関羽は劉備の配下ではなかった?荊州独立説を考察

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荊州独立説(1P目)




独立の根拠5:劉備と配下武将の縁戚関係

桃園の誓いをする劉備、張飛、関羽

 

劉備は関羽、張飛と親戚関係になっていますが、ここにも関羽の扱いの違いが見て取れます。

 

劉禅と結婚する敬哀皇后

 

221年、劉備は皇帝に即位した際に張飛の娘を劉禅(りゅうぜん)の妃としました。それに対して関興(かんこう)の息子・関統(かんとう)が劉禅の娘を娶ったのはおおよその年齢から考えてもおそらく劉備の死後です。

 

蜀 武運を誇る馬超

 

関羽には孫権が縁談を持ちかけた娘がいますし、時期は不明ながらも劉理(りゅうり)馬超(ばちょう)の娘を娶っていることを考えると劉備の存命中に親戚になるチャンスはあったはず。

 

激怒する関羽

 

多くの臣下と親戚関係になっている劉備が早い段階で関羽と親戚にならなかったのは、関羽が何らかの理由で冷遇されていた、もしくは臣下とみなされていなかったからと考えられます。

 

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考察1:劉備と関羽の関係性

関羽、劉備、張飛の桃園三兄弟

 

劉備と関羽は兄弟に近いほど親密な関係だったと言われていますが、日本と中華圏では友人や親兄弟の関係性が少し異なります。日本では仲のいい友人には迷惑をかけないようにしますし、頼りすぎると関係が崩壊することもあります。

 

宴会マナーとお酒(古代中国)

 

それに対して中華圏では親しいのであれば迷惑をかけてナンボという考え方です。困窮すれば友人を頼り、頼られた側も寝床やご飯の提供、はたまた借用書なしでお金を用立てる場合もあります。

 

張飛と劉備

 

逆に頼らなければ「水臭いな、なぜ頼ってくれないのか」と怒られることも。利害を絡めた相互扶助の関係性というのが中華圏における友人、兄弟の関係とするならば、劉備と関羽はそれぞれが群雄でありながら、二心一体(目的は違うが一つの勢力として強力する)となって乱世を生き延びたという捉え方もできます。




考察2:関羽は君主の器ではない

劉備にアドバイスをする法正

 

劉備、曹操、孫権はタイプこそ違いますが、上司としての人望が厚く、部下を扱う能力にも長けていた点は共通しています。

 

文句を手紙に書く関羽

 

関羽は正史でも傲慢な面があったと評されていますし、馬超や黄忠(こうちゅう)といった新参者に対して自身の優位性を主張したがる傾向があるので、とても人を扱えるような性格ではなかったでしょう。

 

五虎大将軍a 関羽、張飛、馬超、趙雲、黄忠

 

関羽自身、もしくは劉備がそれを理解していたからこそ明確な独立勢力にはならず、劉備勢力の中で自由裁量権を持った立ち位置に留まっていたという見方もできます。

 

関羽の報われない片思い説

関羽にネチネチ怒られる糜芳

 

傲慢な人には自己中心的、人を見下す、体裁を気にするといった特徴があります。まさに関羽の性格という印象ですが、これらは「自分に注目してほしい、弱さを見せたくない、自信のなさを隠したい」といった感情の裏返しで、誰かに認めてほしいという欲求が根底にあります。

 

張飛と劉備

 

そんな関羽の性格をもとに筆者が独立説を否定するために考えたのが以下の説です。関羽は劉備と知り合い、惚れ込んで配下になった。しかし、劉備は同郷の張飛ばかりを厚遇し、よそ者である関羽を評価しなかった。

 

青龍偃月刀を持つ関羽

 

関羽は劉備に認められようとどんな命令にも従ったが、劉備は「こいつ使えるな」と能力の高さと忠誠心を最大限に利用して主に別働隊として重宝。ついに重要拠点である荊州を手に入れるも関羽に丸投げし、劉備は益州へ侵攻。関羽は大きな功績を上げる機会を失い、代わりに新参者の多い益州組が活躍した。

 

蜀の皇帝に即位した劉備

 

焦りを覚えた関羽は再三劉備に北伐の許可を求めたが許可は下りない。そして劉備は漢中王即位をきっかけに漢中と荊州から本格的に北伐をしようと関羽に軍権を与える。しかし、功を焦った関羽は劉備を待たずに勝手に襄陽へ侵攻。

 

関羽と周倉

 

戦にはめっぽう強かった関羽だったが、劉備に認められようとして肥大化した傲慢さが災いし、孫権に背後を突かれたばかりか、味方にも愛想を尽かされ孤立してしまう。

 

三国志ライターTKの独り言

TKさん(三国志ライター)

 

襄陽の包囲も崩され四方敵だらけとなった関羽だったが、落胆する劉備の姿を想像すると益州には逃げられない。行く宛を模索しているうちに退路は無くなり、麦城へ入城するしかなくなっていた・・・なんだか劉備が腹黒くなってしまいましたが、少し間の抜けた感じであっても関羽には忠義を尽くした武将であって欲しいと願わずにはいられません。

 

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