【三国志随一のイケメン】天に二物を与えられた荀彧を考察

2021年3月14日


 

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能力に欠けるがにプライドは高い司馬倫

 

三国志には登場人物が数多くいてそれぞれが独自の個性を持っています。

 

ヒゲが美しい関羽

 

例えば関羽(かんう)の髭や赤面、劉備(りゅうび)の大耳などの見た目の特徴から呂布(りょふ)方天画戟(ほうてんがげき)のような武器に至るまで様々です。そういった特徴の中でも特に気になるのがイケメンの人物ではないでしょうか。

 

周瑜

 

三国志の中でのイケメンと言えば美周朗(びしゅうろう)こと周瑜(しゅうゆ)が浮かびますが、今回は三国志随一のイケメンと名高い荀彧(じゅんいく)の逸話をご紹介します。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志界の毒舌王でも否定できなかったほどの風貌

禰衡

 

三国志には禰衡(でいこう)という毒舌王がいます。この人物は『後漢書(ごかんじょ)禰衡伝』によると恵まれた才能を持っていましたが、それゆえに傲慢であり他の人に対して暴言を吐くことで有名で、

 

禰衡と曹操

 

曹操(そうそう)に面会する際も曹操の屋敷の前で、大声で暴言を吐き挙句の果てには「人のふりをしているだけの人ではないものと会うのだから礼法など必要ない」と言い放ち曹操を激怒させます。

 

禰衡

 

そして最後は劉表(りゅうひょう)配下の黄祖(こうそ)に対し暴言を吐き殺されました。

 

曹操や許褚、荀彧の悪口を言う禰衡

 

そのほかにも様々な人に対して暴言を吐いていますが、そんな禰衡から荀彧は「荀彧は葬式の弔問役がお似合いである」といったことを言われております。

 

 

これは荀彧が立派なのは容姿と作法だけであり軍師ではなく、葬式に置く役割がちょうどいいといった皮肉が込められています。一見するといつもの禰衡が言い放っている暴言ですが、逆にこれだけ毒舌を吐いていた禰衡ですら、荀彧の容姿については立派であると認めているということです。

 

爽やかな荀彧

 

また西晋時代を代表する文人であり自身も類いまれな美貌の持ち主である潘岳(はんがく)も「荀彧の見た目は美しくその容姿も立派な人物である」といった碑文を残していることから荀彧の容姿は間違いなく美しくイケメンであると言えるでしょう。

 

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超エリート一家出身な筍氏

荀彧

 

荀彧は天下に名が轟く筍氏(じゅんし)の生まれであり、数々の偉人を輩出した豫洲潁陰県(よしゅうえいいんけん)の出身でもあります。

 

桓帝

 

荀彧の祖父筍淑(じゅんしゅく)は、後漢王朝にて後漢の順帝(じゅんてい)桓帝(かんてい)に仕え、

 

梁冀(りょうき)

 

当時朝廷内を牛耳っていた悪評高き梁冀(りょうき)一族を批判したことで地方に左遷されてしまいますが、それがきっかけで評判は大いに高まりました。

 

荀彧

 

また荀淑には8人の子供がおりいずれも優秀で「八龍」と称されました。その中の一人であり済南国の相を務めていた荀緄(じゅんこん)の子が荀彧です。これだけの名家出身でありながら荀彧は質素な生活を好みそれを生涯続けました。こういった謙虚な姿勢も人々に評価された理由の一つであると思います。

 

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荀彧は当時のファッションリーダー!?

荀彧と曹操

 

荀彧はその見た目の美しさそして超エリート一家出身であり、既にこの時点で貴公子のようなイケメンを想像してしまい羨望の眼差しで見てしまいますが、当時からすでに荀彧はみんなの憧れであったようです。

 

ある日荀彧が木の枝に気づかず頭をぶつけてしまい、その時に冠を凹ませてしまいました。

 

荀彧

 

冠が凹んだことに気が付かないまま荀彧が被っていると、当時の人々は「あれが今の流行りなんだ!」と勘違いしこぞってマネしだし本当に凹んだ冠が流行ってしまいます。

 

プロ野球を学んでいる荀彧

 

このように荀彧はファッションにおいても人々がマネしてしまうほどの影響力があります。現代でいうところのファッションインフルエンサーであったと言えるのではないでしょうか。

 

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においまでイケメンな荀彧

荀彧

 

襄陽(じょうよう)耆旧記』にて登場する劉弘(りゅうこう)という人物は愛香家として登場しており、そんな劉弘が「荀令君が訪れると、彼が座った席は三日間その香りが残り続ける」と語った話も記述があります。

 

荀彧

 

この筍令君こそ荀彧のことであり、後に高雅な人物の香りを令君香とあらわすようになったというエピソードがあります。この香りがどういった匂いだったのかは記録がありませんが、高雅な人の香りから想像するにきつい香りというよりは、ふとした時に気づく主張はしないけどさわやかな香りといった想像をしてしまいます。

 

冠が凹んだだけでも、人々がマネしたがるような人物であった荀彧の香りをまねしようとした人が大勢いたのではという想像は容易にできます。

 

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まとめ

荀彧と曹操

 

荀彧は曹操を初期から支えその才覚を存分に発揮して後世に名を残しました。またそれは頭脳だけでなく外見においても人々が羨むような美貌であったと残っています。政治だけでなくファッションにおいても荀彧の影響があり、少し変わったことをするとすぐに人々がマネするほどでした。

 

三国志ライター ボス吉の独り言

ボス吉(ライター)

 

名門でのエリートであり頭脳明晰でオシャレという荀彧は、三国志イチのハイスペックな人物ではないでしょうか。

 

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