趙括はどんな人?長平虐殺の原因を作った無能なバカ将軍だった?


 

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趙括

 

長平(ちょうへい)の戦いは紀元前260年に秦と趙との間に起きた戦いです。ここでは天才将軍白起(はくき)が交代したばかりの趙の将軍趙括(ちょうかつ)を撃破。

 

春秋戦国時代の白起、デビュー戦から大殺戮

 

投降してきた大量の趙兵を穴埋にして殺してしまいました。今回は虐殺の原因を作った無能なバカ将軍、趙括について考えてみます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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趙の名将、趙奢の子として誕生

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

趙括は趙の名将、趙奢(ちょうしゃ)の子として誕生しました。幼少期より兵法に通じていて、父である趙奢を論破した事も何度もあったようです。それでも趙奢は息子を認めようとしませんでした。

 

これはなかなか大きな親子げんかになったようで、趙奢の妻が不思議に思い「どうして負けをお認めにならないのです?」と聞くと趙奢は深刻な顔をして

 

「私は負け惜しみで(かつ)を認めないのではない。あやつの兵法は軽く、机の上で言葉をもて遊ぶのみで現実を知らない。将軍に任命されなければいいが、万が一指名されるような事があれば軍は全滅を免れないだろう」と答えていました。

 

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廉頗の代わりに総大将に起用

順調に将軍まで出世する陳武

 

やがて趙奢は病死し、趙括は父の威光と口先だけの用兵術でもてはやされ、次第に名声は六国に広がってゆきました。その頃、秦は趙を度々攻めていましたが、趙は名将廉頗を配置して防御に徹し、遠征軍である秦は補給が乏しくなり、士気も低下していきます。

 

三国志 剣閣のお城

 

ところが趙でも王が若い孝成王に変わったばかりであり、ひたすらに防御に徹する廉頗の戦いぶりに次第に批判が高まっていました。

 

もちろん、百戦錬磨の廉頗が雑音を気にする事はありません。そこで秦の宰相范雎(はんしょ)は一計を案じ、秦では老人の廉頗よりも若い兵法家である趙括が将軍に就任する事を恐れていると流言を流します。消極的な廉頗に嫌気がさしていた趙王は、流言を真に受けて指揮官を廉頗から趙括に変更しようとしました。

 

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藺相如や実母が起用に猛反対

藺相如(りんしょうじょ)

 

これに焦ったのが、今や死の床についている藺相如(りんそうじょ)でした。同僚の趙奢から、趙括の無能を聞いていた藺相如は重病を推して朝廷に参内し「趙括は兵法書を丸暗記しているだけの未熟者、臨機応変の才を持ちません。戦争とは机上で出来るものではないのです!どうか考え直して頂きたい」と懇願(こんがん)します。

 

さらに、趙括の母までが趙活を使わないように王に懇願したので、さしもの趙王も驚きます。

 

「ご母堂(ぼどう)は、子息が大将軍になるのが嬉しくないのかね?」

 

それに対し趙括の母は

 

 

「私は兵法を知りませんが、趙奢の妻として将軍のありようを見てまいりました。亡き夫は将軍である頃、少しも奢る事なく自ら酒食を勧めた部下は数十人、交遊をもった人間は数百人にも及びます。褒美があっても決して自分でため込む事は無く、全て部下に分け与え、出陣の命が下ってからは、何が起きても家の事には構いませんでした。

 

ところが我が息子ときたら、部下には威張り散らすのみで褒美は全て自分の懐にしまい込み、毎日、相場ばかり見て値上がりしそうな品物を買い漁っています。こんな有様でどうして、大将軍の責任を果たす事ができましょうか?」

 

それでも趙王は趙括を大将軍にすると言って聞かないので、趙括の母は、「では、息子がどんな結果をもたらしても一族には害を及ぼさないように約束して下さい」と申し出て、王は受け入れました。

 

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はじめての孫子の兵法

 

 

趙括が積極攻勢に転じる

行軍する兵士達a(モブ)

 

前線に到着した趙括は、傲岸不遜な態度で廉頗の戦術を堅持する幕僚を叱りつけます。

 

「ダメだ、ダメだ、こんなやりかたは兵法書にはないねェ。ボク様が、兵法に即した素晴らしい布陣を見せてやるからチミ達、よーく見ておきたまえ」こうして、廉頗の布陣を完全に造り替えて積極攻勢に転じます。

 

趙の司令官が変わった事を知った秦では、総大将を王齕(おうこつ)から歴戦の名将白起に密かに交代しました。

 

逃亡する兵士 三国志ver

 

白起は趙括が積極攻勢に転じた事を知ると、一度突撃してから退却するフリをします。趙括は兵法通りに秦軍が退却したので喜び勇んで、重い補給部隊を放り出して全軍で追撃しました。

兵糧を運ぶ兵士

 

白起は逃げに逃げて、40万の趙軍を(へび)のように引き延ばすと、あらかじめ準備してあった伏兵を用いて、趙軍を寸断し命令系統をバラバラにしてしまいます。こうして趙軍は数十にもバラバラに分割され、相互の連絡がつかないまま、秦軍に包囲されて次々に殺戮されていきました。

 

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斬り込みに出て射殺される

白起に敗北する趙括

 

残った趙兵は打って出る意気地(いくじ)もなく、ひたすらに持久しますが重い補給部隊を後方に置いてきたので食糧は僅かしかなく、やがて殺した味方の肉を食う惨状に追い詰められます。

 

趙括は妙案も浮かばず、僅かにいた戦闘意欲を持つ少数の兵で斬り込みをかけて邯鄲に逃げ戻ろうと画策しますが、白起はお見通しであり周辺に弩兵(どへい)を配置して待ち構えていました。

 

弩(ど)を発射させる蜀兵士達

 

こうして趙括は何一つ天才兵法家らしい活躍をする事なく、名もなき弩兵に射殺され生涯を閉じたのです。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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