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趙雲最大の逸話「劉備の息子を助けた」はそんなに大事ではなかったかも

2021年1月26日


 

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五虎大将軍b 関羽、張飛、馬超、趙雲、黄忠

 

(しょく)五虎(ごこ)将軍の一人、趙雲(ちょううん)関羽(かんう)張飛(ちょうひ)に次ぐ劉備(りゅうび)軍の名将とされ、

 

阿斗を劉備まで届ける趙雲

 

特に「長坂(ちょうはん)の戦い」で、まだ赤ん坊だった劉備の息子(のちの劉禅(りゅうぜん))を戦場の中で発見し、懐に抱いてみごとに脱出した逸話が有名です。

 

三国_趙雲と劉備_ちょううん_りゅうび_人物

 

ところがこの趙雲ほど、謎の多い武将も珍しい。というのも、この人物に伝わる数々の逸話のほとんどについては、後世の創作の可能性が高く、史実の趙雲が確実に参加していたと思われるのは、長坂の戦いと祁山(きざん)の戦いでの活躍くらい。

 

趙雲に討たれる張コウ(張郃)

 

三国志演義』に出てくるその他の数々のエピソード、とりわけ一騎打ちでたびたび曹操(そうそう)軍の武将を討ち取っていることについては、創作にすぎない可能性がかなり高いのです!

 

男気溢れる趙雲

 

それでも、趙雲ファンの人はこういうかもしれません。

「よいではないか。長坂の戦いで、自分の主人の世継ぎの赤ん坊を無事に救出した!

 

五虎大将軍の趙雲

 

このただひとつの逸話だけでも、趙雲がいかに重要な将軍かわかるというものではないか」と。私もかつてはそう思ってきました。ところが、この一点にすら、最近の私には疑問が生じてきたのです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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おそろしい可能性:戦場で赤ん坊を捨て去ることは古代中国ではそれほど無理無謀ではない?

三国志を楽しく語るライターYASHIRO様

 

私がこの趙雲の逸話について、いろいろと再考をするきっかけとなったのは、三国志よりもさらに昔の話、「項羽(こうう)と劉邦」の楚漢(そかん)戦争のエピソード。

 

担がれる劉邦

 

のちに漢王朝を興す劉邦は、一度、敵に囲まれて命からがら逃げ出した時、みずから自分の赤ん坊を放り捨てて逃げようとして、部下の夏侯嬰(かこうえい)にたしなめられる、という事件を起こしています。

 

史記_書類_劉邦と始皇帝

 

この「自分が逃げるために赤ん坊を投げ捨てた」というエピソードは、劉邦を善人として描こうとする作品ではとても都合が悪いエピソードらしく、このシーンになるといろいろと歯切れが悪くなる作家さんもいるのですが。

 

同年小録(書物・書類)

 

作家の司馬遼太郎(しばりょうたろう)は、この事件についてあっさりと、「古代中国では、後の世にあるような、子供への愛着は存在しなかった。

 

広武山決戦時の劉邦

 

赤ん坊を捨てて自分だけ逃げようとした劉邦の判断は、「古代の世界ではそれほど珍しい考え方ではなかった」という意味のことを述べています。

 

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劉備=劉邦と仮定すると、趙雲のポジションはつまり夏侯嬰?!

正史三国志_書類

 

この説が、もし『三国志』の時代にも適用できるものだったら、どうでしょう?

 

朝まで三国志 劉備

 

劉備が世継ぎの赤ん坊を失いかけたのも、「赤ん坊は足手まといだ! 高祖劉邦の例もあるし、ここは見捨てるか」と、もしかしたらワザと諦めていたのかもしれず。

 

長坂の戦いでの趙雲

 

そうだとすると、趙雲の役割は、先の劉邦に対する夏侯嬰とせいぜい同じ程度、「いやいや、ちゃんと赤ん坊も連れて行ってあげましょうよ。ほら、私が抱いていきますから!」と、主人をたしなめて、自分が赤ん坊を運んでやったくらいの役回りだったとしたら?

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)

 

そのように仮定すると、『三国志演義』より史実に近いとされる『正史三国志』で、この「長坂の戦い」の場面が、「このとき趙雲は戦場の混乱の中で劉備の子を助けた」くらいの、あっさりした一行で終わっていることも納得できるのです。

 

夏侯嬰(かこうえい)

 

先の夏侯嬰(かこうえい
)
の場合も、わざわざ劉邦の赤ん坊を保護したことで、「なにをモタモタしとるか!」と劉邦に逆にキレられているくらいですから。

 

劉備

 

『正史三国志』のあっさりした記述が示す通り、趙雲の「赤ん坊救出」は、そんなに劇的なことではなく、劉備が泣いて喜ぶような話でもなかったのかもしれません。

 

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まとめ:けっきょくどれだけの実力だったか不明なところが、むしろ趙雲の魅力でしょうか?

朝まで三国志 劉備

 

このように、劉邦の自分の子供に対する扱いを見ていると、趙雲が劉備の赤子を助けたという感動的な逸話も、これまた後世においていろいろと盛られたエピソードの可能性が高くなってしまいます。

 

しかし、それでよいのかもしれません。

 

趙雲

 

おそらく趙雲の魅力は、「実像がよくわからない」ところにあり、それゆえ後世のたくさんの人が、趙雲というキャラクターに、いろいろと好きなような夢をのせることができるわけですから。

 

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三國志ライターYASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

最近の「趙雲といえばイケメン」なイメージもまたそのように、史実の趙雲がイケメンだったかそうでなかったかわからないからこそ、みんなが夢をのせて、そのような設定に決まってきた、というところもあるのでしょう。

 

劉備に褒められる趙雲

 

もしかしたら、趙雲は現代人にとっての「感情移入キャラ」なのかもしれません。自分が関羽になりたい人も、自分が張飛になりたい人も、なかなかいないでしょうが、「趙雲になりたい」と夢みる人はけっこういるのではないでしょうか?

 

ましてその人物が、どれくらい実際にありがたがられたかは不明としても、少なくとも「赤ん坊を助けた」ことだけは事実としてドンと記録されているのですから。どうしたってこれは、いろいろと拡大解釈をのせて膨らませやすいキャラクター、つまり、みんなの夢をのせられるキャラクターといえるでしょう!

 

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趙雲

 

 

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YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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