゅうしゅう)の秀の字にも制限がかかり、科挙(かきょ)の「秀才」が「茂才」となったことがあります。また避諱には文字を変えるだけでなく、文字を記さない、文字を正しく書かないなどの方法も用いられました。皇帝のような人物はその名前すら簡単に口にしても、文字にしてもいけない……というのはなかなか面白いですよね。

 

【科挙の歴史】

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

今回は避諱について、筆者なりにかみ砕いてご説明させて頂きました。この避諱、調べてみると中々に面白いものです。とはいえ、知らなければ知らないまま、良く分からないけど呉懿と呉壱は同一人物らしい……で終わりかねない豆すぎる豆知識。

 

三国志を楽しく語るライターセン様

 

この使用場所が限られるような三国志豆知識、日常でぜひご活用ください!

その場合は使用例もご報告下さると幸いです!

 

参考文献:蜀書穆皇后伝 西京雑記

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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