戦には強いが悲しき最期
鄧艾は蜀を降伏させましたが、その後は独断専行が多くなっていきました。これを鐘会に目を付けられ、「謀反の疑いあり」と告げ口をされてしまいます。
鄧艾は逮捕され、都に送る途中に殺されてしまいます。鄧艾はとても戦に強い武将ではありましたが、悲しい最期を迎えてしまいました。
正史「三国志」の著者「陳寿」は鄧艾の事を「強い意志で功績を上げたが、災いを避ける配慮に欠けていた」と評しています。
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三国志ライターみうらの独り言
鄧艾はとても戦に強く、おまけに内政にも優れるという完璧な武将でした。様々な困難をのりこえてきたのですから、相当な決断力があったと考えられますね。最期は悲しいですが、その高い評価は揺るぎませんね。
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