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改編在り
因みにこの三顧の礼、三国志演義にも出てきます。ただし三国志演義では少し改編があるのが特徴。
劉備が諸葛亮の所に行く際に関羽や張飛も付いていくのですが、この時諸葛亮は昼寝をしていました。しかし劉備は諸葛亮を気遣い、起きるまで待つことにしました。これを知った張飛は「兄者を昼寝をして待たすとは!」と怒り心頭、家に火をつけようとして……と、劉備の人の良さと同時に張飛の乱暴具合も表してしまうエピソードになっています。
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「諸葛亮が言ってるもん!」
またこの三顧の礼のエピソード、魏略にも乗っています。ですが魏略では諸葛亮が劉備の元を訪れていた、という話になっているのがポイント。これでは三顧の礼は本当にあったのか、という話になってきてしまいますね。
ただしこのエピソードについて裴松之先生が「諸葛亮が自分で何回も訪れたって言ってるでしょ!諸葛亮が言う方が正しいの!(意訳)」と書いており、事実のはっきりした所は分かりませんが、三顧の礼は実在した……!ということにしておきましょう。
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三顧の礼の伝えたいこと
個人的に三顧の礼については、劉備が訪ねていても諸葛亮が訪ねていてもどちらでも良いと思っています。劉備の三顧の礼は、嘗て文王が太公望と出会った際に礼を尽くして接したことに倣った、ということだという話もあります。つまり劉備が訪れた、三回訪ねたことが本質として重要なのではなく、目上の人が目下の人に礼儀を持って接したことこそが重要なのであり、それはどちらが訪れたのか、回数なのかが重要ではないのです。
大切なのは礼儀を持って接したこと、だから諸葛亮もその礼に尽くしたのでしょう。そしてその故事成語は、今もなおそのエピソードと共に親しまれているのですね。
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三国志ライター センのひとりごと
三顧の礼は、日本でも豊臣秀吉と竹中半兵衛(たけなかはんべえ)の間にあったエピソード……と言われています。ただこちらはあくまで創作、とも言われていますね。
しかし実際に秀吉が半兵衛の元を何度も訪れたかはともかく、半兵衛もまた諸葛亮のように秀吉に礼を尽くしてもらったことから礼を返したのでは……と思っています。実際はどうだかは分からないけれど、その方がロマンがあるからそっちを信じたい、というのが筆者の本音ですね。
参考文献:蜀書諸葛亮伝 魏略
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