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胡遵の油断
同じ頃、胡遵は浮橋を渡り堤防の辺りに陣取り、桓嘉と韓綜に命じ左右の城を攻めさせますが、左の城の全端、右の城の留略は魏軍が大軍なので用心して城を固く守り、なかなか陥落しませんでした。
胡遵は徐塘に陣を構えていましたが、折しも極寒の季節で大雪が降ってきます。そこで胡遵は士気の低下を憂いて大将たちを集めて酒宴を開いていました。ここに、丁奉に率いられた30隻の船がやってきます。胡遵は報告を受け丁奉の水軍を見ていましたが、28万の大軍の前には懼れるに足りないちっぽけな襲撃に見えました。
胡遵は、引き続き警戒しておけと見張りの兵士に命じると宴会に戻り、「大した事は無い、さあ、飲み直そうぞ」と大将たちとどんちゃん騒ぎを続けていました。
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丁奉の決意
丁奉は、敵が近づいても酒宴を続ける魏軍を見て頬をひきつらせて嘲り笑うと、船を横一文字に並べて碇を下ろして停泊させ部下に命じます。
「武士たるもの、功名を立て富をほしいままにするのは、まさにこの時である。鎧脱ぎ、兜を捨て、槍と矛を置いて、短刀一本でワシについてこい!貴様らに末代までの大手柄をくれてやろう」
魏の見張りの兵は丁奉の兵士が鎧兜を脱ぎ捨てて、短刀一本で向かってくるのを見て「さすが南の猿共はトンマなものだ」と嘲り、ろくろく備えもしません。
しかし、一度、連珠砲が鳴り響くや、丁奉は短刀を片手に先陣を切って飛び掛かり、またたくまに数名の兵士の首を刎ねてしまいます。
魏兵が自分達の愚かさを後悔する暇もなく、決死の呉兵は手当たり次第に魏の兵士を血祭りに挙げ、宴会で騒いでいる魏の将軍たちの屋敷に斬り込みました。
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韓綜と桓嘉を瞬殺する丁奉
異変に気付いた韓綜は幕の前に立ててあった大戟を振って丁奉をあしらおうとしますが、丁奉は左手で戟を掴んで自分に引き寄せると、右手の短刀で韓綜を斬り倒します。
桓嘉がその左に回り込んで、槍をしごいて突こうとすると丁奉は槍の柄をしっかり掴んで離しません。
丁奉「なんだそのつまらん突きは?そんなに腰が抜けておっては呉では女の細腰でも貫けんぞ!」
桓嘉「ひいいい…」
桓嘉が槍を放して逃げようとすると丁奉は短刀を桓嘉に投げつけ左肩に命中。
桓嘉は倒れ、丁奉は追いついて槍で桓嘉の体を貫き絶命させました。
丁奉「殺せ!殺せ!魏の腰抜け共を皆殺しにせよーー!」
3000人の呉兵は魏の陣営を縦横無尽に殺戮して回り、総大将の胡遵は情なくも兵を見捨て馬にまたがり、供も連れずに1人で逃げていきました。
28万の魏軍は、完全にパニックになり、浮橋を渡って対岸に逃げようと殺到しますが、すでに浮橋は呉軍に切り離されていて、魏兵は後から押されて次々と川に落ちて溺死。魏はおびしい物資と兵力を失い丁奉の前に大敗しました。諸葛恪が出撃する前に、丁奉は僅か3000の軍勢で魏の大軍を撃破したのです。
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全訳三国志演義ライターkawausoの独り言
30万の大軍を動員して、孫権の死で混乱した隙を狙い呉に攻め込んだ司馬昭ですが、東興左右城、鉄壁の守りに攻めあぐね、
その隙を僅か3000の兵力を率いた丁奉に突かれて大敗を喫しました。
さて、三国志演義で諸葛恪は孫権に呂拠と並んで孫亮の後見人を頼まれていますが、史実では孫弘、孫峻、滕胤も含めて5人体制の後見人であり、諸葛恪の独裁が許されたわけではありませんでした。
ただ、この中で孫弘は諸葛恪と険悪な関係で、孫権の死を隠して諸葛恪を排除しようとして、孫峻に密告され諸葛恪と孫峻に誅殺されます。また、滕胤は諸葛恪と仲がよく、結果として諸葛恪は孫峻と滕胤のバックアップを受けて、独裁的権力を握る事が出来たのです。
思いがけなく大勝利を得た諸葛恪ですが、自惚れが強い彼は、東興の大勝利に飽き足らず、これを機に大帝、孫権も成し遂げられなかった合肥新城の攻略に臨みます。
この続きは、全訳三国志演義145話で解説しましょう。
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