「劉備の軍師」といえば、もちろん諸葛孔明。その諸葛孔明の初陣であり、かつ、初戦でありながらいきなり曹操軍に快勝したのが、「博望坡の戦い」です。
しかし『三国志演義』の展開に従うと、この戦いよりも以前に、劉備には徐庶という軍師がついており、新野の戦いにおいては、諸葛孔明にも劣らないほどの大活躍をしています!
徐庶は、曹操軍の計略にハマってやむなく劉備のもとを去り、不本意ながら曹操の幕下に加わりました。
そうなっても、徐庶は劉備への忠義を忘れなかったようで、生涯、曹操軍のもとでは才能を封印してしまいました。しかしよくよく考えると、この徐庶の「人生の選択」は、とてつもなく凄いことではないでしょうか!
この記事の目次
並の根性でできるものではない!曹操の部下でありながら生涯をかけた「サボタージュ」!
なにせ徐庶は曹操にいたく気に入られ、「あの人材が欲しい!」と名指しで引き抜かれた人物なのです。そして本当に、徐庶には才能があったはずのです。
本人がその気にさえなれば、曹操軍の中で、荀彧や賈クらと並ぶような参謀として活躍し、高官として栄華を極めることすら、可能だったかもしれないのです。
ところが、徐庶はそれをしなかった。並大抵の根性ではありません。たとえるなら、実力があるはずのエリートビジネスマンが、社長の方針が気に入らないために、窓際扱いされることも覚悟でサボリまくっているようなことです。もはや意図的なサボタージュであり、反抗的態度です。しかも徐庶のキモの座っていることは、それだけ曹操のことが嫌いなのに、曹操軍の帷幕を「辞めなかった」ことです。
堂々と給料だけは生涯もらっていたのです。曹操としては、追い出したい気もする。しかし、手放すと、それはそれで恐ろしい敵になる気もする。そこでやむなく、適当な仕事を割り振って、飯だけは食わせ続けていた、というところでしょうか。
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博望坡の戦いから始まっていた?まったく曹操の期待に応えない徐庶
それにしても、曹操にとって徐庶は、当初は「期待の星」だったはず。どこで徐庶は、「上手に、曹操の期待を裏切り、それでいて処刑もされない」絶妙なバランスを掴んだのでしょうか?
私が個人的に「あやしい」と睨んでいるのが、まさに、諸葛孔明の初陣、博望坡の戦いなのです!
この戦いには、徐庶の名前は、いっさい出てきません。しかしよくよく考えると、この場合は、名前が出てこないほうがおかしいのです。というのも、徐庶はつい先日まで劉備軍に所属しており、新野一帯の地理にも詳しい人物。
曹操軍としては、引き抜いたばかりの徐庶に、さっそく劉備攻撃のアドバイスを求めたところでしょう。ところが、この博望坡の戦いでは、夏侯惇率いる曹操軍の先発隊は若造の諸葛孔明にボコボコにされてしまいます。
徐庶は何かしら、曹操軍の中でアドバイスをしたのでしょうか?
しなかったのでしょうか?
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なかば妄想ながら徐庶の態度を考えてみた
ここでキーポイントになるのは、徐庶は常日頃から、「世の中には、諸葛亮とホウ統という二人の人材がいて、私は彼らよりも下」と公言していたことです。
普段から尊敬していた諸葛孔明が、博望坡の戦いにおいては、劉備軍に加わっていると聞いた。そのとき徐庶は、格好の、「サボタージュ」の口実を見つけたのではないでしょうか。
「徐庶先生。あなたは先日まで劉備軍にいましたよね。劉備軍の弱点はどこにありますでしょうか?」と曹操軍の将軍たちが質問すれば、「弱点なんぞ、ないですよ。私が普段から天下一の才能と呼んでいる諸葛孔明が、劉備軍についているのです。あなたたちに勝ち目はないですよ」と、やる気を削ぐようなことを言う。
「でも徐庶先生、あなたはかつて劉備軍にいた時、われわれ曹操軍の曹仁と李典をコテンパンにした名軍師じゃないですか」
「ええ。そんな私でも、諸葛孔明にはかないません。あなた方が今の劉備軍に挑んだら、あのときの曹仁殿や李典殿よりもはるかにひどい目にあうことでしょう」
こんなにビビらされて出撃する将軍たち。最初から戦意は挫かれている。諸葛亮に対する不安感が植え付けられている。そのうえ、徐庶から入ってくる情報はすべて、「孔明が有利であなたたちが不利」というサブリミナル。けっきょく曹操軍は博望坡の戦いで大敗を喫します。
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まとめ:いやな仕事はやらない徐庶は悩める現代人の鑑だ!
怒った曹操は徐庶に問いかけます。
「君はあれだけ才能のある軍師なのに、なぜ博望坡のとき、我が軍を助ける献策をちっともしてくれなかったのかね?」
「いや、だから、私は最初から諸葛孔明が私よりも上だと申し上げていたじゃないですか。諸葛孔明に勝ちたいなら、昔から『自分より孔明が上』と言い続けている私に期待するのは矛盾してませんか?」
曹操はムッとするものの、たしかに徐庶の言っていることにウソはないから、それ以上、追及もできない。ただし、「こいつ反抗的なやつだな」と、相当に徐庶のことが嫌いになる。
それも作戦通り。徐庶は晴れて曹操軍での嫌われ者となり、給料は貰えるものの閑職ばかりに回される、気ままな若隠居生活を手に入れたのでした。才能を持ちながらも、嫌いな組織に雇われてしまった場合、のように、ちゃっかり、いい給料だけは貰って、気ままに暮らすというアラワザもあるのではないでしょうか?
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三国志ライターYASHIROの独り言
働きすぎとか、ウツ患者とかが増えている厳しい現代において、何も自己実現をするだけが人生ではない。
「あえて才能を使わない」ことで悠々自適に生きる徐庶の逆説の生き方も、何かしら、悩める現代人の参考になるところがあるのではないでしょうか?
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